第6話 どうやら以前に会ったことがあるらしい

 公園の外で佇む僕に気付いた上近江かみおうみさんは、緩ませていた頬を硬くさせた。

 硬くさせたのは表情だけでなく、硬直しているのか両足もピンと伸ばされたままだ。

 漕がれることのなくなったブランコは、徐々に勢いを無くして行く。


 完全に止まると、上近江さんはゆっくりとブランコから降り、前髪を整え、スカートの後ろを掃い、最低限に身だしなみを整えてから歩いて来る。僕も公園へ足を踏み入れ、砂を踏む音を立てさせながら、上近江さんへ向かって歩く。

 正面まで近付き立ち止まり、遅くなったことを謝罪する。


「上近江さん、遅くなってごめんなさい。赤信号で足を止められてしまって――」

「違うの八千代くん。ベンチに塗りたてのはり紙がしてあってね、仕方なくブランコに乗っただけなの」


 謝罪を送った僕の言葉へ被せるように、上近江さんはブランコに乗っていた言い訳を始めた。

 顔をベンチの方へ向けると、確かにはり紙らしき物は見えた。

 けれどその言い訳は苦しい。

 あれだけ頬を緩ませていたら、『仕方なく』の言葉に信ぴょう性が欠けてしまう。

 だが、真っ赤に染まる耳を見てしまえば、そんな突っ込みなどできなくなってしまう。

 ゆえに僕に許された返答は決まっている。


「そのようですね」


「えっと……八千代くんもブランコに乗る?」


「え……どうしてですか?」


 突拍子もない提案で、思わず冷たい返答になってしまった。

 けど上近江さんは気にした様子など見せず、いじけたように唇を尖らせて、提案を通り越す命令を下してきた。


「八千代くんもブランコ乗ってよ」


「えっとですね……」


 高校生にもなって、無邪気にブランコを漕いでいる姿を見られて恥ずかしかったのだろう。

 ましてや同じクラスだけど、接点のない異性に見られたのだ。

 よほど恥ずかしかったのかもしれない。

 不満を訴える顔すら魅力的な上近江さんの願いは、叶えた方がいいのかもしれない。

 けれども、急な無茶ぶりには困らされてしまう。

 だが返答までに残された時間は残り僅かのようだ。


『ジッ』と見られている。

 それに頬も少しずつ膨らんできている。

 この白く柔らかそうな頬がどこまで膨らむのか気にもなるけど、今は返事をして話を進めてあげた方がいいのかもしれない。


「……今は遠慮しておきます。それよりお話ってなんでしょうか? ここで聞いても大丈夫ですか?」


「八千代くんはどうして敬語なの? 同じクラスで同じ年齢だから普通にお話したいけど、私も敬語で話した方がいいかな?」


「敬語は癖みたいなもので。ですから、上近江さんは僕に気にせず好きなように話してくれて大丈夫ですよ」


「そっか、それならそうしようかな――」


 ブランコの話題が逸れたのは良かった。

 けれど上近江さんの話したい事については不明のままだ。

 まさか敬語の有無が用事って訳じゃないだろうし。


「それでブランコだけどね、『今は』ってことは後日ならいいの?」


 全然ブランコから逸れていなかった。

『ん?』と言って、ニコニコとさせた表情で覗き込むように僕を見てくる。

 ブランコについて返事をする前に、その仕草は破壊力抜群だって言ってやりたい。

 普通の思春期男子なら、簡単に惚れてしまうと考えられるほどの衝撃に思えた。

 上近江さんは自身の魅力について知るべきだ。

 自覚しているなら性質が悪い。

 だがそれにしても、改めて見ると色白で綺麗な肌をしている。

 きめが細かく艶もあり、乳児のように柔らかそうな肌をしている。

