第9話 二人のお店で働きたいです

 世界一凶悪で魅力的な脅迫をされた僕は一生懸命に考えた。

 だが人生経験が少なく、考えても分からないことが分かった為、素直に質問することを決めた。


「理解が追い付かないので、いくつか質問してもいいですか?」


「もちろん。答えられることなら、何でも答えるからお好きにどうぞ」


 お姉さんが僕の疑問へ答えてくれるようだ。

 上近江かみおうみさんはと言うと、表情をニコニコとさせ、頭を横に揺らしていた。


「今は外されていますが、アルバイトの募集は確か女性限定だったと思うのですが?」


こうりくんは周りをよく見ているのね、頼もしいわ。尚の事、一緒に働いて欲しいと思っちゃったな」


 煙に巻くような返答。質問に対しての答えになっていない。

 だが疑問は尽きない。ひと先ず次の質問だ。


「……上近江さんのクラスメイトだから雇ってくれようとしているのですか?」


「郡くんだからスカウトしているのよ」


 あまり言いたくないけど仕方ない。


「……僕はミスが多くてアルバイトなのにクビにされてしまう程ですよ?」


「土曜日だよね、聞こえてきたから知っているの。でも、それなら今はフリーってことでしょう? 他でアルバイトしても平気よね?」


 店はカウンターから店内を見渡せる造りになっている。

 盗み聞きするつもりがなくとも、話が聞こえてしまうのは不思議でない。


「……急いでアルバイトを探している訳でもないですし、気を使ってくれているようでしたら気にしないでくれて大丈夫ですよ」


「ふふふっ、気なんてまったく使っていないわよ?」


 今日の少ない時間だけでも、上近江姉妹の二人が優しい性格を持っていることは分かった。

 僕みたいな者に対しても、態度を変えず接してくれる優しさも嬉しい。

 だけど――。同情で採用されるのは違う。

 経営とはそんな簡単なことじゃないはずだ。

 心優しい姉妹に迷惑など掛けたくない。

 だから適当な言い訳をして断わろう。

 返事をする為に口を開こうとするが、お姉さんはまたもやテーブルの下から何かを取り出した。

 それはメモする時などに便利な、見覚えのある小さめのノートだ。


「郡くんのノートだよ。郡くんと一緒にいた男性が置いて帰ったの」


「そうなのですね」


 予想となるが、副店長はノートを忘れた訳でなく邪魔に思い、置いて帰ったのだろう。


「あのノートって、中は全部郡くんが書いたのよね?」


「ええ、そうですけど?」


「悪いと思ったけれど、他にも何か挟まっていたらと考えて中を確認させてもらったの。それでね――」


 首を縦に頷き、次の言葉を待つ。


「とても驚かされたわ。高校生になったばかりの子が書いたとは思えないくらい要点がまとめられていて素晴らしいノートだって」


『ふふふ』と笑ってからもお姉さんの話はさらに続く。


「私も参考にしちゃったのよ? それでね、郡くんがアルバイトしていたお店は駅前にある『ヴァ・ボーレ』というお店じゃない? 裏メニューにカレーがあるお店の」


「はい、そうです。裏メニューまで知っているんですね」


 僕が返事を戻すと、袖を引かれているような感覚に襲われる。

 顔を上近江さんへ向けると、申し訳なさそうな表情をさせていた。


「八千代くん、お姉ちゃん、お話の途中でごめんなさい。友達ののぞみちゃんから着信があって……普段電話もない子で、でも何回も鳴っているみたいで……何か急用かもしれないし、少しだけ電話してきても大丈夫?」


