第30話 幡幸介

『よっ!! 仕事の帰りで駅前にいるんだけど、土曜日だしどっかメシいかね?』


『ああ……悪い、幸介こうすけ。ちょっと熱あるから今日は無理だ。ごめん』


『熱? 何か食べたのか? 薬は?』


『んー、どれもまだだけど寝たら治るよ』


『おまっ、ちょっと待ってろ。10分で行く』


 通話を切る時に何か言っていたが、あいつの事だから急がないと寝てしまう。

 そうなると部屋に入ることも出来なくなる。

 急いで薬やゼリー、レトルトのおかゆ。それとマスクを買ってから、こうりの住むマンションへ向かった。


 うつすと悪いからと言われたが、マスクして無理に家に上がった。

 ゼリーなら食べれると言ったから、残してもいいからと言って食べさせ、薬を飲ませた。

 そして後はベッドで寝かせて、クロコに『頼んだ』と言ってから家を後にした。

 借りた鍵は玄関を閉めてからポストに入れておいた。


 しっかり者の郡が体調を崩すことは珍しい。

 崩すときは何かあった時だけだ。

 心配に思うが俺に出来る事はこれくらいしかない。


 外食をする気分でもなくなったから、家のソファで寛いでいると、仕事の疲れもあり段々と眠くなってくる。

 うつろいながら、郡が最後に言った『幸介の笑顔が見れたからすぐ元気になるよ』の言葉を思い出すと、そのまま眠りに付いて昔のことを夢に見る――――。


「幸介くんは女の子みたいに綺麗なお顔で本当に可愛いわね!」

「大きくなったらアイドルや俳優さんになっちゃうかもしれないわね!!」

「笑った顔なんて天使みたい! 元気がもらえちゃうわ!!」


 幼い頃から、両親だけでなくて大勢の人に言われてきた。

 だから、自分が人よりも外見がいいことを小学校に上がるころには理解していた。

 家も裕福で何不自由なく、欲しいおもちゃやゲームも『欲しい』と言ったらすぐ買ってもらっていた。

 男女問わず、いつも周りにはたくさんの人がいた。それが当たり前だと思っていた。

 俺は特別な人間だと何も疑わず思っていた。


 それに比べて、同じクラスの八千代は気持ち悪いくらい笑わないやつだ。

 1年の始め頃は表情がころころ変化して、俺の次には人気があったかもしれない。

 だから仲良くしてやってた。

 それが、2年生になる頃には、誰が見ても愛想笑いだと分かる気持ち悪い笑い方をするようになった。

 だがそれも次第に……愛想笑いすらしなくなった。

 まるで人形のようで――。


 気味が悪い。


 あいつは笑ったら俺の次くらいには可愛い顔なのに。

 勿体ない。だから仕方ないが、俺は面倒見がいいからな、笑わせてやろう。

 なのに――。

 俺が気を使って笑わせてやろうとしても八千代の顔は全く変わることがなかった。

 誰かに気を使う必要のない俺が気を使ってやったにも関わらずだ。だから――。


「お前気に入らない」


 そのひと言だけ告げて、次の日からは八千代とは口をきかなくなった。

 そのまま、3年生、4年生そして5年生になると俺の周りにも変化がおき始めていた。

 俺が八千代と口をきかなくなったのと同じで、俺の周りにいた奴らが俺と口をきかなくなったのだ。

 最初は少しずつ。

 周りから男子が減っていった。

 あんなに俺に向かって『好き好き』言っていた女子ですら、最後はいなくなった。


 ドッキリか何かなのかと思ったけど、そうではなかった。

 むかついたから、無理矢理聞き出したけどよく分からなかった。


「お前みたいなわがままな奴とは話すことはない」

「人の気持ちも考えないで傷つくようなことばかり言う人なんて好きじゃない」


 今までずっとそうだったのに、何を急にとすら思えた。だから逆に言ってやった。


「俺はお前らみたいな低級な奴らと話してやっていたんだぞ!?」


 そうしたら、『可哀想な人』と言われてしまった。


 それからは、あんなに楽しかった毎日が嘘のように面白くない日常へと変わった。

 授業でペアを組む必要がある時は、いつも八千代と一緒になっていた。


 ――はぐれ者同士お似合いだ。


 と、陰でなくて堂々と笑われていた。

 屈辱だ。恥辱にまみれる日々が過ぎて行ったある日。

 体育の授業でいつものようにペアを組んでいた。すると急に――。


「大人の人が別れる一番の理由って、一緒に居ても楽しくないことなんだって」


