10 また会うことがあれば


「ここですね。間違いありません」



 すっかり霧が晴れ、少し薄暗くなった砂浜に立つ、布の巻かれた一本の流木。

 浜辺に着いたときに立てた、目印です。

 私は立ち止まり、後ろを振り返ります。



「こんな時間になっちゃいましたけど、改めて。手伝ってくれてありがとうございます。助かりました」



 私の後ろには、荷車を引く男の子の姿。

 声をかけると、彼は少しだけ口角を上げて、私に微笑みました。



「助けられたのは俺の方だ」



 男の子はそう言って荷車から手を離します。

 荷車の上には、多数の漂流物の他に、彼の持っていた剣と流れ着いた小舟や、先程倒した魔物も載っていました。



「私だって、あなたに助けられましたから。その魔物を倒せたのだって、あなたのおかげです」



 実際のところ、この人が居なければ、私は魔物にやられていたでしょう。

 魔物を倒したあの剣だって、私には扱える気がしません。



「俺が居なければ、危険な目にあうこともなかったはずだ」



 男の子は少し申し訳無さそうにそう言いますが、それは違うと言うものです。



「私はしばらく浜辺を進むつもりでしたから、あなたが居なくても、魔物には遭遇していましたよ。むしろ、あなたが居たおかげで、助かったんです」



 それは、お世辞でもなんでもない、私の本心です。

 私一人では、あの魔物を倒す事は出来ませんでした。

 魔物の動きは素早かったので、逃げることも難しかったはずです。

 彼も分かってくれたようで、私の言葉を聞き終えると、再び口元に小さな笑みを浮かべました。

 しかし、少しすると、何かを思い出したように、男の子は考え始めます。



「……ところで、怪我は大丈夫なのか?」



 少しの沈黙の後、男の子はそう言いました。

 どうやら、私の怪我のことを思い出し、心配してくれたようです。



「ええ、杖が無くても一応治癒魔法は使えますし、杖自体も魔法を使うのに必要な部分は残ってましたからね」



 そう言って私は、折れて半分になった杖を見せます。

 ツノの付いた頭側半分は残っていますが、石突き側の半分は、完全に無くなってしまっています。

 これでも魔法は使えますが、流石に買い換える必要はありそうです。


 実際のところ、左腕の怪我は軽くありませんでした。

 魔物と戦っている最中もそうでしたが、特に戦いが終わって興奮が冷めた後、激しく痛んでちょっと泣きそうになってしまいました。

 彼が荷車を引いてくれることになったのもそれが関係しているのですが、それはまあ置いておきましょう。

 とにかく、治癒魔法をかけてしばらく経った今では、左腕もすっかり元通りです。



「そうか……それも魔法だったのか」

「まさか、自然に治せると思ってたんですか?」



 意識したわけではないですが、少しからかうような言い方になってしまいました。

 一応、治癒魔法をかける姿は、彼にも見えていたはずですが、単なるおまじないか何かだと思われていたのでしょうか。



「ああ、獣人は生まれつき治癒力が高いと、聞いたことがある気がする」

「あー……なるほど……」



 男の子の言葉で思い出します。

 そういえば、彼には私の耳を見られていました。

 今はまた帽子を被っていますが、見られてしまったことには変わりありません。



「そう言えば、あなたは何故、尻尾が……いや、なんでもない」



 私が黙っていると、彼は話すのをやめてしまいました。

 見ると、男の子は申し訳無さそうな表情をしています。



「ごめんなさい、少し、話しすぎた」

「ああいや、大丈夫ですよ。私は獣人と言っても半分だけですし、私に尻尾が無いのは……気にしないで下さい」

「ああ……」



 男の子は私の返事を聞くと、頷いて、そのまま黙ってしまいました。

 気まずい沈黙が流れます。

 何か話題を出すべきでしょう。



「そうだ、もうすぐ日が暮れますし、私の家に泊まって行きませんか?」



 言うまでも無く、夜は危険です。

 彼も、それは分かっているはず。

 自分から泊めて欲しいとは言い辛いかもしれませんが、私から言い出せば、彼も受け入れやすくなるでしょう。

 申し訳無さそうな表情をしていた男の子ですが、私の言葉を聞くと、再びこちらに小さく微笑みました。



「いや、あなたにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない」



 しかし、返事は断りの言葉でした。



「迷惑なんてありませんよ?」



 私が思ったままそう言うと、男の子はまた少し困った顔になってしまいました。



「命を助けられ、貴重な食料まで与えて貰った。あいつからあなたを救えたのは良かったが、それ以上俺に出来ることは何も無いんだ」

「それでも……あっ」



そこまで言って、私は気付きます。



「食料……確かに……」



 貴重な食料という言葉。

 はっきり言って、彼にあげたスープに入っていたのは、格安の黒パンに、捨て値で売られていた狼の干し肉と、あらかじめ森で採り、乾燥させておいた薬草程度です。

 普通の食事をしている人から見れば、貴重でもなんでも無い、安い食事でしょう。


 ですが、今の私にはお金がありません。

 それこそ、私一人でも数日持たないくらいに。

 今回の依頼ももう達成したようなものですから、報告すればお金も入るでしょう。

 それでも、今年の冬を越すには全く足りないはず。


 私は、彼に泊まって行きませんかと言いました。

 彼は記憶を失っているのですから、一日だけというわけには行かないでしょう。

 そうなれば当然、彼の分の食料も確保する必要があります。

 今の私には難しいことです。



「安心してくれ。剣の扱い方は、なんとなく思い出してきた。野宿の方法も、知っている気がする」