 日焼けも知らなさそうな肌だけど、普段の丁寧な所作などから考えると、手入れを怠らず、入念なケアを日々行っているのかもしれない。


「えっと、八千代くん? 急に黙りこくったりしてどうしたの? あとね、そんなにまじまじ見られると恥ずかしい、な?」


「あ、すみません。つい、綺麗だなって」


「んん!?」


「返事ですよね、ブランコはそうですね……機会があればってことでお願いします」


「ねぇ……八千代くん、今のって無自覚なの?」


「はい?」


 何に対しての質問か分からず首を傾げてしまう。

 あと、上近江さんはどうして耳を真っ赤に染めているのだろうか。

 器用に耳だけを染めるのも不思議に思うから、いつか質問してみたい。


「首を傾げているってことは無自覚なんだろうね」


『まぁ、今はいいかな』と続けて言う。それから小指を差し出しながら、言葉を続けてきた。


「八千代くんが言う『機会』って、放っておいたら中々やってこないよね? それなら約束してくれるなら、また今度でいいよ?」


 なるほど、差し出された小指の意味は約束を結ぶ為のものということか。


「えっと……はい。それなら約束します」


「良かったっ。おまけで敬語も外してくれてもいいんだよ?」


「そのうちでよければ構いません」


「じゃあ……はいっ! 八千代くんの小指を貸してください」


 嫌じゃないのかな、と考えながら小指を差し出すが、上近江さんは躊躇わず小指を結んできた。

 小指から伝わってくる体温や、簡単に折れてしまいそうな細い指に驚いているうちに、上近江さんは楽しそうに歌を歌いながら指を切ってしまう。


「えへへ、約束だからね? 破ったりしたらダメだよ?」


「ええ、もちろんです」


 勢いに押されるまま約束を結んでしまったが、冷静に考えるとブランコに乗る約束ってなんだ。

 子供なら分かるが、高校生になって結ぶ約束ではないと思う。

 それなのに嬉しそうに笑っている上近江さん。

(本当に表情がころころ変わるんだな)

 たった十分そこらで幾つもの表情を見た。

 笑顔はもちろんのこと、いじけたような顔をしていたと思えば、首を傾けキョトンとさせて、目を瞑らせ悩み顔をしたかと思えば、ドヤッとした表情を作り、大人びた微笑みをしていたかと思えば、子供のように無邪気に笑い――。


 上近江さんが見せる豊かな表情は、どこか懐かしくもあり少し羨ましくもある。

 そのせいで目を離せなかった。


「それでね、お話についてです」


「はい、お願いします」


「一昨日の土曜日に八千代くんの学生証を拾ったの。だから学生証をお返ししたいんだけど、そのね……私のお姉ちゃんも八千代くんと直接会ってお話をしたいみたいでね、八千代くんがよければ連れて来て欲しいって言われているの。八千代くんからしたら『どうして?』って、感じだよね。でも…………ダメ、かな?」


 上近江さんにはお姉さんがいるのか、きっと美人なのだろう。いや、それよりもだ。


「すみません、少し待っていてもらってもいいですか?」


『うん』と了承を貰えた為、カバンを開き、学生証を収納している内ポケットを確認する。

(入っていない……)

 カバンの底にもなさそうなので、やはり気付かないうちに落としていたのだろう。

 気になることはあるが、ひと先ず返事を戻す。


「上近江さん、ありがとうございます。引き取りに行きます。どうしたらいいですか?」


「よかった。あと、どういたしまして!! 今日この後は難しい? お姉ちゃん、お仕事お休みで私もアルバイトがないから時間あるんだけど……八千代くんはお忙しいですか?」


