第7話 不思議なお茶会が始まるようです
「お姉ちゃんいる~? 八千代くん連れてきたよ~!!」
見覚えのある緑と花の蔦で作られたトンネルの奥から元気な声が聞こえてくる。
『元気な』とは思ったが、
銀鈴のように澄み取った綺麗な声だから届いて来たのだろう。
(やっぱりあの時落としたのか)
上近江さんが姉妹で働くカフェ。
上近江さんのお姉さんのことだから、綺麗な人だと予想ができる。
加えて隠れ家的なカフェと言っていた。
見覚えのある道を歩いて行くうちに、土曜日に来たばかりの、美人店長がいるお洒落で隠れ家的なカフェに行ったことを思い出していた。
副店長へ返却したノートは、学生証と同じカバンの内ポケットに入れていた。
つまり、取り出した拍子に学生証を落としてしまったのだろう。
ここまで予想を立てたはいいが、苦い記憶までも思い出したせいで躊躇してしまう。
ひと先ず、お礼の品をカバンから取り出しておく。
進もうか悩んでいると、トンネルの奥から上近江さんが小走りに戻って来た。
「八千代くん、置いて行ってごめんね。今度は一緒に行こうっ!!」
「えっと、上近江さん――」
返事を戻すよりも先に、ご機嫌な様子をした上近江さんに左手首を取られてしまう。
微笑みはするけど、触れさせない、呼ばせない、付き合わない――難攻不落鉄壁の姫。
その異名はどこへ行ってしまったのか。
上近江さんは、戸惑う僕を連れ出すように進んで行き、一気にトンネルを潜って行く。
開放された状態の、木目調の扉を越えると、カウンター席のテーブルを挟んだ向こう側に、ソファ席へ案内をしてくれた女性の姿が見えた。
そして上近江さんは、僕の手を解放させ、女性の前へ移動し行く。
つまりこの綺麗な女性がお姉さんなのだろう。
お姉さんの身長は僕と同じくらいに見えるから、背丈は似ていない。
でも、こうして並んでいると姉妹だと分かる。
(とんでもない姉妹だな)
思わず外した視線を会計機へ向けると、アルバイト募集のはり紙が剥がされていた。
意を決し姉妹の方へ顔を向け直すと、上近江さんに呼び掛けられる。
「八千代くんはここに座って!」
手の平を向け指定された席は上近江さんの隣。
少々ハードルが高いように感じる。
ひと先ず、席の前まで移動する。
「ありがとうございます上近江さん。先にご挨拶からさせて下さい」
了承を得たので、お姉さんへ顔を向けて挨拶を送る。
「かみお……
カバンから取り出しておいたリンツのチョコレートを紙袋に入れたまま手渡す。
思わず『美海さん』と言い直してしまったが、先に了承を貰えばよかった。もしくは『上近江美海さん』とフルネームで言ってもよかった。
「はい、美海ちゃんの姉でこのお店の店長でもある
先日よりもずっと柔らかい笑顔をして、チョコレートを両手で受け取ってくれる。
危うく副店長の二の舞になるところだったが、ギリギリのところで耐えることが叶った。
「上近江さんも改めてお礼を言わせて下さい。学生証を拾って下さりありがとうございます」
「ううん、私はただノートに挟まっているのに気が付いただけだから」
副店長へ返却したノートに、学生証が挟まっていたことへ気が付いたということは、副店長はノートを忘れたもしくは、敢えて置いて帰ったのかもしれない。
「それでも助かりました」
「それなら、どういたしまして。でもお店まで呼んだりして迷惑じゃなかった? 私からお姉ちゃんに文句言うから、ハッキリ言ってくれていいからね?」
「いえ、むしろ都合が良かったかもしれません」
教室で直接学生証を返されたら注目を浴びてしまう。
嫌われ者と人気者が話しているだけで変な目を向けられてしまう。
無駄に男子から嫉妬を買うような真似は避けたいし、何より上近江さんに迷惑を掛けたくない。
『え~?』と唇を尖らせて不満を訴える上近江さんへ、お姉さんは柔和な笑顔を向けてから、僕へ声を掛けてくる。
「来てもらって正解だったみたいだね。郡くんもどうぞ座って。美海ちゃんも食べたそうにしているようだしコーヒー淹れるね。それでチョコレートは三人で頂きましょう」
「いえ、邪魔したら悪いので学生証を返してもらえればすぐに帰り――」
「砂糖とミルクはいる?」
言葉を被せてきたうえに、いきなり下の名前で呼ばれたことに驚く。
長居するつもりはなかったから着席せずにいた。
だが、有無を言わせない目力を感じたので大人しく指示に従うことにした。
にこやかな笑顔で僕を見ているお姉さんへ、砂糖とミルクは不要だと伝えてから、座り心地の良さそうな椅子に着席する。
「………………」
『ジッ』と見られている。
顔の側面に視線が突き刺さっている。
上近江さんが座る椅子から、一つ空けた位置に座ったのが気に入らなかったのかもしれない。
横目でチラッと見ると上近江さんは真顔だ。
さまざまな表情を見せてくれる上近江さんの真顔は、ある意味新鮮だ。