 私が考え込んでいると、男の子はそう言いました。

 見ると、男の子はいつの間にか右手に剣を持っています。

 私の右腕では引きずって運ぶのがやっとだった剣を、当たり前のように片手で。

 私が考えている間に、荷車の後ろから下ろしていたようです。



「気がするって……」



 それは、不確定で、ひどく頼りない言葉でした。

 はっきり言って、信じられるものではありません。



「そうだ、この近くに川はあるだろうか」

「ちょ、ちょっと待って下さい。本当に野宿するつもりですか?」



 私はそう言いましたが、男の子の目は至って真剣です。

 川の位置を聞いた理由は、水を確保するためでしょうか。

 おそらく、私がこのまま何も言わなければ、本当に行ってしまうのでしょう。



「ああ、川さえ見つかれば、人の集まる場所まで、一人で行ける」



 その言葉で、私は思い出します。

 そう言えば、彼に出会った時に、私はエイビルムの位置を教えています。



「方角はわかりますか?」

「太陽を見ればわかる」



 確かに、太陽を見れば、エイビルムのある南西がどの方向かもわかるでしょう。

 ここからエイビルムまでは、そう遠くありません。

 十分に、彼一人でもたどり着ける距離です。

 エイビルムにたどり着けば、少なくとも獣に襲われることはありません。

 私もエイビルムには頻繁に行きますし、困っていれば助けてあげることもできるでしょう。



「でもそれなら、今晩は私の家に泊まってもいいんじゃ……?」



 よくよく考えてみればそうです。

 私の家に泊まってから、明日一緒にエイビルムに行く。

 それが一番安全なのでは無いでしょうか?



「……正直に言うなら、女性に連れられて、家に泊まるのはな……」

「あっ……」



 私は、そこでようやく彼が断っていた理由を察しました。

 彼からすれば、とても受け辛い申し出だったでしょう。

 彼から見て、私の家に家族がいれば、女性が夜に男性と帰ってきて、しかも泊まって行くとなった場合、どう見られるかは想像がつくはず。

 彼から見て、私の家に家族がいなければ、それはそれで気まずいものなのかもしれません。



「……分かりました。ただし、これだけは約束して下さい」



 おそらく、これ以上引き留めても、日没が近付くだけです。

 それなら、伝えておくべきことは簡潔に行きましょう。



「このまま海岸沿いに進んでいけば、川があります。ですが、向こう岸は危険なので、絶対に川は越えないで下さい」

「わかった」



 川を越えた先、北の森には魔物が棲んでいます。

 例え一晩だけ立ち寄る川でも、これだけは絶対に言っておかなければいけない事でした。



「それと……これを渡しておきます」



 私は背中のカバンを下ろし、いくつかの物を取り出します。



「これは……火打ち石か」

「正確に言うなら、火打ち石と火打金、それと火種を燃やすための繊維が入った袋です。火の起こし方は分かりますか?」

「ああ。すごく助かる」



 私は魔法で火を起こせますから、無くても問題はありません。

 ですが、この寒い時期、彼にとっては必要になるはずです。

 男の子は、腹に巻いた帯の中に、火起こし道具をしまうと、こちらを向いて小さく微笑みました。



「結局、助けられてばかりだな」

「今のは私のおせっかいですから、気にしないでください」



 そうは言ったものの、男の子の声色は穏やかです。

 おせっかいではありますが、彼の反応を見て、渡してよかったと思えました。



「さて、そろそろ俺は行こう」

「日も落ちますし、そうですね」



 日は落ちかけ、西側にある森の上からは、赤い空が覗いています。

 彼と過ごした時間は、そう長くはありませんでしたが、別れを惜しく感じてしまうのは、やはり、協力してあの魔物を倒せたからでしょう。



「本当に助かった……また会うことがあれば、俺にできる限り、力になる」



 そう言って彼は背中を向け、歩き出しました。

 少し変わった言い方ではありましたが、それは、再会を約束する言葉のようで、私は少し、心の中が暖かくなりました。



「私だって、何度でも力になりますよ」



 私がお返しにそう言うと、彼は少しだけ振り返って、頷きました。

 見間違えでなければ、振り返った一瞬、彼は柔らかく笑っているように見えました。

 私はしばらく男の子の後ろ姿を見送った後、荷車の前に立ちました。



「あっ」



 荷車を引き始めようとして、大切な事を伝え忘れていた事に気が付きます。



「あの!!」



 私が大声を上げると、遠くに見える男の子が、立ち止まって振り返ったのが見えました。



「私!カヤって言います!! もし街に着いて困ったら、私を探して下さい!!」



 力になりますから。

 さっき言った通りの事です。

 男の子の表情はわかりません。

 うなずいたのかも見えませんでした。

 ただ、男の子は、振り返って、しばらく止まった後……



「わかった!!」



 そう叫んで、再び砂浜を進み始めました。



「……よし!」



 少しの間、男の子を見送った後、一人でそう言ってから、荷車に手をかけます。



「うん……?あれ……?」



 荷車を引こうとして、違和感。

 軽く前に進もうとしても、進みません。



「ふんっ!あっ……」



 車輪が砂に埋まってしまったのかと思いましたが、そんなことはないようです。

 かなりの力を入れて引くと、荷車は動き始めました。



「思ったより……重い?」



 彼が軽々と引いていたので気が付きませんでしたが、小舟と魔物が乗った荷車は、かなり重たくなっていました。



「…………やっぱり、家まで手伝ってもらうべきだったかも……」

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