第32話 平田莉子

 うううっ――。

 届かないよ、どうしよう。

 他にもこれだけ書くスペースがあるんですから、何もこんなに高く書かなくてもいいのにっ。

 椅子の上に乗って消しても?

 いやいやいや――。

 女の子としてどうなんでしょうか、それは。

 それに、そんなことしたら視線を浴びてしまうかもしれません。

 何がきっかけでいじめとかに巻き込まれるか分からないのですから、変に目立ってはいけないですね。

 日直も嫌ですが、順番ですから仕方ありません。

 本音を言えば、日直制度なんてこの世から消えてしまえばいいのにって思います。

 莉子りこみたいな地味で目立たない、ちびで、毛量が多くてモサい、眼鏡女子が『嫌です』なんて我儘を言えるわけがないじゃないですかっ。

 それより、莉子のペアの男子はどこで何をしているのですかっ!!


 5月31日水曜日。

 日直当番 長谷 平田


 黒板には2人の名前が書いてありますよね!


 ――助けてよ!!

 ――遊んでいないで働いてよ!!


 と、心の中で叫んでみますが。

 そんなことはとてもじゃないけど面と向かって言えない。

 同い年の男の子は、がさつですし乱暴で怖いですからね。

 怖いのもそうですが……。

 男の子と話すのだって恥ずかしくて無理です。難題です。無理難題です。

 女の子ですら、ろくに話すことができないのに。

 だから、5月にもなっていまだに友達がゼロなのだ。

 でも、いい加減に消さないと次の授業が始まっちゃう――。

 このままだと先生に怒られて、ペアの男の子にも怒られるかもしれない。

 うううっ、莉子はただひっそりと何事にも巻き込まれずに無難に卒業がしたいだけなのに。


平田ひらたさん、黒板消し少しお借りしますね」


「え、あ、え……」


 莉子がろくな返事が出来ないうちに、手に持っていた黒板消しを取られてしまいました。

 手元から顔を上げて相手が誰かを確認すると『ヒッッッ』と小さく声が漏れ出てしまう。

 相手の人はクラスメイトで莉子より少しだけ大きな男の子。

 クラスの男の子で2番目に目立っている人かもしれません。

 1番は『はた幸介こうすけ』様。

 その辺のアイドルよりアイドル顔なのだから、とてもじゃないが、くん付けさん付けで呼ぶことなど出来ないです。

 様付けでもおこがましいかもしれない。

 そんな気は全くないけど(むしろできない)、下手に話しかけたりしてしまったらクラスの……いや。

 1年生のほとんどの女子から酷い目にあわされてしまう可能性も……。

 無難に卒業するという夢が叶わなくなってしまう。

 ですから絶対に関わっては行けない人ナンバーワンということです。

 そして今、莉子の代わりに黒板を消してくれている人は2番目に目立っている『八千代やちよこうり』くんだ。

 目立ち方は幡幸介様とは違う。

 どちらかというと、見た目に関しては莉子に近いかもしれない。

 でも、それ以上に不気味なのですよ――。

 彼が笑っている姿を誰も見たことがない。

 どんな時も表情が一切変わらないのです。

 不思議な事で幡幸介様と八千代くんはよく一緒にいる。

 バランスが悪すぎると思います。


 どうやら、小さい頃からの友達みたいですね。

 なんで知っているかですって?

 八千代くんの悪口と一緒に流れてきたからで、莉子が幡幸介様について調べたからでは決してありません。

 だから、変な憶測はやめてください。

 ちなみに莉子に友達はいませんので、これも全て心の独り言です。

 うううっ――。


 話が脱線しましたが――。

 八千代くんは幡幸介様と一緒にいる時ですら顔が変わらないのです。

 そのこともあり、彼は悪い意味で余計に目立ってしまっているのです。

 そのせいで『いじめ』とまでは行かないと思いますが、男の子からも女の子からも邪険にされているのが彼です。

 幡幸介様が『絶対に関わってはいけない人ナンバーワン』だとすると、

 八千代郡くんは『絶対に関わりたくない人ナンバーワン』なのです。

 何が違うのかと言われたら莉子にも分かりませんけどっ。


 ええ、ですから? そのこともあり、彼を見た時に『ヒッッッ』と悲鳴を上げてしまいました。

 黒板を消すのに手伝ってくれているのに、失礼極まりないですが怖いものは怖い。

 莉子は莉子を守ることで精一杯なのです。


 とりあえず、距離を取りましょう。

 彼もギリギリなのか背伸びして消している姿を確認してから、気づかれないように少しずつゆっくり後ずさっていると――。


「すぐ後ろは段差ですから気を付けてくださいね」


 声を掛けられたことに驚き心の中で『ハヒィッッ』と叫んでから、一瞬で気をつけの姿勢をしてしまいました。

 莉子が夢中になっている間で黒板は消し終わっていたようです。


「余計な事をしたかもしれませんね。日直、頑張ってください」


「え、あ、え……」


 そう言って、彼は自分の席に戻っていきました。

 顔は動かさず目の動きだけでその姿を確認した後に足元を見ると、教壇と床の段差があり、あのまま後ずさっていたら派手に転んで目立って最悪いじめられることになったかもしれません。