「八千代くんって、結構イジワルなんだね?」
そう言って頬を少しだけ膨らませた上近江さんは席を一つ詰めて来た。
詰めて来たことで起きた風に乗り、シトラスの匂いが運ばれてきて、鼻翼の先をくすぐる。
(好きな匂いかもしれない)
向日葵がイメージされる上近江さんに合っている匂いだ。
もう少し香りを楽しみたい気持ちになったが、コーヒーの香りが漂い始めてきた。
こちらはこちらで香ばしくて落ち着く匂いだから堪能したくなるが、上近江さんへ返事を戻さなければならない。
「上近江さんのような美人が、すぐ隣にいると緊張してしまいますので」
「んんっ!? それ、学校の前でも言っていたよね!? 私背も低くてちんちくりんだよ?」
ちんちくりんって言い方が妙に可愛いと思ってしまったが、背が低いことを気にしているようなので、あまり広げない方がいいかもしれない。
他に気になることもあるし違う話題を振ってみよう。
「そう言えばで思い出しましたが、あの公園はたまたま辿り着いたのですか? 初めからあの場所を目的地にしていたのですか?」
「……私の質問にはスルーしたのに、質問で返したりするんだ?」
気を使ったことが裏目に出てしまったようだ。
どう言い訳したものかと。頭を悩ませているうちに、上近江さんは理由を語り始めた。
「前に……前にね、学校の男の人に後を着けられた時があって――。家を知られたくもなかったから、歩き回っているうちに偶然辿り着いたの。人もめったに来ないし屋根やベンチもあって、ゆっくり本を読んだりするのに丁度いいの」
「それは……大変……でした、ね」
気の利いた言葉を掛けることもできず、ただ返事するだけで精一杯だった。
上近江さんは『ありがとう』と言って、さらに言葉を続ける。
「あの場所は、ちょっと疲れた時に行く私の秘密の公園かな? だからね、誰にも言わないで二人だけの内緒にしてね、八千代くん?」
今日見た笑顔の中でも一番寂しそうに笑って見せた上近江さん。
人から注目を浴びるということは、良いことよりも大変なことの方が多いのかもしれない。
クラスメイトや先輩から毎日のように声を掛けられ、僕や周りの人が知らない苦労や悩みを人知れず抱えている。
それでも、いつも嫌な顔一つ見せず過ごしている上近江さん。
僕がした些細な質問へ答える為に、悩みを吐露して秘密を教えてくれたのだ。
僕はその分だけでも、この人に誠意を示さなければならない。
「……信じてもらえるか分かりませんが、秘密の場所は誰にも言いません。それと――」
瞬きもせず僕を見て、次に続く言葉を待っている。
「人より少し小柄なだけで、上近江さんが美人だという事実は揺るがないです。むしろ大幅にプラスな面でもあります」
「ンンン!? んえ、え……八千代くん!?」
お互いに向き合っているからよく分かる。
上近江さんの両耳が、先の方から染まり始めている。
美人だと言われ慣れているだろうから、平気かと思ったが、上近江さんはピュアなのかもしれない。
「二人だけの秘密って少し嬉しい気もするし、むしろ僕から秘密でお願いしたい。だから上近江さんも誰にも言わないでね?」
自分で言って気持ち悪いと自覚する。
敬語を取り外したことで、距離を縮めてきたと、受け取られたかもしれない。
これで引かれたら仕方がない。
でも何となく――何となく、上近江さんは引いたりしないと思う。
いや、思いたいのかもしれない。
「…………やっぱり八千代くんは意地悪な人だ」
意地悪を言ったつもりなどなかった。
だが上近江さんは、僕の目と首の辺りを交互に見ながら断言した。
困ったな、そう思いながら首を掻いていると、会話を見守り静かにコーヒーを淹れてくれていたお姉さんが、僕と上近江さんの前にコーヒーを置いた。
「美海ちゃん? 私より先に郡くんのことを口説かないでほしいな。お姉ちゃんが郡くんとお話したくて呼んだのになぁ?」
「くっ、口説いていないからっっ!? 変なこと言わないでお姉ちゃんっ!!」
お姉さんへ全力否定してから、僕へ顔を向け告げてくる。
「八千代くんもお姉ちゃんの言う冗談を信じたりしたらダメだよ?」
「ええ、もちろんです」
どちらかと言えば僕が口説いているような発言でもあったのだから勘違いなどしない。
「……少しくらいは信じてくれてもいいのに」
唇を尖らせて、小さな声で言ってきた。
「……揶揄わないでください」
「ふふふ、二人のやり取りは可愛くてずっと見ていられるけど、そろそろ私も混ぜてもらいたいな」
僕と上近江さんを見て可笑しそうにクスクスと笑うお姉さん。
お姉さんが、奥から持ってきた椅子に座った所で、三角形の形で三人だけの不思議なお茶会が始まることになった――。
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