 望ちゃんとは、上近江さんが友達と言っていた佐藤さんのことかな。


「僕に気を使わず、どうぞ電話に出てあげてください」


「私も大丈夫だよ。郡くんのことは任せて美海ちゃんはいってらっしゃい」


「ごめんね、ありがとう。お姉ちゃん絶対お願いね――」


 上近江さんは、お姉さんの耳元で何かを伝えてから店の外へ移動して行った。


「私も少しだけ電話していいかしら? あ、でも郡くんはここに居てね」


 浮きかけた腰を落として、そのまま待つことにする。

 いい機会でもあるし、今のうちに状況整理をしてしまおう――。


 先ず、脅迫のきっかけは副店長がノートを置いて帰ったことだ。

 そのノートをお姉さんが忘れ物と考え預かり、学生証が挟まっていたことを上近江さんが気付いてくれた。

 お姉さんがノートの内容に感心して、アルバイトとして採用してくれようとしている。

 整理してみると至極単純なことだ。

 だが女性限定求人を取り下げてまで、僕を採用するメリットが分からない。

 僕が書いたのは、教わった内容を僕なりに整理してまとめたこと。

 後輩ができた時の為に、分かりやすくしておいた方がいいと考えたからだ。


 次に、散らかっていた事務所や作業場などのバックヤードを整理整頓したことだ。

 使用する道具を作業内容事に収納する場所を決めて管理する。

 賞味期限の長い物の在庫なども『すごい』のひと言だったので、何がどこにあるのかをひと目で分かるようにした。

 その状態を維持する方法を書いている。

 整理整頓したことで、物を探す時間が減り、無駄に在庫を積むこともなくなった。

 店長や他の従業員も感謝してくれたし、少しはお店に貢献できたと思っている。

 僕は接客業で必要となる『笑顔』での接客応対ができない。

 だから他で頑張る必要があった。

 ただそれだけなのだ――。


 肩をトントンと叩かれた為、お姉さんへ視線を移すと、携帯をテーブルの上に置いた。

『おーい、おーい? みくー?』と、相手の声が聞こえるからスピーカー状態にしたようだ。

 けれど、これでは僕にも聞こえてしまう。

 そう思いお姉さんを見るが、気にせず会話を再開させてしまった。


『里ちゃんがいつもいつも自慢している八千代郡くん。私が引き抜いてもいいかしら?』


『え~? それはちょっと難しいんじゃない? だって彼、あたしを尊敬しているし』


『そうなの? それが本当なら難しいかもね』


『そうそう諦めた方がいいよ。あ、でも――』


『でも何かしら?』


 自慢話や引き抜きの話、尊敬どうのこうのについてはひと先ず置いておくとしよう。

 それよりも相手方の声、それに里ちゃんの名前には聞き覚えがある。

 須賀川店長がお客様や他の従業員たちから呼ばれていた名だ。

 諸々を察するに、電話の相手は須賀川店長なのだろう。

 親しい間柄と分かる口調だから、二人は友人同士なのかもしれない。

 関係性が気になる所だけど、それよりも――。

(僕が退職になったと知らないのか?)

 疑問が浮上すると同時に、続きを勿体ぶっていた須賀川店長が返事を戻してきた。


『もしも郡がそっちで働きたいって言うならいいけど……いや、ちょっと待って美空!!』


『いいえ、待ちません。言質取らせてもらいましたよ』


『待って待って待って!! 働いていた?? どうして過去形なのよッ!?』


 お姉さんは須賀川店長へ返事を戻す前に、僕へ声を掛けてきた。


「と言うことで里ちゃんは……郡くんがアルバイトしていたお店の店長のことね。その里ちゃんの許可も貰えたし、うちのお店で働いてくれるかしら?」


「そもそも僕は副店長に退職の旨を伝えていますので許可も何もいらないと思いますが」


 話が聞こえていたのだろう。須賀川店長が大きな声で割り込んでくる。


『ちょっ、ちょちょちょ、ちょっと待った美空!! そこに郡が居るの!? てか退職って何!? 辞めるとか聞いてないんだけどっっ!? やっぱ引き抜きの話はなし! 彼に辞められたらもうお店が回らないの!! それにこんなことが知られたら他の子におこられ――』


『早くケガが治るといいね、お大事に里ちゃん』と、

 話は済んだと言わんばかりに、お姉さんは電話を切ってしまった。

 だがすぐに着信音が響き、それを切るお姉さん。暫し、それが繰り返されていく。


 つまり副店長は須賀川店長に相談せず、独断で僕に退職勧告したと言う訳か。

 それなら戻れる可能性も――いや、期待は止そう。

 それに経緯はどうであれ、自ら退職する旨を申し出たのだ。

 今さら掘り返しても良い結果にはならない。

 本音を言えば、副店長と働きたくない気持ちが強い。


『ふぅぅ……』と溜め息を吐いたお姉さん。

 テーブルに置かれた画面に、電源を落とす時の文字が見えた。

 お姉さんは携帯から僕へ顔を向け、突拍子もないことを告げてきた――。


「以前の時給の倍出すわ」


 倍の時給は破格の条件だ。

 美人姉妹と一緒に働ける上に魅力的な時給。

 待遇の良さに断る理由がない。

 けれど、僕にとって良い話過ぎる。


「すみませんが、少し考えさせて頂きたく――」


「高い時給に年上の美人店長。加えてクラスメイトで天使のような美少女。魅力的な職場環境や条件で働けることに何か不満でもあるの?」


 僕の心を読んだかのように言葉を被せてきた。

 全て事実であるから否定などできないのだが。


「お姉さんがおっしゃったように、不満はないです」


「それならどうして即決してくれないの?」


「疑問が残っているからです」


「可能な限り答えるから聞かせてちょうだい」


 それから、ノートを見たことだけが理由なのか。

 倍の時給を出すと言われても不安であること。

 裏がありそうで不安なことを、素直にお姉さんへ伝えると、焦ったような表情をさせながら返事を戻して来る。


「郡くんのことも考えず、性急に話を進めてごめんなさい。でも、郡くんに働いて欲しいと考えている気持ちは本当。時給に関しては、それだけの能力があると考えたから。裏があると思わせてしまったことに対しては、信用してとしか言えない」


