第12話 アパートに響く声

 仲直りに成功したため、今度こそカレー作りを開始する。

 上近江かみおうみさんから指示された通りに、じゃがいも、人参、ほうれん草を洗っていく。

 ピーラーでじゃがいもの皮を剥いた後は、そのじゃがいもを上近江さんにカットしてもらい、水にさらしておく。

 カレーだからアク抜きや変色は気にしなくてもいいだろうが、一応。

 上近江さんは、慣れた手つきであっという間に玉ねぎをみじん切りにして、次に人参、ほうれん草を処理していった。

 何の曲かは分からないけど、上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる様子を見るに本当に料理が好きなのだろう。

 誰の曲かとか、どの料理が得意とか、聞きたいことが溢れてきたけど、水を差すのも悪いのでそのまま黙って鼻歌を楽しむことにした。


 多分……いや、間違いなくとか矛盾した考えだが、この贅沢極まりない状況をクラスメイトに知られたら、僕は次の日から学校に行けなくなる気がする。

 多分間違いない――。


 それで、カレー作りも大詰め。

 最後に豚肉をひと口サイズに切って、あとは炒めて煮込むだけだ。

 この後の調理も上近江さんがするだろうから、僕はほとんど何もしていないことになる。

 気にしたら負けだが、そろそろ本題に入ってもいいかなと考え話を切り出す。


「慣れた手つきでしたし、上近江さんは料理上手なんですね。それで、カフェでのお話ですが手短に済ませますので先に上近江さんのお姉さんと連絡先を交換した理由から説明してもいいでしょうか?」


「今日はスパイスを使わないお手軽なカレーだけど……料理は好きだから褒めてもらうと素直に嬉しいかも! 八千代やちよくんありがとうっ!! それでだけど――」


 もしかして元バイト先の店長と同じで、スパイスを調合して作るのか聞きたくなったが、話が大きく逸れてしまうため気になるが我慢する。

 上近江さんは、深めの鍋にほうれん草以外の材料を放り込み、ヘラを使って炒め始めつつ、自身の予想を口にする――。


「八千代くん、引き抜き大作戦が成功したとか?」


 何その、壮大な作戦名?

 と、突っ込みは入れず、包丁やボールなどを洗いながら返事を戻す。


「作戦名についてはよく分かりませんが、アルバイトとしてお世話になります。2人のお店なのに上近江さんがいないところで話を進めて、すみませんでした」


「全然だよ! 2人のお店と言ってもお姉ちゃんに任せきりだし。それに、八千代くんと一緒にアルバイト出来るの……私も嬉しいし!!」


 上近江さんに了承されたことでほっとする気持ちもあるが、何より嬉しいと言われたことに対して不覚にもドキッとしてしまった。単純だ――。


「そう言ってもらえると僕も嬉しいです。でも女性限定募集でしたよね? それなのに僕でいいんですか?」


 まさか女装しろだとかは言わないだろうし、お姉さんも答えてくれなかったから疑問が残っていたのだ。


「うん! そもそも女性限定にしていたのは、お姉ちゃんのファンが多いから男性の求人をお断りしていたの。少し前に雑誌のインタビュー? を受けてから色々あって……それで先月は男性のお客様もお断りするような状況でね、あ、今は落ち着いた……ていうよりも落ち着きすぎたから、男性のお客様も受け入れを再開させたんだけどね」


「それは何て言うか、大変な状況だったんですね。お姉さんも上近江さんもお綺麗ですし、その、大丈夫だったんですか?」


「ふふっ、褒めてくれてありがとう。あと心配も嬉しい、かな……それでね、そんなこともあったから誰か信頼できる男性がいるなら、一緒に働きたいって考えていたの。だから私はもちろんのこと、お姉ちゃんが八千代くんをアルバイトにって、決めたなら何も問題ないよ」


