第2話 ある日、僕はクビになった

「うん、事情も理解した。採用、決まり。これからよろしく、八千代やちよこおりくん!」


「ありがとうございます。ですが、すみません……こおりでなくてこうりなんです。それと、その……採用してもらえて嬉しいのですが、こんなに早く決まることなのですか?」


「え?? あ、履歴書にフリガナふってあるね、ごめんごめん!! 郡くん、受け答えもしっかりしているからいいかなって! それにうちのお店、男は副店長しかいないから、他にも男手が欲しかったんだよね。副店長だけだと頼りなく感じることもあるしさ!」


「そうなんですか。男性一人だと、副店長さんも大変そうですね」


「あたしもそう考えていたんだけどさ、郡くんから面接希望の電話をもらった後『いい子だったら新しく男の子採用する』って言ったら、つまらなそうな顔するんだよ? うちのお店、あたしの趣味で可愛い子しかいないから、あいつきっとハーレムが崩れるの嫌なんだろうね。笑っちゃうよね――」


 と、少し散らかった事務所の中で大きな笑い声が響く。

 たった今、アルバイトとして採用が決まったお店は、全国各地で多くの場所に展開している飲食店とかではなく、個人で経営しているように見える小さな飲食店。


 採用を決めてくれた須賀川里すかがわさと店長は、初対面の時にも『初々しいねぇ!』と言って、陽気な笑い声を上げた。

 初々しいと言った理由は、身体より大きな制服に着られた僕の姿を見た感想なのだろう。


 自分自身でも不格好だと自覚している。


 そのため、指摘されたことで恥ずかしい思いが込み上げることもなかった。

 むしろ緊張がほぐれた為、須賀川店長の陽気な雰囲気に助けられたとさえ感じた。


『散らかっているけど』と前置きされた事務所へ入り、用意しておいた履歴書を渡して始まった面接。

 どんな質問をされるのだろうか。

 志望理由、長所や短所。一般的な質問に対してはインターネットで調べてきたから、受け答えの用意もできているが、須賀川店長は履歴書をひと目見て『高校生にしては珍しい資格持ってるんだ』とだけ言って、履歴書を机の上に『ポンッ』と置いた。


 それから、資格を取得した理由から派生して僕の身の上話について説明することになった。


 要した時間は五分程。他の質問は一切ない。

 であるから『こんなに早く決まることなのですか?』と質問が出てしまった。

 そして面接の四倍にあたる時間、世間話が続いて行く訳なのだが――。


 副店長が実の弟という話から始まり、お店には可愛い女の子が多いけど手を出すなだとか、彼氏募集中だとか、これでも学生の頃は学校に四人いるお姫様の内の一人に選ばれくらいモテたんだよ? などなど。業務内容とは関係のなさそうな話が続き『大丈夫かな?』と、少々心配させられたが、訳アリの僕を採用してくれたのだから感謝こそすれど文句など言えない。


 やがて――話し疲れたのか、満足したからなのか、理由は分からないけど世間話が止まった。


 ペットボトルの蓋を開け、喉を鳴らしながら水を飲み、渇きを潤してからようやく、入店の注意事項や書類について説明が始まる。


 そして最後に『何か質問があればどうぞ』と言われる。


「早くお役に立てるよう頑張りたいと思います。それで、いつから出勤したらいいでしょうか?」


「あっ、まだ決めてなかったね! えーっと……次の日曜の九時から出られない? 日曜だから人員に余裕あるし、あたしが付いて教えてあげられると思うの。あと、ぺーぺーに期待はしないから気にする必要はないよ! 代わりにゆっくり丁寧に仕事を覚えてくれたらいいよ」


 女性らしからぬ歯を見せる笑顔をしてピースを向けてくれる。

 気を使わせてしまったのかもしれない。


「日曜日の九時からで大丈夫です。よろしくお願いいたします」


「んじゃ、改めてよろしくね。郡!!」


 距離の詰め方に戸惑いを覚えつつ、差し出された手を取り握手を交わしたことで、人生初となるアルバイトの面接が終了となった――。


 アルバイト先となったお店を後にして、寄り道することなく帰路に就く。

 到着した自宅マンション前でふと立ち止まり、部屋がある七階あたりを見上げる。

 中学を卒業して四月から始まったひとり暮らし。

 難航すると考えていたアルバイトも思いのほかあっさり決まり、どこか少しだけ大人になったような気持ちが湧いてくる。


 顔を上から正面に戻したところで、作業服を着た高齢の男性がエントランスから出てきた姿が目に映る。


「おお、今帰りかい? 確か、駅前にある綺麗な学校だったかな? 紺色の制服もよく似合っているじゃないかい。郡くんにピッタリの色じゃよ」


「管理人さん、こんにちは。駅前にある私立名花めいか高等学校です。その入学式が終わって帰ってきました。制服も着られている感満載なので少し恥ずかしいですが……ありがとうございます」


