18 しかもはちみつパンまでついてくる
「ありがとうございましたー」
夕暮れ時、空が赤くなったころ。
人通りの中に消えていく背中を、しばらく見送ります。
もうかなりいい時間ですから、今のが最後のお客さんかもしれません。
流石に冒険者が行き来する道なだけあって、パンの売れ残りはごくわずか。
特に、安くて腹持ちの良い黒パンは、今日もほとんど完売でした。
朝には山積みで並べられていたのですが、今は2つしか残っていません。
「……すっかり慣れちゃったなぁ」
今の私は店番とは言え、今の私は白いエプロンにシェフハットを被った、いかにもパン屋さんと言った格好です。
格好だけならまだいいのですが、考えることまでパン屋さんに近づいてきてしまったことに、なんとなく危機感を覚えてしまいます。
勤務中はそれでいいとも思いますが、ここから冒険者に戻ったとき、何かしらの支障が出ないか、ちょっとだけ不安です。
「ごめんください、パン屋さん。まだお店はやっているかしら?」
私がぼんやり思考を続けていると、横から声が聞こえました。
少し芝居がかったような声色ですが、なんとなく、聞き覚えのある声に感じます。
「あっはい、まだ営業中で……えっ」
振り返って、声の主の姿を確認して、私は固まります。
いつか見た、緑色のフード付きコートを身につけ、金色の髪を伸ばした、長身の女性。
久しぶりではありますが、その容貌を忘れるはずがありません。
「し、師匠!」
私が冒険者を目指したきっかけ、私に魔法を教えてくれた人。
私の師匠が、そこにはいました。
「久しぶりね、カヤちゃん。もう冒険者はやめちゃったの?」
「ちっ、違いますよ! 確かにここで働いてはいますけど、あくまで短期募集ですから、明日から冒険者に戻ります!」
「ならよかった」
実際のところ、パン屋さんの店番は、五日間だけの短期募集でした。
なんでも、本当は長期のつもりで募集したものの、パン屋さんの娘さんが帰って来ることになったので、短期に変わったのだとか。
今日がその最終日で、給料は毎日の夜に支払われる形ですから、仕事自体はもうすぐ終わりです。
「というか、師匠はどうしてここに?」
「もちろん、パンを買うためよ。偏った食事は健康に悪いもの」
「あっ、ですよね。すいません」
どうしてパン屋に来たのかと聞かれれば、当然パンを買うためと答えるでしょう。
我ながら当たり前のことを聞いてしまいました。
ちょっと反省です。
「……っていうのは半分噓で、実はカヤちゃんがここで働いてるって聞いて来たのよ」
「えっ? 聞いたって、誰からですか?」
半分噓、ということにもビックリですが、一番驚いたのは師匠が誰かから私のことを聞いたということです。
もちろん、この街に知り合いがいないわけではありませんが、このことを知っている人となると……。
「ちょーっとギルドに寄って、マスターにね」
「あー、なるほど……」
考えてみれば、このことを知っているのは、マスターくらいのはずです。
他の人から聞いたと言われなくて良かったと言うべきか、マスターがバラしてしまったことを恨むべきか……それでも実際、私も師匠に会えればうれしいわけで、ちょっと複雑な気持ちになってしまいます。
「でもまずは、閉店しちゃう前にパンを買わせてもらうわ。とりあえず残ってる黒パンを2つと……はちみつパンを一つお願い」
「あれ、師匠も甘いもの好きなんですか?」
はちみつパンはその名の通り、はちみつがたっぷり使われた甘いパンです。
私も一度だけ食べたことがありますが、お腹を満たすためのパンというよりは、純粋な甘味といった感じのパン。
進んで甘いものを食べている師匠は見たことがなかったので、ちょっと意外な注文でした。
「まあ、特別好きってわけじゃないんだけど、カヤちゃんは好きでしょ? 仕事が終わったら、一緒に食べながら話そうと思って。いいかしら?」
一瞬硬直。
そしてすぐに言葉の意味を理解します。
つまりはこの後、久しぶりに師匠とお話できるということ。
しかもはちみつパンまでついてくる。
「は、はい! ぜひ!」
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