 八千代がバテてしまったから校庭の端で休んでいた時に、八千代が突拍子もなく変な事を言ってきた。


「何変な事言ってんだよ」


 授業を除いたら、2年生の時以来かもしれない。

 八千代が俺に話し掛けてきたのは。


「昨日、本で読んだんだよ」


 だからなんだよと思って無視した。

 だけどそんなのお構いなしに八千代は話し掛けてきた。


「幡くんは、今まで毎日楽しかった?」


「当たり前だろ!! なんだ? いやみか!?」


 一瞬で頭に血が上り、大きな声で怒鳴ってしまう。

 そのせいで遠くから先生が視線を送ってくる。


「じゃあ、周りにいた皆が幡くんの為を思って楽しくさせてくれてたんだね」


「…………」


 何が言いたいのか分からないから、無言で睨みつける。


「幡くんは?」


「……何がだよ」


「一緒にいてくれた人のことを考えたりした? 一緒に楽しもうって考えたことある?」


 そんなことは考えたことすらない。

 頼まなくたって近くにいたのだ、俺がいるだけで楽しかったに違いない。


「あいつらが勝手に俺の周りに――」


「大人だけじゃなくて子供だってそうだよ。一緒に居ても楽しくない人とは居たくないんだよ」


 まだ俺が喋っているのに割り込んできやがった。


「お前みたいな奴に何がわかるんだよ」


 強がりだ。


「幡くんってさ、よく見ると格好よくないよね」


「お前目悪いんじゃねーの? メガネしたほうがいいだろ」


 ――幡くんにしては、いいこと言うね。


 と、言ってからさらに続けてくる。


「それに、我儘で自己中だよね。人のことすぐ悪く言うし性格最悪だよね。一緒にいたって絶対楽しくない」


 うるさい。

 あいつらに散々言われて今はもう分かってる。


「……うるさい。もうお前喋んな」


「仲良くもない、はぐれ者の僕に言われても傷付くんだ? これが僕じゃなくて、友達や好きな人だったらもっと傷付いたかもね」


「…………」


 むかつく。嫌な奴だ。

 泣いているのは傷付いたからではない。

 むかついているからだ。


「僕は幡くんと友達でもないし、仲よくなりたいとも思っていないから慰めてなんてあげないからね」


「……そんなの頼んでない」


 ――じゃあ、続けるよ。


 と、言ってくる八千代は本当に嫌な奴だ。


「もう一度言うけどさ、仲良くなりたいと思っている人や好きな人に否定されるのって凄く苦しいんだよ? 今の幡くんでも少しは分かったんじゃない?」


「…………」


 さっきと同じように『お前に何が分かるんだよ』と言い返したかったけど、八千代の顔を見たら何も言い返すことが出来なかった。

 相変わらず無表情なのに、何故か泣いているように見えたからだ。


「幡くん、君はね――たくさんの人を傷つけたんだよ」


「…………」


 真っすぐと、自分のしてきた行いを突きつけられる。

 八千代も嫌な奴だけど、本当に嫌な奴は自分だった。

 自分が悪いのに涙が止まらない。


「幡くん、僕はね。勿体ないと思うんだ」


「……ばにが」


 何がと言いたかったのに鼻水に邪魔をされる。


「我儘をもっとおさえて、嫌なことも言わないで楽しく笑っていたら絶対格好いいのにって。それに――」


 鼻をすすりながら続きを待っていると。


「幡くんの笑顔は誰かに元気をあげられる笑顔なんだから。少なくとも1年の最初の頃はそう思っていたよ」


「……なんだよ、それ。そんな前のこと何て覚えてるわけないだろ」


「うん、忘れていたけど最近思い出した」


 何だよそれって思ったけど『うちの猫のおかげ』と言われてさらに分からなくなった。


「……俺がどんな風に笑ってたか教えろよ」


「僕が言ったこと聞いてた? もう我儘言うんだ? それに、それは人に何かを頼む言い方ではないと思うよ」


 くそっ。でもその通りだ。


「どんな風に笑ったらいいか教えてほしい、です」


「そうそう、我儘は可愛く言わないとね。でも、僕に分かると思う? 自分で考えた方が早いと思うよ」


 すんっげぇ嫌な奴。

 でも、笑わない奴に聞いたって説得力はないかもしれない。


「……どうしたらいいんだよ」


「とりあえず、自分から挨拶することを始めてみたら?」


「……どうせ無視されるから」


「仕方ないよ。今までの行いはどうやったって消せないんだから」


「じゃあ、挨拶するなんて意味ないじゃん」