「なぁに、半年もすれば今よりもっと似合うようになるさ。顔をよく見せておくれ」


 管理人さんは眼鏡を外すような身振りをしてきた。人前で眼鏡を外すには抵抗があるけど。


(管理人さんならいいか)


 そう決めて外すことに。


「やっぱり、よく似合っとる」


『ありがとうございます』と礼を言いながら眼鏡を掛け直す。


「足を止めて悪かったね。ワシは仕事に戻るとするよ。またな、郡くん」


「いえ、いつも気に掛けていただきありがとうございます。では、失礼します――」


 柔和な笑顔を浮かべ手を振り見送ってくれる管理人さんに会釈してから背を向け、マンションへ進む。


 父が独身の時に一室購入して事務所として使用していた部屋。

 その父は、今年の二月に他界した。

 だから今は僕が居住用として使用している。

 少し古いが綺麗に管理されており、清潔感がある。

 オートロックも付いていて、駅から徒歩十分必要としない場所にあり、近くにはコンビニや食品スーパーマーケットもあり不便しない環境だ。


 一応、義母から仕送りもあり、父さんからこのマンションや金銭を相続している為、学生の身分でも生活に不便しない。

 自分でも、とても恵まれている環境だと感じる。

 けれど、父さんが事故で急逝したように、いつ何が起こるか分からない。

 義母との関係も今度どうなるか分からない。


 何かあった時に困ることがないように、少しでも自立しておくべきと考えてアルバイトを探し、面接を受けたのだが――。


「――それにしても散らかっていたな」


 管理人室前に置かれた清掃用具を見たことで、面接を行った事務所やバックヤードを思い出してしまった。


 散らかっていると言っても、埃やゴミなどではなく、書類やダンボールが至る所に積まれていたからそう感じたのだ。


 不用意な積載は、事故やケガの元にもなるうえに作業効率も悪くなる。

 口癖のように『郡、頼む。また片付けに来てくれ』と父さんによく言われたものだ。


 家族と違う須賀川店長に言えば生意気だと思われるかもしれない。

 だが、もしも許可して貰えるならば、最初に片付けをさせてほしい。


 父さんとのやり取りを思い出したせいか、そのことだけには一抹の不安を覚えた――――。


 そんな不安を感じたりもしたが、気付けば三カ月が経とうとしている。

 懐の広い須賀川店長のおかげで、人生初のアルバイトも平穏無事に過ごせている。

 平日は駅前にある学校に通い、放課後や土日はアルバイトへ勤しむ。

 時間のある日は、最近はまっている紅茶を淹れ、読書と一緒に楽しんでいたりする。


 家事も嫌いではないし、幼い頃から一緒にいる愛猫のクロコだっている。

 それなりに充実したひとり暮らしを満喫できていると思う。


 これと言って大きな変化もなく過ごしていたが、

 六月最後の土曜日に僕の人生を一変させる、そのきっかけとなる出来事が起きた――。


「八千代くん、話があるからちょっと着いて来て」


 アルバイト終了後、着替えを済ませて更衣室から出たところで副店長に声を掛けられた。


 理由も告げられない為、嫌な予感がする。


 本音を言えば、体調も優れないから、帰りたい思いで一杯だった。

 けれど、僕が返事を戻すよりも先に、副店長は進んで行ってしまった。

 仕方なしに後を付いて行き、一言の会話もないまま到着した目的地。


 その場所を見た瞬間目を奪われてしまった。


 まず目に映ったのは店頭に並ぶ木々。

 その木々を越え、敷地に入ると、緑と花の蔦で作られたトンネルがあり、そのトンネルを抜けた先に広がるのは落ち着いた雰囲気の空間。


 駅前にいることを忘れさせるような色取り取りの空間に、ほとんどの人が思わず顔がほころばせることであろう。

 明るい色をした木目調の扉を開け店内に入ると、そこまで広い店内ではないが開放的な空間が広がった。


 高い天井に吹き抜けの空間、他にも立派なピアノが置かれていて、大きな窓から入る陽の光。

 それらが店内に開放的な雰囲気を演出しているのかもしれない。


