第3話 ある日、美少女からの視線を感じた
僕の朝は早い。
そのため入学当初から誰よりも早く自分のクラスである一年Aクラスに入室する。
到着してすぐ、カバンを机に置くが着席はしない。
理由は単純、先にすることがあるからだ――。
「――相変わらずだな」
放課後教室に残り友人同士会話に花を咲かせたクラスメイトたち。
そのクラスメイトたちは、毎日乱れた状態の机や椅子を放置して下校する。
つまりは、乱れた教室内の整理整頓をする必要があるから、着席しなかったのだ。
初めは担任の
その姿を見ながらただ座っているのも居心地が悪い。
だから自ら申し出てその役目を引き受けることにした。
多少面倒な気持ちはあるが、古町先生も感謝してくれているし、僕自身の気持ちも晴れるから、引き受けて良かったと考えている。
「うん――きれいだ」
朝のひと仕事を終えた後は読書の時間となる。
時間が経つに連れ、次々とクラスメイトが登校してくる中で、先日購入したミステリー小説を一人黙々と読んでいると、軽く肩を叩かれた。
「よっ、
「おはよう
「郡は相変わらず何てことない感じで人を褒めるな。ま、それはいいや。体調はもう平気か?」
「良い所は褒めたいだけだよ。後になって後悔したくないから――あと、土曜日はありがとう。幸介が来てくれたおかげで、こうして元気になって学校に来られたよ」
「まあ……だな。伝えられるうちにってやつだ。でも、元気になったなら無理矢理にでも押しかけて良かった」
『ニッ』と白くて綺麗な歯を見せ笑ってくれる。
唯一の友人でもある幸介が見せる裏表ない笑顔には、小学生のころから何度も元気をもらえている。
「でもせっかくご飯誘ってくれたのにごめん。お詫び……お見舞いに来てくれたお礼も含めて今度何かご馳走させて」
「別にいいって、お互い様だろ? あ、でも――」
先日の土曜日、帰宅してすぐに幸介から『メシ行こうぜ』と電話が掛かってきた。
それに対して、熱があるからと断ったのだが、『すぐ行く』とだけ言って電話が切られた。
宣言通り十分しないうちにインターホンが鳴った。
移したくないからと言うも、幸介は『マスクするから』と言って強引に上がり込んで来た。
それから、市販の風邪薬やレトルトのおかゆ、ゼリーにスポーツ飲料などが入った袋を渡された。
電話を切ってすぐ買ってくれたのだろう。
それに、息を切らせているのを見るに走って来てくれたことも分かった。
だからそれに見合うお礼を返したい。
でもきっと幸介は些細な報酬をねだってくるのだろう。
「――お礼って言うならさ、また玉子焼き作ってくれよ? な?」
「そんなんでいいの?」
「おまっ、そんなんでって!? 郡が作る玉子焼きはな、マジで美味いんだって!! だから充分な報酬なんだぞ? な、いいだろ?」
うっすら微笑む幸介。女性に見間違えられる美しい顔立ちのせいか、それだけで教室の至る所から息を呑む声が聞こえてきた。
「そう言うと思って、今日も玉子焼き作ってきてあるよ」
「よっしゃ! 昼休みの楽しみができたから午前中も乗り切れそうだ」
「そんな大げさな」
それから、幸介がしているモデルの仕事や妹の話、世間話が続いて行くが、同時に恨みが篭った視線も届いている。
理由は考えるまでもなく、人気者の幸介を独占しているせいだろう。
優しく人当たりが良く、高い身長と長い手足を活かし雑誌モデルも頑張っている。
前髪は薄くカットしてあり、毛先までサラサラとした髪は綺麗に整えられて清潔感も抜群。
女性と間違われ、女性モデルのスカウトをされるくらいに綺麗な顔をしている。
眉目秀麗なんて言葉が良く似合い、今でもクラスの女子が幸介にチラチラと視線を送っている。
普段と何も変わらない見慣れた朝の教室。
けれど、異なることが一つある。
恨むような、妬むような視線に紛れて、意図を掴むことのできない視線があるのだ。
気のせいかもしれない。
そう考えつつ視線を感じる教室前方、窓側へ顔を向けると一人の女子と目が合った。
(綺麗だな)
東側から差し込んでいる陽の光に照らされ、その子の髪がキラキラと輝いているように見える。鎖骨まで伸びた柔らかそうな髪が、小柄ながらもどこか色っぽさを演出しており、つい目が奪われてしまった。
「なんだ、郡?