 せっかく八千代がアドバイスしてくれたけど、何を考えても変わらない未来しか見えてこない。


「悪い事ばかり考えたって仕方ないよ。じっとしてたらこのままだよ? 欲しいものがあるなら動かないと。まだ僕たちは10歳なんだから」


「…………」


 それでも、怖くて踏み出すことができない。


「仕方ないから、幡くんが昔みたいに笑えるようになるまで話し相手くらいには、なってあげてもいいよ」


「偉そうに。なんで上から目線なんだよ」


 八千代に言われても嬉しくないはずなのに、泣いた後だからか嬉しく感じたことが悔しくて文句を言ってしまった。


「今の幡くんには必要だと思うよ。一緒にいてくれる人は」


「……仕方ないから八千代の話し相手になってやるよ」


 ――ありがとう。


 と、俺とは逆にお礼を言われる。


「僕はお礼を言ったのに、幡くんからは何もないんだ?」


「…………」


 つい変なプライドが、いまだに足を引っ張り、素直にお礼を言う事ができない。


「本当に仕方ない人だなぁ。大切なことだよ。1回だけ教えてあげるね」


「……なんだよ」


「幡くんが『ありがとう』と『ごめんなさい』をしっかり言える人になったら、僕は昔みたいに友達になりたいって、思えるかもしれないよ」


 あまりにも普通のことで拍子抜けしてしまう。


「……そんなことで? それに、笑った顔と関係ないじゃん」


「そんなことだけど、大人でも出来る人は少ないよ? それを幡くんが自然に言えるようになったら最強だよ。絶対笑顔だっていい方に変わってる」


「……じゃあ、なんで八千代は笑わないんだよ?」


 ありがとうと素直に言えていた八千代が笑わないのはおかしい。

 2年から笑っているところは一度だって見ていない。


「友達になったら教えてあげる」


「教えろよ……教えて、ください」


 さっき教えてもらったことを思い出して言い直す。


「早速、変わり始めてるね。今の幡くんは格好良かったよ」


「そんなのいいから。でも……褒めてくれて、ありがとう」


 絶対に顔が赤くなっている。

 ありがとうって言っただけなのに、なんでこんなに恥ずかしくなっているのか分からない。


「そんなに僕と友達になりたいんだ? でも、僕のことを知りたがってくれてありがとう」


「…………」


 八千代がこんなに意地悪な奴ったなんて知らなかった。

 知ろうともしなかった。


「どこかに落としてきちゃったんだよ。だから、笑うことも泣くこともできないんだ。でもね――」


 表情を落とすなんて聞いたことがない。

 嘘をつかれているとも思ったけど、俺の目を見て話してくれてる。

 あまりにも力強くて外すことができない。


「まだ諦めていない。絶対に取り戻すつもりだよ」


 ――あとは友達になったらね。


 と、続けて言われる。

 今すぐ知りたいけど、今の俺には踏み込むことが出来ない。

 でも、初めてかもしれない。

 誰かのことを知りたいと思えたのは。

 昔と違って無表情だし、嫌な奴になっているけれど。

 八千代のおかげで何か変われるかもしれない。

 いや、変わりたいって。頑張ろうって思えた。

 八千代のことが知りたくなった。だから――。


「絶対に八千代から俺と友達になりたいって言わせてやるからな!!」


 これで合っているか分からないけど、今できる精一杯の笑顔で宣言してやった。


「その顔だよ、幸介。楽しみにしてるね」


 相手は男なのに。愛想も全くない無表情の奴なのに。

 何でか知らないけど『ドキッ』としてしまった。


 1年の時。

 八千代のことが好きだったやつは、これにやられたのかもしれない。

 でも、何故だか素直に認めたくない。

 久しぶりに……1年の時以来に……不意に名前を呼ばれたからだ。きっと。

 でなければ俺が八千代にドキッとするわけがない。


「お前、本当に意地悪な!! でも、今に見てろよ。郡!!」


 ――あぁ、待ってるよ。


 と、夢の中だからか最後は笑って答えてくれたように感じたところで目を覚ます。

 起き上がり、目をこすってから伸びをする。


「……随分と懐かしい夢だったな」


 携帯を見ると3時間くらい寝てたことが分かった。

 うちのソファは座り心地もよくて結構いい値段だけど、さすがに体が痛い。

 なんでまた、こんな昔の夢を見たのか。

 何かが変わる前触れとか?


