9 飛んでいけ



「あの人っ!」



 私は声の正体と、魔物の行き先を理解しました。

 あの男の子は、武器を持ってすらいないのに、魔物を引きつけようとしたのです。

 立ち上がり、全力で砂浜を走ります。


 少し、本当に少し走るだけで、霧の中に魔物の白い甲殻が見えました。

 同時に、魔物の下に、男の子の姿もありました。



「大丈夫ですか!!?」



 私は叫びます。

 魔物の下にいると言う事は、突進を喰らってしまったのでしょうか。

 しかし、男の子は生きていました。

 彼は、魔物の爪よりも内側に潜り込み、おそらくは、焚き火の前で私が座っていた流木を、身体と魔物の間に挟んでいました。



「武器があるはずだっ!!」



 その叫び声は、返事とは言えないものでした。

 大丈夫だとも、助けてくれとも言わず、ただ武器があるはずだと彼は叫びました。



「っ! はいっ!!」



 武器とは何なんですか、とは聞きません。

 私は彼の言葉の意味を、即座に理解しました。

 私は全力で走り出します。

 魔物に向かってではなく、魔物と反対側へ。


 彼を助けるためなら、魔法を放っても良かったかもしれません。

 最初の遭遇で、私が魔法を使おうとした瞬間、霧の中にもかかわらず、魔物は私に突進してきました。

 次に放った火球は避けられなかったものの、その後、魔物は背面を向いているのにも関わらず、私に向かってきました。


 おそらく、あの魔物は魔法の発動を察知できるのです。

 魔法を使おうとすれば、魔物は男の子から離れ、私に襲いかかってきたでしょう。

 その間に発動することのできる魔法程度、当たっても、避けられても、結果は変わりません。

 偶然目に当たれば、少しのダメージは与えられたかもしれませんが、仕留めることはできないでしょう。

 なんにせよ、私が襲われている間に、彼は逃げる事ができます。


 ですが、彼が逃げるつもりだったのなら、もうとっくに逃げていたはずです。

 わざわざ魔物の注意をひいてまで、私を助けることは無かったはずです。

 わざわざ重い流木なんて、運んではこなかったはずです。


 だから、私は走ります。

 迷うことはありません。



「あった!!」



 霧の中に、それを見つけます。

 右手に持った杖を、後ろへ放り投げます。

 濃霧の中に浮かぶ、横長の影。

 小舟ともソリとも言えそうな、半月状の木の塊。


 その中には、武器のようなもの。

 男の子を冒険者だと思った理由。

 少し錆びていて先の丸まった、幅広で、片刃で、鍔の無い、私の足先から顎ほどまである長さの、剣。

 刀身は、ファルシオンにしては大き過ぎますし、少しだけ反っています。

 全長の四割ほどを占める木製の柄には、持ち手から刀身との境目まで、ぐるぐると革のようなものが巻かれています。

 奇怪な見た目というほどではありませんが、今まで見たことがないような武器であることは確かです。



「重い! けど! 運べる!!」



 両手で持つような大きさの剣です。

 左腕に激痛がある状態では、持ち上げることすらできないでしょう。

 ですが、右腕だけでも運ぶことはできます。

 剣を引きずりながら砂浜を進みます。



「ぐおおおおっ!!」



 砂浜を少し引きずれば、男の子の叫び声と共に魔物の姿が視界に入ります。

 耳に入ってくるのは、バキバキと何かが折れるような音。

 男の子と魔物の間に入った流木が、その音の原因でした。

 何が起こっているのか詳しい事ことは分かりませんが、もうあまり時間がないことはわかります。


 今から剣を構え、魔物に斬りかかることはできません。

 今から剣を運び、彼に手渡すことはできません。

 ですが、私が彼を救い出すことはできます。


 私は運んだ剣を手放し、砂浜に置きます。

 私の足元には置いた剣と、先程放り投げた杖がありました。

 空いた右手で杖を拾い、構えます。

 使う魔法は、決まっています。

 私は杖を足元の剣へ向け、精神を集中させました。



「私に従い」



 その言葉で、剣が少し浮き上がります。

 同時に、耳に響いていた、何かの折れるような音が止みました。

 おそらく、次の瞬間に、魔物は横向きに駆け出すのでしょう。

 ですが、この魔法なら、間に合います。



「飛んでいけ!!」



 先の丸まった、重く、長い剣。

 それが、砂浜すれすれを滑るように、少しずつ浮きあがりながら飛んでいきます。

 魔物は男の子から離れようとしますが、もう間に合いません。

 一瞬で、魔物と剣の距離は縮まります。



『フシューッ!!』



 剣は魔物の背面に直撃しました。