 続けて店内を見渡すと、会計機の横に女性限定でアルバイト募集の貼紙がしてあるのが目に映った。丸くて可愛らしい字で書かれている。

 さらに続けて視線を動かすと、椅子が五つ並ぶカウンター席にはスーツを着た男性が一人。


 三つあるソファ席の一つには、僕も通う名花高校の制服を着た女の子二人組がいるようだ。

 土曜の夕方の為、もう少し混み合っていてもいいように思えたが、この落ち着いた空間に居心地の良さを感じさせる、隠れ家的お店なのかもしれない。


 一人納得して正面に顔を戻すと、店員さんが出迎えの挨拶を送ってくれた。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」


 目を奪われるような笑顔で出迎えてくれたのは、腰まで届きそうな艶のある長い髪を一つにまとめた女性店員。


 光が当たるとブラウンカラーに染まっていることが分かり、胸元には『店長』のプレートが付いている。


 須賀川店長も美人で有名だけど、負けず劣らず……いや、それ以上に綺麗な人かもしれない。


「あの、お客様――?」


 僕の前に立つ副店長が返事すると考えていたが、静かに固まっている。

 声を掛けても反応がなければ困惑するのが普通だろう。

 けれど美人店長は困った様子などおくびにも出さない。

 気品すら感じる表情をして、副店長へ問い掛けた。


 もしかしてと思いつつ副店長の顔を覗き込むと、顔を赤らめた状態でただ一心に美人店長を見つめていた。

 奪われた副店長の目が戻って来るには、また時間を要するかもしれない。


 このままでは美人店長やお店に迷惑を掛けてしまう。いや、すでに迷惑を掛けているのだろう。


「すみません、二人ですけど大丈夫ですか?」


「はい、ソファ席でよろしいですか?」


「お願いします」


「ではご案内致します。足元に段差がございますので、お気を付けください――」


 心ここにあらずといった様子の副店長でも、自ら歩くことはできるようだ。

 段差につまずき転倒しないことにだけ注意を払い、そのままソファ席へ進んで行く。

 その流れで二人分のコーヒーを注文してしまう。


 会話のないまま五分経過するとコーヒーが届いた。


「ありがとうございます。いい香りですね」


「ふふ――ごゆっくりどうぞ」


 絵に描いたように綺麗な微笑み。

 気品を感じさせる表情が、僅かばかり柔らかくなったように感じた。

 ただ、その笑顔は危険だ。


 また副店長が固まってしまったのでは?

 と、考えたが杞憂に終わった。


 若干浮付いた気配はするものの、コーヒーの香りで正気を取り戻したように見える。


 それから、少しばかりの世間話。

 さらにアルバイトの愚痴を聞かされ十分が経過したところで、ようやく本題へ移ることになった。


「ああ――八千代くんさ、言い難いんだけど明日からしばらくは休んでくれていいよ」


 突然の連休を言い渡された。

 妙な言い方に頭を悩ませ理由を考えるが、熱のせいもあり言葉の咀嚼が間に合わない。

 返事が戻ってこないことに焦らされた副店長が、イライラした様子で理由を告げてくる。


「注文の受け取りミスやグラスを割ったことは責任者として許してあげられるけど、お客様に水をぶちまけたことは、やっぱり本人が責任を取るべきだと俺は思うんだよな」


 確かにこの日は、大小さまざまなミスをして足を引っ張り申し訳ない気持ちであった。

『水だから』と、笑って許してくれた常連のお客様に対しては、特に申し訳なさがいっぱいでもある。

 だがどうして連休に繋がるのだろうか。


 いや――連休を取らせたい訳じゃないのか。

 副店長が何を言いたくて、何を言わせたいのか。

 本当は何を考えているのか、大よその見当はつくけど気付かないふりをして質問する。


「……責任を取るのに、しばらく休みを取るのですか?」


 察しが悪いなあと、呆れた様子で副店長が返事を戻してくる。


「アルバイトを始めて三カ月が経とうというのに、こんなにミスが多いんじゃね? ケガで入院中の姉から店を任された責任もあるし、働かせてあげるには……少し、難しいかな」


