第11話 上近江さんと仲直り

 僕とは違った良い匂いがするため、無事と言っていいか分からないが目的の学生証を返してもらうことに成功した。

 何となく、近くに上近江かみおうみさんを感じるが……うん。

 自分でも気持ち悪いと自覚して、頭を振り邪念を振り落とす。

 そして上近江さん先導のもと帰路につく。

 時刻は19時を過ぎたところだが、外はまだまだ暑い。

 夜になっても気温はあまり下がらないため、エアコンがない生活はもう耐えられないかもしれない。

 クロコが熱中症にならないように1日フル稼働のため、我が家のエアコンはブラック企業の社員のように働いている。

 電気代が心配だけど、クロコのためだ。頑張って働こう――。


 さて――。

 実はすでに上近江さんを自宅まで送り終えている。

 5分どころか2分と掛からなかった。

 お店を出て少し歩いて曲がったら着いたのだ。

 お姉さんに騙された。何なら上近江さんにも騙されたことになる。

 だから上近江さんには何も話せていないし説明も出来ていない。


 精々『まだまだ夜でも暑いね』くらいしか話せていないと思う。

 どうしたものか――。


 僕の目の前には、オートロックがついていて新しく綺麗な三階建てのアパート。

 そのアパートの3階角部屋、玄関前にいる。

 どうしてこうなった?

 断り切れない僕が悪いのだろう。そんな風に反省していると扉が開く。


八千代やちよくん、お待たせしました。狭い所だけど、どうぞ上がって!」


「……お邪魔します」


 上近江さんに、少し片づけるからと言われたが大して待っていない。

 普段からしっかり掃除をしているのか、綺麗な玄関だ。

 あまり室内を見るのも失礼だろうし、上近江さんの後ろ姿を一点集中で見る。

 それはそれで問題のような気もするが――。

 洗面台でうがい手洗いをした後、廊下を進みリビングに通される。


「私は着替えてくるから、適当にソファにでも座っててね」


 そう――改めて思い返すが。

 何も話せないうちに上近江さん宅に到着してしまい、どうしようかと悩んでいると。


「外は暑いしおうちの中で話そっ」


 僕が男ということを何も警戒していない、とてもいい笑顔で告げてきたのだ。

 もちろん丁重にお断りしたが、上近江さんは納得してくれなかった。

 でも僕も諦める訳にも行かない――。


「さすがに悪いです。話なら帰ってからでも出来るので連絡先を教えてください。え、教えたくない? それなら、もっと危機感もってください。知り合って間もない男ですよ?」


 連絡先云々のところで、大きく首を振られたりなど少し傷を負いながら説得を試みたけど。


「八千代くんなら心配してないよ! それに、お姉ちゃんもすぐに帰ってくるから。ねっ!」


 と、お姉さんに似て強引に押し切られてしまった。

 勧められたソファにも座らず、そのことを思い出し、やっぱり姉妹だなと変に納得してしまう。立ったまま途方に暮れているとリビングの扉が開く。


「もぉ~! 座っててって言ったのに! じゃあ、そこに座って!! はいっ、早く! それで――何から話してくれるの?」


 太ももの位置まである丈の長いシャツ。下は、その長いシャツに隠れていると思われる多分ショートパンツ。夏だからか少し露出が多いように感じる。

 制服の上からでは分からなかったが、スタイルもよくて目のやり場に困ってしまう。

 そしてさらに、座ってと指示された場所は2人掛けのソファ。

 お店の時と同じように上近江さんは左側に座っている。

 左側が好きなのかな、何か理由があるのかなとか、くだらないことを考えていると。


 ――早く!


 と、言われ、右側をぽんぽんと叩き着席を促される。

 お店の椅子に座っていた時より近くて、腕が触れてしまいそうな距離。

 友人でもない男女2人の距離感ではない。

 素直に着席するか悩みつつ、座らないための最後の抵抗を試みる。


「美少女の隣に座るのは恥ずかしいなあ……夜ごはんの準備は大丈夫ですか? 作りながら話しません? 簡単な作業でしたら僕も手伝います」


「もうっ! お店でも隣同士だったでしょ? 私、何度も照れてなんかあげないからね? それよりご飯お手伝いしてくれるの? 今日は遅くなったから簡単にカレーにしようと思っているんだけれど、お願いしてもいいの?」


