第21話 曇りもよう

 今住んでいるマンションにはコーヒーメーカーがない。

 そのため普段はインスタントコーヒーを飲んでいる。

 美空みくさんの本を読んで分かったことだが、ひかりさんはいつも『ペーパードリップ』という最も一般的な淹れ方で飲んでいたらしい。

 いわゆる、紙製のフィルターを使用した淹れ方だ。

 ちなみに父さんはカフェインが苦手だった。


 他に、紙ではなくて布のフィルターを使用する『ネルドリップ』。

 最近知った『水出し』や聞いたことがある『サイフォン式』と『エスプレッソ』。

 キャンプなどの屋外で使用される『パーコレーター』など、他にも僕が知らなかった淹れ方や挽き方の種類がたくさん載っていた。

 コーヒー豆の種類だってたくさんあるし、色々と興味引くこともたくさんある。


 朝、カーテンの隙間から光が入り始めたころで、昨日読んだこ本の内容を思い返していると今日もクロコが起こしに来てくれた――。


「ナァ~」


「おはよう、クロコ。今日もありがと」


 今日はすぐに起き上がり、いつもと同じように朝の時間を過ごす。

 玄関でクロコに挨拶をしてから家を出よう……と思ったが、テレビで『晴れのち曇り』と天気予報のお姉さんが言っていたことを思い出したので、カバンから折りたたみ傘を取り除いておく。