 結局、黒板を消してくれたお礼すら言えず彼を見送ってしまったのです。

 いくら『絶対に関わりたくない人ナンバーワン』だからといって、お礼すら言わない莉子は人として終わってます。

 クズです――。

 ミジンコです――――。

 いえ、調子にのりました。

 すみませんでした。

 ミジンコは水を綺麗にする生き物ですから。莉子よりも立派な生き物です。

 罪悪感でいっぱいいっぱいでしたが、視線を感じたので顔を上げました。

 すると天使様と目が合い、微笑まれたのです。

 莉子の愚を、笑って許してくださったのです。

 すみません――。

 今までのことを(心の中で)懺悔ざんげします。

 莉子と同じくらいの身長なのにチヤホヤされていて、貴女様に対してあまりいい感情は持っていませんでした。

 きっと、他の女子を見下していたり、腹が黒いはずだの、他にも色々と思っていました。

 貴女様のことをよくも知らないのに。

 嫉妬していたのです。

 これからは悔い改めて『天使様』と呼び慕わせていただきます。


 天使様にこうべを垂れてから席へ戻り、本日最後の授業に臨みます。

 といっても、莉子の席は恐れ多くも天使様のすぐ隣なのですが――。


 なんだかんだと日直の仕事も残りわずかです。

 ですが、ほっとしたのも束の間――。

 宿題のノートを後ろから前に、リレーのように送り先生が回収をしたところで、先生が放送で呼ばれたのです。

 しかも、至急と。

 そのため、日直が職員室までクラス全員分のノートを運ぶことになりました。

 男子でしたら1回で運べるかもしれません。

 でも、莉子は背も低くてか弱い女子です。

 そう。か弱い女の子なのです。

 相変わらず相方の男の子は手伝ってくれる様子はありません。

 チッ。使えない。

 ダメですね――。

 黒板のこともあり、つい言葉遣いが汚くなってしまいました。

 ですが、困りました。

 何回かに分けて運べばいいだけなのかもしれませんが、莉子には何回も職員室に入る勇気を持ち合わせておりません。

 ずるい考えかもしれませんが、期待を込めて八千代くんの席に目を向けるとすでにいません。

 それはそうですよね。

 助けてくれたのにお礼も言わない人のことをまた手助けなどしてくれるはずもありません。

 莉子だったら、二度と手伝わないと思います。

 気を取り直して、とりあえず持ち上げてみましょうか。

 よっ、あ、無理。

 絶対に運んでいる途中でぶちまけて転んでしまう。

 自慢じゃありませんが、莉子、インドア生活に全力です。か弱いのです。

 どうしよう、諦めて分けて運ぼうか……2回なら頑張れば職員室に入れるかもしれない。

 よしっ、頑張れ莉子!

 自分で自分の名前を呼び気合を入れる。

 ちなみに莉子のことを、下の名前を呼んでくれる人は両親くらいしかいないです。

 莉子の人生これでいいのか……。

 うううっ、泣きたくなってきました。

 するといなくなったはずの救世主が再び現れたのです――。


「平田さん、先生に用事があるからついでに手伝います」


「え、あ、え……」


 ――余計なお世話かもしれませんが。


 と、言って『絶対に関わりたくない人ナンバーワン』の八千代くんが手伝うどころか、8割がたのノートを持ってくれたのです。

 ろくに返事が出来ないまま、残りの2割のノートを手に持とうとすると、またもや天使様と目が合いました。

 今回も微笑んでくれています。

 あぁ、天使様。見守ってくれていて心が温かくなります。

 ありがとうございます。天使様。

 丁寧にこうべを垂れてから、教壇と床の段差で転ばないように気を付けて八千代くんの後を追います。

 職員室は同じフロアですので、すぐ到着しました。

 すると、持っている残りのノートも上に乗せてくれと言ってくれました。

 言われた通りにすると、なんと彼は片手で器用に持ち直して職員室をノックしています。

 莉子よりも少ししか背は大きくないはずなのにです。

 男の子の力に驚いていると――。


「あとは僕が持って行きますから、平田さんは戻って大丈夫ですよ」


「え、あ、え……」


 と、言って何の躊躇ちゅうちょもなく職員室に入っていきました。

 莉子でしたら、心の準備でノックするのに5分。

 入るのに5分掛かったかもしれません。

 いえ、きっと――。

 ノックして5分過ぎたらまたノックした方がいいかと悩んでしまい、それを永遠と繰り返して、入ることすら出来ずに、終いにはノックが悪戯と勘違いをされて、校長室に呼ばれて、怒られることになかったかもしれません。