 お姉さんが女性限定にしていた理由は分かった。

 道ですれ違えば10人中10人が振り返ると言っても、過言でないくらいお姉さんは美人だ。スタイルもよく大人の雰囲気を持っている。

 そして上近江さんもお姉さんに負けないくらいの美少女だ。

 きっとお姉さんのファンだけでなく、上近江さんのファンもいるはず。

 妹大好きお姉さんのことだから、それも女性限定にした理由かもしれない。


 でもな、僕に決めた理由だけがやはり謎だ。

 自分で言うのも何だが、髪はもさくて、ダサい眼鏡を掛けているし、身長や体格だって平均よりこじんまりしている。

 ただでさえ頼りない見た目なうえ、信頼されるほどの時間を過ごした訳でもない。

 ノートが理由とも言っていたが、やはりよく分からない――。


「八千代くん、ぜんっぜんっ! 全然納得してなさそうだね?」


「えっと、正直に言えばそうかもしれませんね」


「信用や信頼を伝えることって、こんなに難しいんだね。改めて実感したかも」


「何だか面倒な男ですみません」


「ううん、八千代くんが悪い訳じゃないよ。でもそうだなぁ……じゃあ、難しいことはひと先ず置いておいて、ノートとか色々忘れて単純に考えてみない?」


「単純に、ですか?」


 上近江さんは、僕に返事を戻す前に火を止めた。

 そして僕に向かって、何とも強引に主張を始めた――。


「そうっ! 女性限定の求人を止めた時にタイミング良く、八千代くんが面接の応募に来たの。それで何となく私と意気投合して、お姉ちゃんのお眼鏡にも叶ったの。だからウィンウィン? 相互利益? お互い様の関係? よく分からないけど、とにかく一緒に働くことになった。それだとどう? 私は八千代くんと一緒に働きたいなぁ~? ダメ?」


 単純と言うか何というか、色々破綻しているようにも聞こえるし凄く僕に都合の良い展開に思う。何なら、最後はあざとく上目遣いまで活用してお願いを言ってくる。

 自身の可愛さを理解している仕草で確信犯もいいところだが、可愛いから何も言えない。

 ここでもまたお淑やかなイメージが崩れたが、そうだな……上近江さんが僕に気を使って一生懸命説得してくれていることは伝わって来た。

 だから――。

 今は細かい事は脇に置いておいて、単純に『一緒に働きたい』それでいいのかもしれない。


「上近江さんは強引ですね。でも……えっと、改めてよろしくお願いいたします」


「うんっ!! よろしくね、八千代くん!! それじゃあ、あとは煮込んで最後にほうれん草とルウを入れたらほとんど完成かなぁ。ちょっとごめんね――」


 鍋に水を入れるため僕に少しどけるように謝罪してくる。

 そして、適量に水を入れた鍋をコンロに置き、火力を弱火に近い中火に調整する。


「これでよしっと」


「先にお時間頂きありがとうございました。佐藤さんのことですが……僕は佐藤さんとは親しい訳でもないので確証が持てないですが、僕は2人の仲には特別な問題は起きていないと考えています」


「私から聞いたことだから大丈夫だよ。でも、えっと……ごめんね。八千代くんの言ったことが、よく理解できなかった、かも? 私酷いこと言っちゃったんだよ?」


 鍋から僕に視線を移し、不安そうな表情を見せる上近江さん。

 その上近江さんに、話を聞いたうえでの僕の考えを1つずつ確認しながら説明していく。


「おそらくですが、上近江さんは普段誰かに強く反論したりしないですよね?」


「うん――誰かと争ったりするのとかそれを見たりするのが昔から好きじゃなくて」


 何となくだけど、上近江さんの表情が豊かな理由が少しだけ見えた気がする。


「そんな上近江さんに言い返された佐藤さんは驚いたかもしれませんね」


「うん……」


 弱々しい声で返事が戻って来たため、罪悪感を覚えてしまう。


「佐藤さんは友達の意見を真っ向から否定するような人ですか?」


「違う。のぞみちゃんはいつも私の話を目で見てちゃんと聞いてくれるし、困っていたら手助けもしてくれる。とっても優しい子だよ」


 考えていた通り、佐藤さんも人が良さそうだ。

 だとしたらやっぱり、佐藤さんも今頃は上近江さんと同じく落ち込んでいるかもしれない。


「それなら、佐藤さんも上近江さんと一緒で酷いことを言ったと思い込み、今頃は同じように反省して落ち込んでいるかもしれませんね」


「そんなっ! 私より知らない誰かの話を信じているのが少し寂しかっただけで……酷いことを言われた何て思っていないよ。それなのに私……心配で電話してくれた友達に酷いこと言って……」