 そして再度、クロコに挨拶してから玄関の外に出て鍵を閉める。

 するとタイミングよく1通のショートメールが届いた――。


八千代やちよくん、おはよう! 昨日と同じくらいの時間には図書室にいると思うから、また後でね!!』


 律儀に上近江かみおうみさんがメールをくれたようだ。

 そもそも、僕にメールを送ってくる人は上近江姉妹の2人だけである。

 光さんや美波みなみ幸介こうすけは何かあれば電話で済ませてしまうし、他に僕の連絡先を知っている人はほとんどいない。

 プライベートで限定したらこの5人だけとなるかもしれない。

 そんな僕にとっては貴重なメール相手となる上近江さんに、歩き出す前に返信する。


『おはよう上近江さん。昨日話した通り、教室の机とか整理してから図書室に行くよ。また後で』


 送信確認が出来てから登校開始する。

 外に出ると、夜寝ている間に雨が上がったのか道路に濡れた様子は見えない。

 この朝の時間でも、夏日なつびを超える気温となっているため乾くのも早いのだろう。

 少し風が吹いていれば、洗濯物も1時間あれば乾いてしまう。

 暑いのは苦手だが、そういった面は夏の好きなところかもしれない――。


 信号が変わり横断歩道を渡っていると、日傘を差したスーツ姿の女性とすれ違う。

 最近は女性だけでなくて、同級生の男子もちらほら日傘を差している姿を見かけたりする。

 本当に涼しいのか多少興味もあるが、片手が塞がるのを敬遠してまだ購入するまでには至っていない。

 ただ、週末から7月に突入する。

 最近は日差しも厳しいし、いよいよ夏本番となるだろう。


 美波は日傘を持ち歩いているから、今度感想でも聞いてみようかな。

 そんなこんな考えているうちに学校に到着する。

 古町ふるまち先生にアルバイト申請書を提出するため、教室に行くより先に職員室へ向かう。

 それに図書室の鍵を預けてくれた理由も聞いておきたい。

 ノックしてから職員室へ入り、他の先生方に挨拶しながら古町先生の元へおもむく。


「古町先生、おはようございます。アルバイト申請書を持ってきたので確認お願いいたします」


「八千代君、おはようございます。特に問題もなさそうですね。このまま預かりましょう」


「はい、ありがとうございます。古町先生。昨日、あの後すぐに図書室に行きました」


「何か問題でもありましたか?」


 問題があったとも言えるけど、なかったとも言える。

 上近江さんとしては、問題が合っただろうが今は言わなくてもいいことだ。

 そして腕を組み着席したまま僕を見上げる古町先生。

 話す気がないように見えるな。

 もう少し詳しく聞きたいが、周りに他の先生もいるため大きな声では聞きにくい。

 答えてくれるとも限らないし諦めて撤退の道を選ぼう。


「……いえ、大きな問題はありませんでした。お時間ありがとうございました。これで、失礼いたします」


「貴方には期待しています。八千代君……私の美海いもうとを頼みましたよ」


 古町先生はそう言うと、昨日よりもしっかりした笑顔を僕に見せてから、身体を自分の机に向き直した。

 上近江さんや美空みくさんにも負けないくらい素敵な笑顔に、隣の席に座る男の先生も見惚れてしまっている。

 古町先生が笑う姿は、やっぱり珍しいのかもしれない。

 それと、何を頼まれたのかいまいちピンとこないため、過度な期待は遠慮願いたい――。


 職員室を出た後、いつも通り教室の中を整理整頓してから図書室へ向かう。

 もし大槻おおつき先輩が朝早くから学校にいるなら、今のうちに挨拶に行くのだが大槻先輩は朝に弱い。バイトの出勤が被った時にそう聞いた。


 図書室周りに誰かいないことを確認してから、図書室の扉に近づき鍵を開ける。

 昨日と同じ所に電気がついているので、驚かせないように声を掛けながら向かうが――。


「おはよう、上近江さ……ん」


 最後は声に出ていたかわからないくらい小さくなった。

 電気はついているし、荷物もあるけど上近江さんがいない。

 トイレかなと思っていると――――。


「えいっっ!! えへへ~、驚いた? 八千代くん?? あと、おはようっ!!!!」


 僕の後ろから姿を現し左腕に抱き着いてきて、イタズラッ子な表情で挨拶してくる。

 上近江さんはどうやら、本棚の裏に隠れていてこっそり回り込んできたらしい。

 おかげで少し驚いたかもしれない。

 それに……制服の上からでは分からないが、上近江さんのスタイルの良さが左腕に伝わって来ているため、本当に心臓に悪い。


「とても驚きましたよ。今でも心臓がバクバク鳴っています。とりあえず、恥ずかしいので離れてもらっていいですか?」


 心臓がバクバク鳴っているのは違う理由だけど驚いたせいにしておく。


「んふふふ~、どうしよっかなぁ~~??」


 イタズラが成功して嬉しいのか楽しそうにしている。


「上近江さんは意地悪な人ですね。このままだと話しにくいですよ? それに、あれを見てください」


 右腕に掛けていたカバンをおろして、軽くなった右手で監視カメラに指を差す。

 パッと見で分かりにくく設置されているが、よく見ると監視カメラだと分かる。

 上近江さんは左腕に抱き着いたまま、指の差す方を見て首を傾げている。

 だが、監視カメラに気付いたのか徐々に耳が赤く染まり始めて『バッ』と離れて行く。


「なっ……なんで!? え、カメラだよね?? 本物?? 八千代くん知っていたの??」


「古町先生と女池めいけ先生が、監視カメラがあることを言っていたので本物だと思いますよ。上近江さんは聞いていなかったのですか?」


「私、何も聞いていないよ……」


 さっきの僕と同じで最後は声が小さくなっている。

 僕が来る前に読んでいたと思われる本で、顔を隠し恥ずかしそうにしている。

 ちなみに今日は『わたしンち』ではないと思う。

 カバーがしてあるので分からないけど大きさ的に違う。


「僕は『カメラがあるから悪いことはしないように』って注意されています。上近江さんに伝えていなかったのは、上近江さんと僕への信頼の差かもしれませんね」


「それ、多分違うと思うけど……もしそうだったとしても教えてほしかったようぅっ」


 すると、すぐ横にある椅子の上に置いてある上近江さんの携帯が鳴る。

 音が鳴ったため無意識に見てしまったが、携帯の画面には『美緒みおお姉ちゃん』と表示されていた気がする。

 上近江さんは持っていた本を置いてゆっくりと携帯を手に取り、僕にも見せるように開くと――。


『私しか見ていないとはいえ、美海みう貴女。少し大胆なのではないでしょうか。高校生なのですから節度は守ってほしいと思いますが……私の考えが古いのかもしれませんね。この後カメラは見ないですし美空みくにも内緒にしておきますので、気にせず続けていただいて結構ですよ』