 人の良さそうなお姉さんが僕を騙すとは思えない。

 騙したところで意味もない。

 お姉さんの言うことは全て本当のことなのだろう。

 そう思いたいけど、話せば話すほど『僕でいいのか?』という気持ちが強くなる。


「……話していて気付いていると思いますが――」


 自ら好んで話したくない内容。

 そのため言葉に詰まってしまう。

 お姉さんは口を挟まず、僕が続きを話すのを待ってくれている。


「僕は笑わないのではなく笑えないんです。接客業としては致命的だと思います」


「何も笑顔だけが接客に必要なことじゃないと思うの」


「そうかもしれません。ですが怖くはありませんか? 今日見ているだけで気付きました。妹さんを大切に思っていますよね? 今日知り合ったばかりの無表情で気味の悪い男が、近くにいることへ不安はないのでしょうか? お姉さんは平気なんですか?」


 一切変わることのない表情。

 さらに感情が抜け落ちた抑揚のない口調をして淡々と確認する。

 お姉さんは即答せず、ほんの一瞬だけ哀しそうな表情を浮かべた。

 それから、言葉を選んでいるのか左右に目を泳がせ始めた。

 これまでも、今と似た質問をぶつけたことがある。

 多くの人は決まって、『そんなことない』『全然気味悪くない』『でも、いい人じゃん』と、根拠もないことを言って誤魔化そうとした。

 別にそれが悪いことだとは思わない。

 知り合って間もないのだから、空気を読み当たり障りのないことを言うのも大切だ。

 立派な処世術だと分かってはいるが、僕はそう答えた人と一定の距離を置くようにしている。

 期待してしまうと、そうでなかった時に疲れてしまうから――。


『ごめんなさい』と謝罪を口にしたお姉さんへ顔を向ける。

 泳がせたりしない、力強い目と視線が重なった。

 それからお姉さんは、ノート以外の理由を答え始めた。


「言い難いことを言わせてしまってごめんなさい。実はね、郡くんの働きぶりについて里ちゃんがよく自慢していたから、郡くんのことは以前から知っていたの。表情は乏しいけど、凄くいい男の子が入ったって」


「自慢してもらえるほどの働きぶりでは――」

「ううん、最後まで聞いて」


 話途中で口を挟むのは僕の悪い癖かもしれない。

 それを自覚してから黙って続きを待つ。


「知っていたとは言っても姿や名前は知らなかった。でも、この間の土曜日に男性と一緒にお店に来てくれたでしょう? その男性とは、私がまだ大学生の頃に一度だけ里ちゃんを通して面識があったから知っていたの。それで『ピン』と来た。この子が里ちゃんの自慢する子なんだって」


