第8話 脅迫されてしまいました
先ず、カップの取手を三本の指で持ち、火傷に気を付けてコーヒーを口に含む。
香りと共にコーヒー独特の苦みが舌いっぱいに広がるが、豊かなコクを感じる。
酸味が少なく、チョコレートを主役として引き立てるような味わいだ。
(何これ美味しい)
当然だが、普段飲んでいるインスタントコーヒーとは大違いだ。
土曜日では味わえなかったコーヒーの美味しさへ感動を覚えてから、お裾分けして頂いた、お礼に持参したチョコレートを食べる。
「コーヒー、とても美味しくて驚きました。チョコレートとも相性抜群ですね」
「ふふ、気に入ってもらえたなら良かったわ。
「インスタントばかりですが、朝夕と飲んでいました。最近は紅茶にハマったので、朝はコーヒー、夕方は紅茶って感じです」
「だから様になっているのね。紅茶はよく分からないのだけれど、どんなのが美味しいの?」
「いえ。僕もまだあまり詳しくはありませんが、そうですね……今日のようなチョコレートに合う物でしたら、王道ですがアールグレイやアッサムとかが合うと思います」
「教えてくれてありがとう。今度美海ちゃんと飲んでみるわね」
僕とお姉さんが繰り広げる当たり障りのない会話。
その会話に上近江さんも混ざってくる。
「八千代くんはどんな紅茶を好んで飲んでいるの?」
「それを探している段階かもしれません。
「あ~? 子ども扱いしたでしょう?」
「いえ、可愛らしい反面意外でしたので。不愉快にさせたならすみません」
照れた様子を見せた上近江さんに『意地悪』と言われてからも続く当たり障りのない会話。
髪を耳に掛け、幸せそうな表情をしてチョコレートとコーヒーを味わう上近江さん。
どこか色っぽい仕草なのに表情は無邪気そのものだ。
相反する魅力の同居こそが上近江さんの魅力を一段上へと惹き立てているのかもしれない。
そんな上近江さんを優しく微笑みながら見ているお姉さん。
美人なこともあり、姉妹二人仲良くしているだけで絵になる光景。
そこに混ざる僕は何とも場違いで不釣り合い、不純物のように思えてしまう。
ネガティブな考えが頭をよぎり、居た堪れなくなってしまう。
(飲み終わったら帰るか)
一気に飲み切ろうとカップへ手を伸ばすが、上近江さんによって待ったが掛かる。
「チョコレート美味しかった~、八千代くんご馳走様でした」
「いえ、僕こそご馳走様でした」
「それで、お姉ちゃんが淹れてくれたどうだった? 美味しいよね?」
「はい、これまで飲んできたコーヒーで一番の美味しさでした」
「良かった! 私ね、毎日飲めて幸せなの」
「羨ましいですね」
「それならまた今度お店に来てね? そうしたら、またこうしてお話できると思うし」
素晴らしい営業力による魅力的な提案の為、即答で頷きたくなった。
「――そうですね、機会があればまたお邪魔させてもらいます」
『えへへ』と嬉しそうな表情を見せていた上近江さんだったが、一転してその表情を曇らせ、さらには頬を膨らませ始めた。
「八千代くんは『機会があれば』って、言葉好きなの?」
「えっと……」
ブランコの時にも言った僕の逃げ口上が不満なのだろう。
けれどこうして話しているだけで、非現実的な出来事なのだ。
到底確約などできないから気軽に約束を結べないと考えたのだ。
『むぅ』と怒る上近江さんに、どう返事を戻すかどうか言葉を詰まらせていると。
「郡くん、私が淹れたコーヒーを褒めてくれてありがとう。それと美海ちゃん。郡くんにも都合があるのかもしれないのだから、あまり無理を言ったらダメよ?」
「……八千代くんごめんなさい。責めるつもりはなくて。その、ちょっぴり寂しかったから」
「いえ、上近江さんが謝ることではないです。僕が優柔不断なだけですから」
「それでも、ごめんなさい。八千代くんと話せたことが嬉しくて、舞い上がったりして」
どちらかと言えば――。
(舞い上がっているのは僕の方なのだけれど)
とは言えず、けれどこのままでは謝罪合戦になりそうだなと考えると同時に、お姉さんが仲裁に入る。
「は~い、そこまで。二人とも悪くないのだから、この話はお仕舞いにして楽しいお茶会にしましょう?」
二人口を揃えて『はい』と返事する。
短いながらも返事が揃ったことに驚き、上近江さんへ顔を向けると今度は視線が重なる。
少し気まずい。いや、それよりも恥ずかしい気持ちが強い。
「えっと、見つめ合っているところに割り込んだりして悪いのだけれど――」
お姉さんの言葉で上近江さんが慌てて視線を外した。
「美海ちゃんは確か、郡くんとあまり会話したことがないって言っていたような……でも、お姉ちゃんの目には二人が随分と仲良しさんに映るのだけれど?」
「お店に来るまでに、仲良しになれたんだと思うよ」
そうか、僕は上近江さんと仲良しなのか。
同意して引かれても嫌だから、このまま黙って会話を見届けよう。
「来るまでに何かあったとか? お手てを繋いでお店にも現れたわけだし」
「手、手はただ……逸れないようにってだけ! 八千代くん寂しそうなお顔していたし」
二つの意味でその言い訳は厳しいですよ上近江さん。
「へぇ~? それで?」
「……八千代くんはね、お姉ちゃん? 私の目を見て話を聞いてくれるの。初対面とは思えないくらい話しやすくて、聞き上手だったからだと思う」
「そうですね、同じクラスですし僕の勘違いでなければ初対面ではないと思います」
見届けると決めたのに、堪らず割り込んでしまった。
「んんっ、間違えただけ! でも……変なこと言ったりしてごめんね」
「褒められた照れ隠しで言っただけなので、気にしないでください」
『もうっ!』と、少しだけご立腹な姿を見せてから、上近江さんはカップへ手を伸ばす。
僕も釣られてカップを手に取り、僅かに残っていたコーヒーを一気に飲み干す。
空いたカップを置くと、柔和な笑顔を浮かべたお姉さんと目が合う。
その表情はどこか意味深にも見える。
警戒する気持ちで目を合わせていると。
『ふふ』と笑い、お姉さんはテーブルの下から紐の付いたカードケースを取り出した。
カフェとかで店員さんが首から下げるネームプレートのような物に見える。
(どうして僕の学生証が入っているんだ)
疑問に思っていると、今度はそれを上近江さんの首に掛けた。
さらに今度は平仮名で『やちよ』と書かれたカードケースサイズの紙を、テーブルの下から取り出し僕に手渡してきた。
疑問が増えるばかりで、混乱に陥っている僕へ上近江さんが言った。
「ねぇ、八千代くん?」
「え、はい。なんでしょう?」
上近江さんは返事を戻さず、お姉さんと二人、目で会話を始めた。
「美海ちゃんいいかな?」
「うんっ、賛成!!」
何がいいの? と聞く前に、姉妹は声を揃えてとびきりの笑顔を向けてきた。
「「学生証を返してほしかったら、私たちに雇われてね」」
「…………はい?」
ある意味で凶悪そのものかもしれない。
その笑顔は今日一番、魅力的で破壊力抜群の笑顔だった。
つまり僕は、学生証を受け取りに来た結果。
理由も分からず『雇われろ』とおかしな脅迫をされることになったという訳だ――。
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