『追伸 朝のホームルームには遅刻しないように』


 2人揃って固まるしかない。

 僕ですら恥ずかしいのだから、上近江さんはどうなってしまうのだろうか。

 もしかしたら、耳だけでなく顔も真っ赤になっているかもしれない。

 見てみたいけど、今上近江さんを見たら間違いなく怒られる気がする。

 古町先生も忙しいはずなのに、カメラはリアルタイムで見ていることに驚いてしまう。

 僕が職員室を出た後に時間を見計らって見ていたのかもしれないが、見ていたのが古町先生だけで、まだよかった。


「……上近江さん。とりあえず、座りましょうか」


「うん……」


 長くはないけど短くもない時間立っていたので、空気を変えるためにも着席を促す。

 上近江さんは小さく頷いてから、3席ある椅子の左に荷物を置いて真ん中に座る。

 真ん中に荷物を置いてほしかったけど、仕方ないので右の椅子に腰を下ろす。


「八千代くん、荷物こっちに置くよ?」


 座ったことで少し落ち着いたのか、僕の膝の上に置いてある荷物を見て気を使って預かってくれる。

 断る事もないのでお願いして、話題を振ってみる。


「ありがとうございます。上近江さん、今日はどんな本を読んでいたのですか?」


「どういたしまして。八千代くんを見習って、私もお姉ちゃんからお店に関連しそうな本を借りてみたの」


 そう言いながら本にかかっているカバーを外して見せてくれる。

 コーヒーとお菓子の組み合わせに関する本のようだ。


「そうだったのですね。その本も面白そうですね」


「本当? 読み終わったら八千代くんにも貸してあげるね!! お姉ちゃんにも伝えておくよ。あと、メールは普通なのにまた敬語に戻しちゃうんだね??」


「ありがとうございます。僕も後で美空さんにお願いしてみます。そうですね、メールから外してみました。少し回りくどいと思いますが、すみません。」


「ふぅ~~~~~~ん?? 八千代くんは、お姉ちゃんのこと下の名前で呼ぶようになったんだぁ??」


「え、はい。昨日、上近江さんのお姉さんだと長いからという理由で、美空さんに名前で呼ぶように言われました」


「ふぅ~ん……なるほどねぇ。あと、2人で紅茶も飲んだんでしょ?? 名前も呼び合うようになって、随分仲良しさんになったんだね??」


 なんだろう、笑っているのに目が怖い。

 言葉の選択を間違えたら大変なことになる気がする。


「……美空さんは年上ですから、僕に気を使ってくれているだけだと思います」


「確かにお姉ちゃんは私と違って背も高くて大人だし、美人だもんね。八千代くん、好きそうだよね。年上の女性??」


 年上とは言ったけど、他のことについては何1つ言っていない。

 年上好きかと聞かれても、小さい頃にした初恋からは誰かを好きになったこともないし好意を向けられたこともないから判断が難しい。

 まあ、話していて楽だし嫌いではないが。

 それよりも早く話題を変えたい。

 このままだと、どこで地雷を踏み抜くか分からなくて怖い。


「……上近江さんも美人だと思いますよ。それに、初恋以来は誰かに好意を抱いたことがないので、年上好きかと聞かれても分かりません」


 さっきから、変わらず笑みを浮かべていた上近江さんの表情が少しだけ崩れた。

 腕を組んで何かを考えているようだ。

 さて、今のうちに何がきっかけでこんな状況になったか思い出せ。

 確か上近江さんが読んでいる本を後で貸してもらう話になり、敬語についての説明をした後だ。

 いつまでも敬語で話さないからか?

 いや、その後の会話では一切触れていない。

 もしかして、上近江さんに許可をもらってからじゃないと、お姉さんのことを下の名前で呼んではいけなかったのか?