 元バイト先へ私物を取りに行こうと考えていたが、今日行く約束をした訳でもない。

 次のバイトを探すにも学生証は必要になるだろう。


「問題ないです。ご案内をお願いしてもいいですか?」


「はい、任されましたっ!」


 敬礼のポーズで返事を戻してきた上近江さん。

 教室では見たことのない気さくな仕草のため、少しだけ驚いた。


「上近江さんにはお姉さんがいたのですね? それにアルバイトをしていたんですね?」


 そのお姉さんがどうして僕に会いたがっているのだろうか。

 お姉ちゃん『も』についても気になるけど、行けば分かることかもしれない。


「ふふ、質問して貰えて嬉しいな。少なくとも私に無関心ではないってことだもんね?」


「……クラスメイトですからね」


 嬉しくなるポイントは無かったと思うのに、言葉だけでなく表情でも嬉しさを伝えてくれる。

(こんな感じで思春期男子は上近江さんに魅了されるんだろうな)

 魅了とまではいかないが、『ドキッ』とさせられた為、つい首を掻いてしまう。


「ふふ、そうだよね、クラスメイトだからね」


 お姉さんが経営するカフェで、上近江さんがアルバイトしていることを教えられた後、上近江さんが歩き始める。

 公園まで来た道中同様に距離を置いて後ろから付いて歩こうと考えた。

 だが、上近江さんは立ち止まり僕へ振り返って、寂し気な表情をして言った。


「今度は並んで歩きたいな。せっかくだから八千代くんとお話がしたい。それに隠れ家的なお店で少し分かり難い場所にあるから、その……はぐれても嫌、です」


「上近江さんに迷惑が掛からないようでしたら」


「それなら一緒に歩こう、ね?」


 首を掻きながら短い返事をするだけで精一杯だった。

 寂し気な表情をした美少女に、目を合わせながら『並んで歩きたい』と言われて断れる思春期男子はいないと思う。


「はい、ですがその前に少し寄り道してもいいですか?」


『寄り道って?』と聞き返して来た上近江さんへ、公園の横にあるマンションが自宅だと説明する。

 それから許可を得て一度帰宅する。

 戻った理由は制服から私服に着替えたいことが一つ。

 それと学生証を拾ってくれたお礼を取りに戻りたかったからだ。

 お礼の品はご褒美に買っておいた”リンツ”のチョコレートに決めて、お店の紙袋に入れ直しカバンへ入れる。

 手早く着替えを済ませてから、愛猫のクロコに『いってきます』と告げ、上近江さんが待つ一階エントランスへ移動して、来客用のソファに綺麗な姿勢で座る上近江さんへ声を掛ける。


「上近江さんお待たせしました」


「ううん、大して待っていないから平気だよ。八千代くん着替えたんだね? 制服の時と雰囲気が変わって誰かと思ってびっくりしたよ。でもどうしてお着替えして来たの?」


「えっと……正装した方がいいかと思いまして?」


 着替えることで余計に待たせてしまうことになり罪悪感を覚える。

 だが、誰に見られるかも分からない為、どうしても着替えておきたかった。

 無駄な抵抗かもしれないが、私服なら誤魔化せる可能性が残ると考えたのだ。


「気にしなくてもいいのに。それに正装なら制服でもいいように思えるけど――」


 僕もそう思う。ごもっともな意見だ。


「――でも。大人っぽい服装で格好いいよ? よく似合ってる!」


 盛大な勘違いをさせてしまったように感じる。

 もしかしたら、僕が上近江さんに格好いい姿を見せたいが為に着替えてきたと思われたのかもしれない。

 だから社交辞令を言って褒めてくれたのだろう。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして。それじゃあ――今度こそ行こうかっ!!」