 何かが噴き出すような音は、魔物の悲鳴でしょう。

 白い甲殻にもヒビが入っていますし、今度はちゃんと効いたようです。

 ですが、魔物を仕留めるには、至りませんでした。



「やっぱり、一発じゃダメですよね」



 私がそう呟いた直後、魔物は男の子から離れ、こちらに振り返ります。

 岩のような胴体の、かなり下の方に付いた、二つの黒い目が私を睨みます。

 わざわざこちらを向くと言うことは、また突進して来るつもりでしょう。

 私は、片腕だけで杖を構え、魔物に向かいます。

 魔物は予想通り、こちらへ向け、跳び込んで来ました。



「ぐっ!」



 私は左へ跳び、突進を回避します。

 しかし、遭遇時や、距離の近かった二回目の突進とは違い、魔物が着地したのは私の真横でした。

 魔物は着地すると同時に、私に向かって脚を動かします。



「くおおっ!」



 不安定な体勢からでは、跳んで回避することはできません。

 私は魔物の胴体と脚に轢かれないよう、仰向けになって魔物の脚と脚の間に身体を滑り込ませます。

 しかし、魔物は私を通り過ぎる事なく、私の真上で止まりました。



「うっ!?」



 私は、即座に魔物が止まった理由を理解します。

 同時に、魔物と男の子の間の流木が、バリバリと音を立てていた理由も。

 思えば、目があんなにも下にあることがおかしかったのです。

 私の上、魔物の底面には、牙の生えた口のようなものがありました。

 魔物は私を食べるつもりです!



「うっらあああ!!」



 私は何をするべきか、考える事もなく行動しました。

 魔物の下に滑り込んでも、右手の杖は持っていました。

 私は咄嗟に右手の杖を握り直し、杖の頭を持って、石突きを魔物の口へ突き立てました。



『フシューッ!!』

『バキッ!』



 魔物が悲鳴を上げると同時に、魔物の口が閉じ、杖が折れます。

 私は杖の頭側半分を放り投げ、魔物の後ろ側側面に、右手をかけます。

 それは、攻撃手段を捨てることを意味しました。

 ですがもう、私はそうするしかありませんでした。



「お願いします!!」



 私は右手で身体を滑らせ、魔物の下から脱出して叫びます。

 それは半分、賭けのような、祈るような気持ちでした。

 もう半分は、返事が来ることを信じる気持ちでした。



「うおおおおおお!!」



 返事は、そんな雄叫びでした。

 私の目の前に、剣を右肩に構えた、男の子の姿が見えました。

 そこから剣が振り下ろされるのに合わせて、私は素早く頭を下げました。


 直後、私の耳に響いたのはバキッという破砕音。

 魔物の悲鳴は聞こえません。

 代わりに、続いて聞こえたのは、何かが砂浜に倒れるような音。


 視界を後ろへ向けると、魔物の甲殻が、砂浜に付いていました

 白い甲殻にはヒビが入り、最もヒビの大きい場所には、大きな剣が、刺さっていました。



「ははっ」



 私は少し笑って身体を起こし、座りながら前を見ます。



「はぁ……はぁ……」



目の前には、両手を下げて魔物を見つめている、男の子の姿がありました。



「やった……! 凄いです!」

「うおっ!?」



私はすぐさま立ち上がって男の子に詰め寄ります。



「私たち! あんな大きな魔物を倒しちゃいました!」



右手で魔物を指し、彼を見つめます。

男の子もまだ信じられないのか、目を丸くして驚いています。



「倒したんですよ! 私たちで!」



未知の魔物ですから、どのくらいの危険度なのかはわかりません。

ですが間違いなく、私が今まで見た中で、最も危険な魔物でした。

プレーンスライムや、ただの狼ではない、れっきとした危険な魔物。

それを、冒険者になってから初めて倒す事ができたのです!



「すごいすごい! やった!」



飛び上がって喜ぶとはこう言うことです。

私の気分は最高潮です。

男の子はまだ固まっていますが、説明すれば、これがどれほど凄い事なのかわかるはずです。



「うん?」



そんな事を考えていると、ふと、あることに気が付きました。

男の子の視線は、魔物では無く、ずっと私に向いていました。

正確に言うなら、私より少し上の、丁度帽子の辺りに……



「えっと、あなたは……獣人なのか?」



私は、固まりました。



「えっ……? あっ」



咄嗟に、右手で帽子を触ろうとしましたが、頭の上に帽子はありませんでした。

代わりに手が触れたのは、頭の上の、私の耳でした。

振り返ると、魔物のすぐ後ろに、私の帽子が落ちていました。

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