 ケンカ……とまでいかないけど、今回のように誰かと言い合ったりすることがなかったため、余計に不安になったのだろう。

 豊かな表情でバランスを取って来た弊害かもしれない。


「佐藤さんも心配が行き過ぎて暴走してしまったのでしょう。第三者の感想としては、上近江さんも自分の意見を少しだけ強く言っただけで、酷いことを言っていないと思いますよ。佐藤さんもきっと僕と同じように考えていると思います。さらに今は仲直りが出来るか不安に思っているかもしれません」


「そうかなぁ……?」


 友達の少ない僕でも、当事者でないから客観的に考えることで気付けたのだと思う。

 上手に説明出来たかは不明だが、上近江さんの表情も少しずつ陰りが抜けてきたように感じる。もうひと押し、かもしれない――。


「はい。何なら上近江さん最後はしっかり心配のお礼まで伝えているじゃないですか」


「うん? 当然だよ??」


 不思議そうな表情をしている。

 どんな時でもお礼と謝罪がしっかり出来るのが、上近江さんの良いところだな。


「当然だと言える上近江さんが凄いんです。偶然面接に来た僕とだって意気投合して、さらに仲直りも出来たのですから、上近江さんなら後はもう大丈夫ですよね?」


 凄いジと目で見られているが、その目を逸らさず見つめ返す。

 すると小さく『もうっ』と言って笑みをこぼす。


「八千代くんってズルいよね。でも、ありがとう。私、望ちゃんにちゃんと謝りたい。それで私が嫌に思ったこともしっかり伝える。許してくれるか分からないけど、言い過ぎたこともしっかり謝って仲直りしたい」