 須賀川店長と姉弟である副店長だから、お姉さんと面識があっても不思議ではない。

 男性アルバイトは僕一人だけ。

 加えるなら、乏しい表情がヒントにもなり噂の人物イコール僕八千代郡に繋がったのかもしれない。


「表情については理由があるのでしょう?」


「ええ、まあ……」


「今はまだ知り合ったばかりだから教えて欲しいとは言えない。でもね、その理由を知るまでは郡くんに対して気味が悪いかどうかの判断を下すことはできない」


 聞かれたら答えるけど、暗い話にしかならないから避けたい話でもある。


「だけどね――今日実際に話してみて分かったこともある。郡くんが礼儀正しくて真面目な性格な子なんだってこと。里ちゃんが自慢していた通りだったって」


 僕のことで何か自慢するようなことは考え付かないけど、お喋りな店長が話を大きくして語っている姿は想像ができる。


「まだ理由はあるの――詳しいことは私の口から言えないけど、郡くんと美海ちゃんは……似ていると思うの。郡くんから『笑えない』って話を聞いて、増々そう感じた」


 気のせいかと思える程の一瞬、どこか物憂げな表情を見せたお姉さん。

 一見すると似ても似つかない二人。

 それに対して似ていると言う理由は、上近江さんが作り出すさまざまな表情にも、何か事情や苦悩があることを差しているのかもしれない。


「ハッキリした理由は分からない。でも、郡くんと話している美海ちゃんは自然な笑顔を浮かべているのよ。手を繋いで現れたことは本当に驚かされたんだからね?」


 繋いだと言うよりは、手首を引かれたの方が正確だけれど、お姉さんからすると大きな違いはないのだろう。


「……上近江さんが気さくなだけでは?」


「私に似て――と言うよりも、私の教えで美海ちゃんはガードが堅いのよ」


「そう、ですか――」


 幸介も言っていたな。

 上近江さんのガードが堅いのは有名だと。

 今のところ疑わしくもある情報だけれど。


「私が郡くんに働いて欲しいと考える最大の理由、それは美海ちゃんが郡くんに心を許している様子が見えたから。私は美海ちゃんが大切なの。だからこれは打算なのよ。私たちには郡くんが必要なの」


 お姉さんの言うことが本当だったとしても、上近江さんが僕へ心許したように接してくれる理由が分からない。

 けれど――お姉さんは適当に誤魔化さず、目を見て今は判断ができないと言った。

 僕を必要だとも言ってくれた。


 昔母さんに捨てられたあの日から、僕を必要としてくれた人は幸介と義妹。

 それとクロコだけだ。

 そのせいか、何か込み上げてくるものを感じてしまった。


「私はね、郡くん? 言うには恥ずかしいけれど、私個人の気持ちを言わせてもらうとね……」


「はい」


 お姉さんの頬が見る見るうちに染まり始めている。

 何を言われるのか、少し怖い。


「その、美海ちゃんと郡くん二人を近くで見ていたいなって思ったの。可愛いのよ二人とも。ごめんね、勝手な理由で――」


 染まり切った頬を見るに恥ずかしかったのだろう。

 お姉さんは両手でパタパタと顔を扇ぎ始めている。

 上近江さんが可愛いことは確かだ。

 でも僕の何が可愛いのかは理解できない。

 分からないこともまだ多い。

 ただ、最後の言葉でお姉さんの本音や誠実な思いが伝わってきた。と、思う。


「……教えてくれてありがとうございます。僕でよければ、二人のお店で働かせて下さい」


「……本当に? いいの?」


「ええ、是非お願いします。できる限り頑張りますので」


「はあぁーー……よかったぁ。こんなに緊張したのコンテスト以来かもしれないわ。郡くん意地悪なんだもんっ」


 唇を尖らせ不満を訴える姿は年齢より幼く見えるが、それすらも魅力的な女性に映る。

 上近江さんが見せてくれた表情にも当然似ており、姉妹なのだなと改めて思わされた。


「生意気なことを言ってすみませんでした。怒っていますか?」


「郡くんはどう思う?」


 質問に質問で返さないでほしいが、膨らむ頬を見ながら素直に返答する。


「お姉さんと上近江さんが怒る姿はあまり想像ができないですね。あと美人が頬を膨らませても可愛いだけですから、怒っているようには見えないですね」


「私って今もしかして郡くんに口説かれているのかしら? でもそうね、美海ちゃんは私以外に怒ったりすることはないかなぁ」


「さっきの上近江さんとお姉さんのやり取りをみると、口説かれているのは僕になると思いますよ?」


 上近江さんが怒る姿は想像できない。怒るよりも笑顔の方が似合う子だ。


「ふふふっ。やっぱり郡くんは意地悪な人なんだね。お姉さん一本取られちゃったな――」


 内容の無い会話を繰り広げつつ、時給や諸条件の話へ移行しようというタイミングで、扉を開く『チリンチリーン』と音が鳴った。

 通話を終わらせた上近江さんが戻って来たのだ。

 だが、その表情は曇っており、口も一の字に閉ざした状態である。

 曇らせている原因として思い付くことは電話だけど、僕が聞いてもいいのだろうか。

 勘違いかもしれない。

 けど、重なる視線からは『聞いてほしい』そんな意味が伝わってきた。

(まあ、嫌なら答えないよな)


「上近江さん、おかえりなさい。何かあったのですか?」


「ん……ただいま。流すことのできないことを言われちゃって……」


「佐藤さんにですか?」


「うん。それで、つい、怒っちゃって……望ちゃんに酷い事を言っちゃった。どうしよう……」


 思わず顔を見合わせる僕とお姉さん。

 今さっき『上近江さんは怒ったりしない』と言っていたばかりだから驚いたのだ。

 顔を見合わせていることが不思議なのか首を傾げる上近江さん。

 その上近江さんへ、正真正銘『お姉さん』を思わせる優しい微笑みを浮かべてからお姉さんが言った。


「コーヒーのおかわり淹れるわね」

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