 郡が珍しく熱を出したこともそうだが――。

 俺と彼女……とは言いたくないが、彼女と結んだ契約。

 犬猿の仲にも関わらず、互いの利害が一致したから結べた契約。

 俺と彼女。2人の利害は、郡を思う気持ちの一致。

 それ以外何物でもない。

 この”偽装交際”が、何か変化をもたらすのか。それとも、これから別の何かが起こるのか。

 今考えても分からないが、理屈抜きに何かが変わる予感がする――。


「それにしても、嫌味で言ったメガネを次の日に掛けてくるとは――」


 しかも度は入っていない。それに、郡には悪いけど本当に似合っていない。

 絶対にメガネは外した方がいい。

 あれから何度も言ったが、外してはくれなかった。

 今思うと、昔の郡は今とは違ってどこか自信をみせていた。

 そう見せていたのはダメな俺のためでもあったのかもしれないけど、郡自身も変わっている最中だったのかもしれない。

 あんなに嫌味たらしくて意地悪な郡はあの時だけだったし。


 今はあの頃より時間が過ぎ、少し大人になってしまった。

 中学の終わりに辛いこともあった。

 だからか、郡は少し気が弱くなり参っているように感じる。

 俺が助けられたように、郡が辛いなら力になりたい。


 だけど、心配をよそに月曜日は何てことない顔で登校していた。

 放課後に話したことで、体調を崩した原因も知れた。

 まあ、心配することになったし、副店長に腹も立ったが――。


 翌日の朝、いつだって誰よりも早く教室にいる郡が居なくて、何かトラブルにあったかと心配になった。まぁ、平然と遅れてやってきたから杞憂だったのだが。

 遅れた理由も気になったけど、昼休みも、放課後も、契約者に呼ばれたせいで郡と一緒に居ることが出来なかった。


 今の郡は不安定に見える。

 だからなるだけ傍に居たかったが……こちらも郡のためには必要な要件だ。


 すると、次の日に驚くことがあった。

 郡から、他人との関係で悩んでいると相談を受けたのだ。

 いつも、他人との距離を俯瞰ふかんして見ることができる郡から、誰かのことで悩んでいると言われて驚いてしまった。

 相談内容については、美緒先生が教室に入ってきたから、最後まで聞くことは出来なかった。

 今日は契約者から呼び出しもないし、昼休みにまた聞けばいいかと考えていると、さらに驚かされる出来事が発生した。


 あの真面目な郡が、ホームルーム中に携帯をいじって美緒先生に注意されたのだ。

 こんなに驚いたのはいつぶりだろうか。

 まあ、そのおかげで昼は一緒にできなくなったのだが……今度俺も携帯いじってみたら、美緒先生とお昼一緒にできるかな?

 と、いけないことを考えてしまったが戻ってきた郡にやめたほうがいいと注意された。


「僕も幸介を見習い、親しみを込めて古町先生のことを『美緒先生』と、呼んでみたんだけど――」


 と。いや、あり得ない。

 今までの郡なら冗談でも先生のことを名前で呼んだりしないはずだ。


 そしてその郡は、古町先生と放課後デートをするらしい。

 く……何て羨ましい――。

 結局相談内容の詳細は聞けなかったが、解決したなら出しゃばることもないか。


 夜、後は寝るだけの状態で、ここ最近のことを考えてみても――。


「やっぱり、何かが動いている気がする。俺でも、契約の影響でもない何かが」


 もしかして、郡を悩ませたアルバイト先の先輩か?

 でもそうしたら……俺と彼女が交わした契約は悪手だったかもしれない。


「どうしたものか……ん?」


 珍しく電話じゃなくて、ショートメールが郡から届いた。

 郡のことだから、遅い時間で気を使ったのかもしれない。


『幸介、こんばんは。遅い時間にごめんね。話したいことがあるから、明日の朝少し時間もらえないかな? このメールを起きてから見たとしても、気にしなくて大丈夫だよ』


『了解、また明日の朝連絡する』


 郡が俺に対して、何を話すのか想像もつかないが、きっと――。


 今までで一番驚かされることを言われるのだろう。

 そんな予感をさせてから、少し楽しみと感じながら眠りにつく。

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