 ケガで入院した須賀川店長に代わり、店を任されている副店長。

 一時的とはいえ、店一番の責任者となったことが嬉しいからか、店で働く従業員に自慢するほどやる気に満ち溢れていた。


 そしそのて副店長は、僕に対して悪感情を抱いている人でもある。

 大人の対応で隠してはいたけれど、言葉の節々から嫌悪感が伝わってきた為、鈍い僕でも気付いている。

 つまりは、連休を与えることで出勤日数を減らし、自主的に辞めるように仕向けたいのだろう。


 遠回しで言う『クビ』というやつだ。


「ですが――」


 みっともない悪あがきかもしれない。

 それでも、どうせ最後ならばミス連発の言い訳をさせて欲しい。

 そもそも本来は休みの予定だった。


 自分へのご褒美として購入していたキーマン産の紅茶を淹れて、リンツのチョコレートを挟みつつ、人気で売切れ続出だけど奇跡的に入手できたミステリー小説を読んで過ごす予定だった。

 けれど朝五時五十分に目を覚ました時に体調の悪さを自覚した。

 きっと、遅い時間まで義妹の長電話に付き合ったせいだろう。


 仕方ないけど、予定を変更して今日は寝て過ごそう。

 そう考えて二度寝を決め込んだが、九時を過ぎた頃に副店長から出勤依頼の電話が入った。


 体調に不安があることを理由に断っても、他に出勤できる人もいないし熱がないなら問題ないと言われ、半ば無理やり出勤させられた。

 その結果、時間が経つにつれて熱が出始めたのか、頭の中で工事でもしているかと思えるくらいの痛みが、ガンガン鳴り響き、集中力を欠き、普段しないようなミスを連発してしまった。


 出勤依頼を断り切れなかった自分にも非があり、責任があるのだろう。

 頭の中で言い訳する言葉を組み立てながら、返事に悩ませていると。


「ですが何? まあ、いいや。先に言わせてもらうけどさ、姉は優しい性格だから言わなかったろうけど……」


 何か伝え難いことを言うのだろう。

 言葉を切り、コーヒーをひと口飲んでから言葉が続く――。


「八千代くんは接客を必要とする飲食店で働くには向かないと思うんだ。いつも無表情でお客様への印象が悪いし。それに……気味も悪いから」


 ああ――やっぱりか――。


 副店長が僕へ抱く嫌悪感の正体。

 僕を辞めさせたい理由は、ミスが多いからと言われた。

 だが本当のところは、義母が僕を避けている理由と同じ。


『能面のように無表情な顔で薄気味悪い』


 これが本当の理由なのだ。

 昔捨ててしまった物がここでも足を引っ張る。


「お世話になったお店にこれ以上迷惑も掛けられないので辞めます」


 退職の申し出をしてから、アルバイトで教えてもらったことをメモした小さめのノート。お世話になった先輩から聞いた社外秘も書かれている為、そのノートをカバンの内ポケットから取り出し返却する。


 最後に、私物を後日取りに行くことだけ伝えて、コーヒーの代金を置き離席する。

 お店を出ようとしたところで副店長が何か叫んでいたが、聞こえないふりをして退店する。


 帰宅してから暫らく。

 唯一の友人が用意してくれた薬を飲んでから、ソファで横になる。


 いつか――――。


 と。虚ろいながら段々と瞼が閉じられていく。

 また熱が上がったのか、すでに意識は朦朧としている。


「こーくん、やくそくだよ?」

「やちよこうりやくそくだ」


 昔誰かと交わした約束。

 どんな約束かは思い出せない。

 だけど大切な約束だったことは覚えている。


 いい意味でも悪い意味でも、人生は思ったようには進まないことのほうが多い。

 計算と違い思いがけないことが起きたりする。

 幸せが続いたと思っていたら、不運に見舞わられたりもする。

 不運が続いていたと思っていたら、思いがけない幸運がやって来たりもする。

 きっと、幸運や不運から免れている人なんていないのかもしれない。


 小学校に上がってすぐ、人として大切の物は捨ててしまった。

 だけど失わず拾えたものもあった。

 捨てなかったことで得られた絆だってあった。

 ひょんなことから生きる力というのは湧いてきたりもする。


『捨てる神あれば拾う神あり』とはよく言ったものだ。


 だからいつか――。


 不運に絶望したりはしたくない。

 そのまま不幸になるかは分からない。

 幸せになれるかも分からない。

 その時になって後悔だけはしないように。


 捨ててしまった大切な物を再び拾えるように――。

 いつかできる大切な人を救えるように――。


 見捨てないで欲しい。拾い上げて欲しい


 叶うかも分からない。

 起きたら忘れてしまう大切な約束の記憶。

 諦めることもできない願いは最後まで言葉にすることが叶わずに、その日の夜は気絶するように眠りにつくことになった。

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