「さすがです。ありがとうとごめんねが言える上近江さんを僕は尊敬します」


 左手が、上近江さんの頭の上に伸びそうになったが思いとどまる。

 上近江さんは僕の不審な挙動に『ん?』と首を傾げたが、あまり気にした様子は見せずお礼を言葉にしてくれた。


「八千代くん、話聞いてくれてありがとう!! その、少し電話してもいいかな?」


「もちろんです。鍋は僕がしっかり見守っていますので、気にせず佐藤さんと仲直りしてきて下さい」


 上近江さんは『ありがとう』と言ってから、携帯電話を取りにリビングから出て行く。

 時計を見ると佐藤さんについて話していた時間は5分ほどだと分かる。

 しまったな、カレーが完成したら帰宅する旨を伝えておけばよかった。

 どれくらいで通話が終わるのか……ああ、でも、お姉さんもすぐ帰ってくると言っていたし、問題ないか。


 それなら残りの作業に取り掛かろう。

 鍋に浮かんでいたアクを取り除いてから、火の通り具合を確認するのに人参を箸で刺してみる。うん、いい感じだ。

 鍋にほうれん草とルウを投入して、火力を弱火にする。


 ――ガチャッ。


 と、扉を開く音がしたため、顔を上げると上近江さんの姿が。

 もう電話が終わったのかな? と考える間も無く。

 上近江さんは僕のすぐ隣に戻って来て、電話を掛け始めた。

 お姉さんもそうだったけど、電話する時に誰かが隣に居ても平気なのだろうか。

 僕がいないところで話した方がいいのでは? と、考え、聞こうとしたが――。


『――望ちゃん、こんばんは。今、お時間大丈夫?』


 すでに通話が始まってしまった。

 仕方がないので火を止めて少しでも離れようかと思ったが、僕の様子を察した上近江さんに袖を掴まれたことで阻止されてしまう。


 慣れないケンカ? からの仲直りだから不安なのかもしれない。

 そう考えることにして、僕が静かにカレーを見守る事に決めた。


 なるだけ話は聞かないようにカレーに集中するが、これだけ近くにいるのだ。

 上近江さんの声はどうしても聞こえてしまう。

 最初は緊張と不安そうにしていた様子だったが、段々と声が明るくなってくる。

 少しだけと思い顔を覗き見てみると、ちゃんと笑顔で通話しているのが確認できた。

 無事仲直り出来たのかな。よかった――。


 上近江さんは笑顔が似合うからな、いつまでも暗い表情では居てほしくない。

 仲直りも出来たようだし、カレーも完成した。

 あとは仲直りの報告を聞いたら帰ろう。

 そう心の中で決め、コンロの火を止めて通話が終わるのを待つ――。


『うん。うん! また明日ね、望ちゃん!! おやすみなさい』


 僕の袖から手を離してそのまま通話を切り、携帯をカウンターに置いた。

 そして何故か、再び僕の袖を掴み、さらに目を見て上近江さんが言葉を発した。


「八千代くんの言っていた通りに、仲直りできました。本当にありがとうございました。お鍋もありがとね!」


 少し照れくさそうに、そして不安がなくなったからか綺麗な表情で笑っている。


「そのようですね。僕が原因でもあったし、仲直りが出来たようでよかったです」


「原因じゃなくて、八千代くんは被害者だよっ! だからありがとう。仲直り出来たのは、八千代くんが的確なアドバイスをしてくれたおかげだよ?」


 一番の被害者は上近江さんだと思うけど、言い出してもきりがないので素直に感謝を受け取る。


「はい。では、どういたしまして。上近江さんに笑顔が戻って僕も嬉しいです。ただ、仲直りが出来たのは2人がしっかり謝ることが出来たことが一番の理由ですよ」


「もう……また。すぐそうやって。はぁぁ。私、今日だけで結構、八千代くんのことが分かった気がする」


 ため息をつかれたことには少し納得いかないけど、上近江さんと知り合えたことは素直に嬉しい。


「奇遇ですね。僕も今日だけで結構上近江さんのことが分かった気がしますよ」


「ふぅ~ん? 例えばどんなことが分かったの? 八千代くんから見て私はどんなふうに映ったのかな?」


 僕の袖から手を離し、腕を組み、どこか挑戦的な目を僕に向けてくる。


「気のせいかもしれないですけど、学校での上近江さんと今の上近江さんは随分と印象というかキャラクターが違いますよね?」


「……続けて」


「そうですね、学校では――」


 小柄な体に似合わない圧力を感じたので、要望通りに言葉を続けようかと思ったが、待ったが入る。


「やっぱり続けなくて大丈夫! 八千代くん、また何か変なこと言いそうで怖い!」


「そうですね、学校では誰に対しても――」


「ちょっっ、ちょっと。ちょっと待ってっっッ!!」


 どうしても最後まで言わせてくれなさそうだから1つだけお願いしてみる。


「では、1つだけ。今の上近江さんの方が上近江さんらしくて僕は好きです」


「っっッ!? だから……続けてほしくなかったのに。言っちゃうんだもん、八千代くん!!」


 右も左の耳も真っ赤である。

 ご立腹な様子だけど、自信がなさそうな表情で上近江さんが続けて言う。


「今の私って我儘じゃない? 八千代くんは……迷惑だったり、私のこと面倒に思ったりしていない?」


「はい。全く。これっぽっちも思っていないです。だから、そのままの上近江さんでいてくれたら嬉しいです」


「う……嬉しい、かも。ありがとう八千代くん。でもね!! 学校ではお姉ちゃんみたいに大人の女性のように振る舞っているから、今の私は内緒ね? 望ちゃんには特にっ」


 上近江さんにとって、お姉さんが憧れの女性の姿なのかな。

 学校の人や佐藤さんはどう思っているのだろうか。

 大人の女性に見えているのか少し疑問だけど。

 佐藤さんなら、今の上近江さんを見たら多分もっと好きになると思うけど。

 何となくの勘だけど。

 ただ……自分だけが知っている上近江さんがいることに、くすぐったくも感じる。

 天邪鬼じゃないけど、少しだけ意地悪なことを言いたくなってしまった――。


「ええ、それと――」


「……それと何かな。八千代くん?」


「上近江さん、ブランコも上手でしたよね」


「ぜっっっっっっッッッたい、内緒!!!! もうっっ、意地悪!!!!!!」


 アパートの一室に響く僕への文句。

 そして次には――。


 両耳を真っ赤にさせた上近江さんに、

 小指を取られ無理矢理約束を結ばれることとなったのだ。

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