 左隣に並んで来た上近江さんの言葉が移動開始の合図となった――。


 上近江さんは、口下手な僕の代わりに会話を主導してさまざまな話を聞かせてくれた。

 クラスメイトの佐藤さんとはお互いに下の名前で呼び合うくらい仲良しなこと。

 実家から学校までは、県内にも関わらず電車で二時間掛かること。

 そのためお姉さんと二人でお店の近くに住んでいること。

 お店の従業員はみんな地元が新潟県だということ。

 その内の従業員二人がバンドを組んでいるらしく、上近江さんも影響されてかギターとベースなら弾けること。

 上近江さんのイメージと離れていた為、内心で驚かされてしまったが、何となく楽しそうに演奏する上近江さんが想像できた。


 この短い時間でも、上近江さんが学校やアルバイトを楽しんでいることがよく伝わってきた。

 僕の目を見てニコニコとさせた表情で話してくれるから、楽しい気持ちとさせてもらえた。

 見覚えのある道を進むことで、目的地に心当たりがつく。予想が正しければ、もうそろそろ到着するだろう、そう予想を立てた時、上近江さんから質問が飛んで来た。


「ねぇ、八千代くん。私と八千代くんは入学前から知り合っていたんだよ?」


「前にも言いましたけど、人違いではないでしょうか?」


 入学式の日、上近江さんに『久しぶりだね』と声を掛けられた。

 けれど身に覚えなど全くなかったから、同じように返答したことを記憶している。

 でも今度の上近江さんは、出会いの日を語ることで人違いでないことを証明してきた。


「去年の学校案内で一緒に図書室を回っていたんだよ? 隣で歩いてもいたんだよ? 八千代くん、その時はメガネを外していたから、少し『あれ?』って思ったけど――やっぱり八千代くんで間違いないと思う」


「……そうなんですね。気付きませんでした」


「知っていましたよっ」


 ――べっ。

 と、短く舌を出し不満を表現するも、最後にはクスクスと笑い許してくれる。

 学校案内というと十月くらいのことだ。

 その前日、転んだ拍子で眼鏡を壊してしまっていた。

 幸いにも伊達眼鏡である為、裸眼でも不便しない。

 けれど、顔を晒した状態で見学へ赴くのは躊躇った。

 だが、僕を見る人などいないだろう。そう考えることにした。

 それなのに、まさか上近江さんに見られていたとは。

 それにあの時は、図書室の蔵書量に感動していたから、周りを見ている余裕はなかったかもしれない。

 これだけの美少女を眼中に入れない僕自身に呆れた気持ちが湧いてきてしまう。

 返事に困る僕を見て、可笑しそうに笑う上近江さんだったが、ここで。


「今日は私と八千代くんの再会記念だね! あっ、あの角を曲がったらお店だよ」


 クラスメイトでもあるから、再会と呼ぶには適切な言葉でないと感じるが些細な違いだろう。


「すぐでしたね」


「時間が凄く早く感じたかも。八千代くんと、もっとたくさんお話したかったのになぁ」


 会話を主導してくれた上近江さんのおかげで、あっと言う間に感じた道中。

 名残惜しいといった感情を自覚する。

 それと同時にどこか非日常を感じて浮付いた気分でもある。

 僕が幸介以外のクラスメイトと会話することなど滅多にないから、不思議な気分でもある。


 心の中でそんなことを考えているうちに、気付けば半歩ほどの距離に近寄っていた上近江さんに、左手の袖を掴まれた。


「どうかなさいましたか?」


「私と八千代くんがこうしてちゃんとお話しできたの……今日が初めて? それなのに一緒に並んで歩いているのが不思議な感じするね?」


「……そうだね。僕も同じことを考えていたよ」


「一緒だ~! それに普通に話してくれたね!!」


 袖を引かれたことで条件反射に横を向くと、上近江さんは首を傾け目線だけ上を向けていた。

 要は上目遣いってやつだ。狙ってなのか天然なのか分からない。

 けれど、その上目遣いした美少女に僕と同じ感想を言われたから『ドキッ』としてしまったのだ。

 不意打ちとなる襲撃によって、癖と言って誤魔化していた敬語も忘れ返事をしてしまった。

 それが嬉しかったのか、僕には判断が難しい。

 聞いたら教えてくれるかもしれないけど、今は確認もできない。


 上近江さんは僕を置いて、お姉さんがいるカフェの入口へと進んで行ってしまったからだ。

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