 正しいかは分からないけど謝るしかない――。


「八千代くんの……初恋はいつだったの?」


 謝ろうと思ったところで、ピリついた雰囲気が一転して上近江さんは組んでいた腕をとき、探るような表情で僕の初恋について聞いてきた。

 昨日は誤魔化してしまったから、気になっていたのかもしれない。

 小さい頃のことだから記憶もおぼろげで話せることはほとんどないが、話題を変えるチャンスでもあるので乗るしかない。 


「あまり覚えていませんが多分4歳か5歳くらいの時です。母……と、旅行した先で出会った子だったと思います」


 母さんとの楽しかった思い出は、この旅行が最期だったことを思い出しにがい気持ちとなり言葉に詰まってしまった。


「そうなんだね。どんな子だったの? 旅行ってことは、その子とはそれっきり会ってないの?」


 恋話をする相手が僕で申し訳ないけど、楽しそうな表情をしている上近江さんを見ると、やっぱり女の子は恋話が好きなんだなって思えてくる。

 それと同時に、言葉が詰まってしまった母さんについて聞かれなくてほっとする。

 話したところで暗い話にしかならないからな。


「泣き虫な子だったと思います。会えたのもそれっきりです。だからもしかしたら、実は初恋かどうかも少し怪しいかもしれません」


「ねぇ…………八千代くん? 泣き虫な子が好きなの??」


 軽蔑までとはいかないけど、何かを疑うような目をしている。


「いえ、お別れの時に見せてくれた笑顔が綺麗で印象に残っているんです」


 そう言いながら、顔もうっすらとしか覚えていないその子を思い出す。

 最後の笑顔のまま成長していたら、きっと上近江さんみたいなに表情溢れる子になっていたかもなと、考えてしまう。

 もしかしてとも思うけど、現実的でもないし確か年も1つ下だったはず。

 あまり覚えていないと思っていたけど、意外と思い出すことが出来ているな。


「なんかいいね。素敵な話でキュンってしちゃった!! 聞かせてくれてありがとう!! 私も何だか恋したくなったかも!! じゃあ、次の質問です。八千代くんは、今はどんな女性が好き? 同じクラスにいたりして? それともやっぱりお姉ちゃんや美緒さんみたいな大人な女性が好き??」


「えっと、好きな女性のタイプですか……」


 ここまで喜んでもらえたなら、話した甲斐もあったが少し複雑だな。

 あと、上近江さんがその気なら誰とでも恋愛が出来そうな気がする。言ったら頬を膨らませそうだから言わないけど――。


 それにしても困ったな。

 僕は誰かと恋愛出来ると到底思えないし、好みと言われてもさっぱりだ。

 もしも好きな芸能人がいれば、その人を答えることも出来るのだろうが生憎あいにくとテレビも見ないしな……。

 僕が返事に頭を悩ませていると――。


「じゃあ、八千代くんのお母さんはどんな人? よく言うよね、男の子はどこか母親に似ている人を好きになるって」


「………………」


 上近江さんに悪気がある訳ではない。

 純粋に、話の流れとして聞いたのだろう。

 今だって楽しそうにニコニコしながら僕からの返事を待っている。

 だから、普通に。

 僕は何でもないように無難に。

 何なら、上近江さんを揶揄うように『上近江さんみたいに笑顔が素敵な人』と答えても面白いかもしれない。

 そうしたら耳が赤く染まる姿だって想像できる。

 それでいいじゃないか。


 だけど出てきた言葉は――――――。


「上近江さん、すみません。そろそろ幸介こうすけが来ると思いますので、先に教室に戻ります。また、明日からよろしくお願いたします」


「え、まだ時間ある……ごめん、待って八千代くん!! 私何か――」


「ごめんね、上近江さん。鍵お願い」


 結果――。

 何てことないように返事したり、考えていたように揶揄うことは出来ずに、無理矢理会話を終わらせて、その場から逃げる事しか出来なかった――。

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