 だから――。

 感心してしまいます。羨望せんぼうすら抱いてしまったかもしれません。

 莉子、ちょロイン……いえ。ちょろいのかもしれません。

 ですが、もしかしたら誤解していただけで八千代くんは良い人なのかもしれません。

 物腰も丁寧ですし、怖かったのは最初だけでした。

 言われた通り教室へ戻ろうかと思いましたが彼を待つことにします。


 うううっ、目立っている気がします。

 職員室の前でただ立っていると怒られている人に見られるかもしれません。

 くじけそうになりますが、今度こそお礼を言わないといけません。

 莉子はまだ彼に『え、あ、え……』しか言っていません。

 だから早く……早く出てきてください、八千代くん!!!!!!

 お願いします!!!!

 心が……豆腐みたいに、硬い意志がなくなってしまいそうです。

 そんな願いが通じたのか『ガラガラガラッ』と扉が開き――。


「あれ、平田さん? もしかして誰か先生に用事でもあるんですか? よければ呼びましょうか?」


「え、あ、え……」


 うううっ、言葉が出てきません。

 待っている間に莉子お得意のイメージトレーニング……しておくべきでした。


「はい」


「え、あ、え……その……」


 よし、少しだけ言葉がふえた……じゃなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!!!!

 そうじゃないっっッ!!!! 目的が変わってしまっています。


「はい、ゆっくりで大丈夫ですよ」


 な、なんて良い人。

 相変わらず無表情で怖いけど、それ以外の言葉や行動はどの男の子より優しくて良い人だと思えます。

 今も語気を荒げて怒ったりせず待ってくれています。

 何も蹴とばしたりもしていません。

 今まで不気味だと思っていてすみませんでした。

 絶対に関わりたくない人ナンバーワンについてもナンバーツーくらいになりました。

 ナンバーワンは長谷だっっ!!


 ――頑張れ、頑張るんだ莉子ちゃん!!

(大好きな声優さんの声で脳内ボイスが変換されています)


「え、あ、え……その…………。きょ、きょう、は……いろ、いろと――」


 ――あとひと言だ、頑張れ莉子ちゃん!!


「あ、あっ、あっっ……あっっッ、りがとうございまひゅてゃぁ」


 どこの顔なしだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおい。

 しかも、最後は盛大に噛んでしまった。

 天使様だったら噛んでも可愛いしかないかもしれないけど、莉子が噛んだところで反応に困らせてしまうだけ。

 生意気にも絶対顔真っ赤になっているはず……うううっ。

 怖いよ、顔を上げるのが怖いよ。


「いえ、大したことはしていません」


 つ、冷たい。

 莉子にしては勇気131パーセントくらい出しましたよ!?

 リンリンですよ!?

 塩対応が過ぎるのではないですか!?

 少しくらい笑ってくれた方が、まだ救われた気がします。


「じゃあ、アルバイトがあるので僕は行きますね。平田さんも転ばないように気を付けて帰って下さいね。では」


 や、優しい。鞭と飴の……ん? 飴と鞭の使い分けが上手ですよ、八千代くん。

 莉子、ちょロイン……ん、んん。

 莉子、ちょろいので優しくされたら友達だと勝手に思っちゃうかもしれませんよ?

 いいんですか??

 いいんですね???

 知りませんよ????

 莉子たちズッ友ですよ?????

 ズッ友記念日は31日ですよ??????

 7月のバス旅行は同じ班でお願いしますね。

 もう、最後に無理矢理誰かの班にねじ込まれるのは嫌なのです。

 一体、いつまで黒歴史を作ればいいのですか莉子は。

 ですが、そんな心内は言えることもなく『ペコッ』とお辞儀を返すことしか出来ませんでした。


 その日の出来事を最後に、それからは『ズッ友』と現実では関わる事もなく時間だけが過ぎていきます。(急なナレーション)

 え? もちろん1人何役だってやりますよ? それが何か?


 えぇー……はい、相変わらず1人です。

 だけど、幸せなこともあります。

 彼を目で追っていると天使様と目が合いやすいことに気付きましたので、今ではそれが毎日の楽しみとなっています。

 きっと、天使様は莉子のことを見守ってくれているのです。

 でも、心配いりませんよ?

 ああ見えて八千代くんは、結構良い人なのです。

 今はもう怖くはありません。


 ですが、すでに6月下旬――来月はいよいよバス旅行。

 あぁ、どうか。

 このどうしようもない莉子を助けてください、天使様。

 そして、八千代くん――。

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