 何回か耳を赤く染めていたのは、照れていたからだったと判明した。

 どうして耳だけが赤くなる理由はさっぱりだが、今度は赤く染めたりしないで、逆に上近江さんには満面の笑顔で返されてしまった。

 魅力的すぎて僕でなかったらきっと顔をだらしなくして、顔を真っ赤に染めあげただろう。

 お店で話していた時間よりも非日常を感じて、自分でも少し気分が上がっているのを自覚したので、一呼吸して落ち着かせる。


 うん――。カレーなら問題ないはず。


「……ええ、任せてください」


 上近江さんは『やったっ!』と、小さく喜びながら立ち上がりキッチンに駆けて行く。

 1日も終わりが近いのに、元気だなあと思いながらキッチンまで着いて行くと、冷蔵庫から使う食材を手際よく取り出している。


「じゃあ、最初はサラダ……ううん、サラダはお姉ちゃんが帰って来てからでいいかな。今は八千代君と少しでもたくさんお話がしたいし」


 最後は聞こえないふりして問いかける。


「僕はどうしましょうか?」


「じゃあ、私は玉ねぎをみじん切りにするから、その間に八千代くんはじゃがいもと人参とほうれん草を洗ってもらってもいい?」


「ええ、わかりました先生。もう1本包丁もしくはピーラーがあれば皮まで剥いておきますけど? あと、お米は炊かなくても大丈夫ですか?」


「せ、先生ってなにっ!? あと、はいっ、ピーラー! じゃがいもだけ剥いてもらってもいい? あとお米は冷凍があるから大丈夫です!」


「テキパキと指示をしてくれるので、なんとなく調理実習ぽいかなって。あと、雰囲気ですかね? お米は了解です」


「確かに調理実習ぽいかも?? そうしたら八千代くんは私の助手? だね! じゃあ、助手くん、これ着けてね!!」


 図書室で借りた調理本を読んで、皮にも栄養があると知ってから剥かなくなったのだが、どうやら上近江さんのお宅も同じで人参の皮は剥かないようだ。

 舌触りが変わるけど、僕はあまり気にしない。それより手間もゴミも省けるしいいことばかりだ。


 そして、上近江さんから助手認定されつつ手渡された物はエプロンだ。

 上近江さんは、エプロンを手早く身に付け、髪を後ろで1つにまとめ縛っている。

 手慣れた姿が綺麗で、つい目で追ってしまいそうになるがここは我慢。

 さて、僕もエプロンを身に付けるか…………うん。


「んっ、ふふふふっ! やっぱり。私のエプロンだったから、八千代くんには少し小さかったね。ふふふっ! でも、似合っているよ!!」


 可笑しそうに笑う上近江さんに、小学校から使っているエプロンだと追加情報をもらう。

 そっか、上近江さんも誰かを揶揄かったりするのか――。

 新たな一面が知れたことは素直に嬉しいと思う。

 だから、僕も礼儀としてお返しをしてあげないといけないかもしれない。

 きっとそんな礼儀などないだろうが、一応。


「こんな姿を見せただけで、美人な上近江さんの綺麗な笑顔を見れたのです。こんなに嬉しいことはないです。それに、エプロン姿もとてもお似合いです。きっと、将来は素敵な奥さんになるでしょうね。それに――」


「っっッ!! え、ちょっとまっ――」


「1つにまとめた髪型もよく似合っています。普段とは違う髪型も見れて嬉しく思います」


「やっ、八千代くん!! まっ――」


「癖もなく綺麗な髪をしているのですね。きっとどんな髪型にしてもお似合いでしょう。それにお姉さんに似ていますし、上近江さんなら今よりさらに長い髪も似合いそうですね」


「ごめんっ! 八千代くんごめんなさい!! もう、これ以上は……許して、ください」


 許してと言いながら僕が着ているエプロンを両手で掴み、おでこを僕の左肩に当てて顔を隠してくる。

 ソファでの密着を避けたはずなのに、結局密着してしまった。

 予想していなかった密着に焦ってしまう。


 人気者で美人な上近江さんのことだから褒められるのに慣れていると思っていたけど、恥ずかしかったのかもしれない。

 それか、僕が真顔で褒めたことに不快だと感じた可能性もある。

 言い過ぎてしまったことは事実なので反省して謝罪する。


「あの、上近江さん。褒め過ぎました。ごめんなさい」


「…………」


 返事がない。

 やはり怒らせてしまったかもしれない。


「……怒っています?」


「…………」


 まったく反応がないので本格的に焦る。 


「……僕みたいな人に言われて気持ち悪かったですよね。不快にさせてごめんなさい。でも、その、少し距離が近いので、少し離れてもらったほうが――」


「違うの…………気持ち悪いとかじゃないよ? でも、今は八千代くんと顔を合わせたくないから、このままでいさせて」


 顔を合わせたくないと言われたことはショックであるが、浮かれて調子に乗って怒らせたのだから自分が悪い。

 上近江さんを怒らせた僕は、何も言わずこのまま上近江さんが落ち着くまで待つことしかできない。そして、上近江さんが落ち着いたら誠心誠意謝ろう――。


 時計の針が動く音だけが聞こえてくる静かな空間であったが、ふと体が軽くなると同時に、静かな空間に細くて綺麗な声が舞い込む。


「私も揶揄かったりしてごめんね。でも、八千代くんはもっと反省してください。思ってもいないのに年頃の女の子をそんなに褒めたら……あとが大変だよ?」


「はい……上近江さんごめんなさい。許してもらえるなら何でもします。あと、僕は思ってもいないことは言いませんよ」


「……もうっ! でも、本当に何でもしてくれるの?」


「実現不可能なことなどは出来ませんが、僕が出来ことなら何でもします」


「分かった、約束ね?」


 上近江さんと結ぶ約束は、これで2つ目となる。


「はい、約束します。仲直りしてもらえますか?」


「……本当はね、恥ずかしかっただけで怒ったりしていないの。だから私も怒ったふりしてごめんね」


「そうだったんですね。でも怒っていなくて安心しました」


「騙しちゃったこと……八千代くんは怒ったり、してない?」


 親に怒られた子供みたいに、窺うような表情で僕を見てくる。

 もちろん僕は怒ったりしていないし、それよりも早く仲直りをしたい。

 だけど1つ。


「そうですね……僕が約束したように。僕も上近江さんにお願いがあります」


「うん。私に出来ることならするから、何でも言って」


「本当に、いいんですね?」


「うん……私も八千代くんと仲直りしたいから」


 上近江さんは覚悟を決めたような表情で頷いた。


「僕と仲直りしてくれませんか? それが僕のお願いです」


 上近江さんは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をするがすぐに。


 ――もうっっっッ!!!


 と。

 今度こそ本当に怒ったような顔をして、


「何言われるかドキドキしたのに! でも、よかった!」


 そう言ってから、破顔一笑はがんいっしょうを見せたのだ――。

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