「……視線を感じたような気がして。でも気のせいだったみたい」
僕の視線に気付いた幸介が、珍しいものでも見たといった表情で聞いてきた。
『目を奪われた』などと正直に告げるのも恥ずかしく、上近江さんと目が合ったのも一瞬。
そのため気のせいだと誤魔化した。
「んー、郡と一緒で上近江さんもよく本を読んでいるみたいだし、郡のことが気になってる可能性もあるのかもよ?」
「だとしたら、僕の手元にある本を見ていたのかもね。人気で今は売り切れている店が多いみたいだし。それか――」
「それか?」
「いや、なんでもない」
――幸介を見ていたか。
と、続けようとしたが、一瞬とはいえ上近江さんと目が合ったのだ。
幸介を見ていた様子もなかったし、中途半端に言葉が切れてしまった。
「よく分からんが……ま、いいや。んで、話変わるけどさ、先週の金曜に三年生の生徒会に入っている先輩が告白して玉砕したんだってさ。さすが難攻不落鉄壁の姫って言われるだけあるな」
あまり話が変わっていないようにも感じるが、僕から逸れたから良しとしよう。
「本人も嫌がりそうな呼び名だよね」
「確かに。でも、それだけガードが堅いってことなんだろうな」
上近江さんに告白して玉砕した人は、もはや数えきれない。
と言うよりも、幸介から頻繁に聞かされているうちに数える事を止めた。
「告白を断るのも大変だろうね」
告白されて断ることを僕自身が経験している訳ではないが、幸介や義妹など器量が優れている人が身近にいる為、苦労は分かっているつもりだ。
「まーな。俺はスパッと断るけど、上近江さんの場合はそうもいかなさそうだから余計に大変そうだな」
友達が多く情報通な幸介。
僕が聞かずとも幸介からもたらされた情報によれば、上近江さんの身長は百五十センチほど。
入学当初は、控えめな性格もありクラス以外ではそこまで目立っていなかった。
けれどそれは、あくまで『クラス以外』である。
クラス内では男子たちが『お人形』や『お姫様』みたいだと騒ぎ立てていた。
休み時間になると本を取り出し、静かに過ごす上近江さん。
声を掛けたら迷惑になるかもしれない。
ほとんどの人が同じことを思っていたらしいが、勇気を出して声を掛けてみたら意外にも人当たりは良く、表情がころころと変わり愛嬌もあって話しやすい。
顔立ちは整い、所作や姿勢、仕草のどれを取っても洗練されており、どこか大人びている。
平均よりも小柄な体躯も相まって、幼さと美しさ二つの魅力が同居している。
初めはAクラスから一年生へと広がり、次に一年生から二年生。最後に三年生へと学校全体に――純情可憐な雰囲気を持つ
一年生には上近江さんと並ぶ美少女がもう一人いる為、人気は二分されているそうだ。
その中でも上近江さんに好意を寄せる人たちは決まって、見ると元気になる笑顔に落とされたと言われている。
誰に声を掛けられても、いつだって嫌な顔一つ見せない上近江さん。
幸介は上近江さんの人当たりの良さを考えて『余計に大変そうだな』と言ったのだろう。
現にクラスメイトの男子二人と黒板前で話している上近江さんは、終始笑顔を絶やしていない。
「また見てる。やっぱ気になってるんだろ?」
「いや、ずっと笑顔でいて凄いなって見ていただけ」
「百歩譲ってその言い訳に騙されてやる。でも郡が誰かに興味を示すことって珍しいよな? 上近江さんなら嫌がることないだろうし、話し掛けてみたらいいのに。恋が始まるかもしれないしな」
「そうだね――」
興味あるなしで言えば、上近江さんとは話をしてみたい。
幸介は本を読まないし僕には他の友達もいないから、もし趣味が合うなら話してみたいと思う。
けれど、入学式の日に一度話し掛けられてから約三カ月。
その間、一言も会話を交わしていないのだ。
それなのに無表情の男が突拍子もなく声など掛けたら怖がらせてしまう。
クラスで一番に嫌われている人物が僕だ。
その僕が学校のアイドルに声を掛けたら陸なことにもならなさそうだ。
諸々の事情を総合的に考えると、幸介へ戻す返事は決まってくる。
「僕には恋愛とか似合わないし、そもそもできるとも思えないから」
「……やっぱ――」
僕や幸介と同じように、クラスメイトたちも友達同士それぞれが休み明けの会話を楽しみ、幸介もまだ何か言おうとしていたけれど、『ガラガラガラッ』と教室の扉が開いたことで、騒がしかった教室が静かになる。
担任の古町先生が入って来たことで緊張が走ったのだろう。
古町先生は静かになった教室を見て、満足そうに頷いてから教壇へ足を進める。
教壇に立ち、正面を向くと同時にチャイムが鳴った。
「皆さん、おはようございます。席に着いて下さい。七月にある学校行事の説明を始めます」
普段と変わらない淡々とした口調で朝のホームルームが始まることになったが、その前、幸介や離席していた人たちが席へ戻る時。
また上近江さんと目が合った。
ほんの一瞬だったかもしれないが勘違いではない。
視線と視線がしっかり重なっていた。
普段と異なる朝の出来事によって、
心臓の鼓動が跳ねたことを自覚させられてから、
今度こそ朝のホームルームが始まったのだ――。
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