時計と星占い
私が持っていた腕時計が、ある日から突然動かなくなった。
シアンと一緒に生活するうちに腕につけるのが煩わしくなり、それからは借りている部屋のベッド脇に置いて、朝起きたときの時間だけ確認するようにしていたのだ。
ある朝起きると、時計はカーテンの隙間から差し込む日差しからはほど遠い時間を指し示していた。一階にある壁掛け時計と照らし合わせると、やっぱり腕時計は止まっていた。
シアンに相談して腕時計を見せると、彼は顎をさすりながら言った。
「君のいた場所とは時計の作りは変わらないはずだけど、一回時計屋に行ってみようか」
シアンに連れられ、私は町にある一軒だけの時計屋へ行った。
小さな古めかしい店舗の中は一面時計だらけだった。
壁には色々なデザインの壁掛け時計、鳩時計、ショーケースには腕時計や懐中時計、その上には置時計や目覚まし時計。私の知っている時計売り場のものが少なく感じるほど、置ける場所にとにかく時計がびっしりと陳列されていた。
たくさんの時計の均一な針の音がカチカチと音を立てている。ひとつひとつは小さな針の音なのに、時計が無数に揃うとこんな大きな音になるらしい。幻惑されたような気分で突っ立っていると、シアンがカウンターに手をついて、中にいる老人に話しかけていた。
「おう、森の番人かい。今日はどうした」
「シースイ、持ってきて」
シアンに手招きされ、私はカウンターの上に壊れた腕時計を置いた。
老人は小さな丸眼鏡を押さえながら腕時計を手に取り、眺め回す。
「これは……、たぶん壊れているんじゃなさそうだ。時計は時間を正しく進めるための道具だ。持ち主のお嬢さんの時間が止まっているから、時計が進まなくなったんだ」
「私の時間……?」
時計は時間を正しく知るための道具ではないのだろうか。
怪訝そうな私の様子に気づいたのか、老人は私に鋭い視線を寄越した。私は思わずシアンの後ろに隠れ、彼のパーカーの裾をきゅっと掴んだ。
「お嬢さんがまた進もうと思えば、時間は動く。それで時計も動くようになる」
老人は時計をカウンターに置いた。私は到底納得していなかったけれど、シアンが老人とのやり取りを終わらせて店を出るので、私もついていくしかなかった。
「本当に、私の時間なんて、関係しているのかな」
納得できない私は帰り道でシアンに聞いてみた。
「彼は時計のエキスパートだから信じていい。でも、そうか。シースイのいた場所とは時計の進み方が違うんだね」
「じゃあ、家の時計がちゃんと進んでいるのは、シアンの時間はちゃんと動いているってこと、だよね?」
シアンは立ち止まり、私を見下ろした。
「……僕の時間も止まっている。家の時計が進んでいるのは、家の時間が進んでいるから」
シアンはパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「シアンも、進めていないの」
「あのひとが森でリンチにされてからね」
シアンは再び歩き出す。私はシアンについていく。
歩いているのに、私はここに迷い込んでからたぶんまったく進めていないのだろう。歩き回りながらどこかを探している。でも、それが何なのかも私にはよくわかっていない。
シアンも、きっと。
「どうしたら、時間って進むのかな」
「さあね。いつ時計が動くかなんて、人によるとしか言えない。世界の時間と自分の時間の進み方には齟齬があるものだしね」
自分の中の時間が進む。いつかはそんなことになるのか、そんな状態の自分が想像できないし、信じられない。
私は止まったままの腕時計を一度見てからそれをポケットに突っ込んだ。
「シアン、ちょうどいいところに」
ある店先から顔を出した男が、ポスターのようなものを筒状にして道に踊り出てきた。見た瞬間、この人は当分忘れられないなと私は心の中で呟いた。
裾がひらひらした白と青のローブのようなものを着ていて、頭には月をかたどった金のサークレット、胸元には太陽をかたどった金の飾り、ローブの裾には星をかたどった金の飾りをこれでもかというほど吊り下げていた。
「これ、余っているからもらってくれないか?」
男は持っていた筒状のものをシアンに押しつけるように差し出す。シアンは顔を顰めながらそれを受け取る。
「もう今年もけっこう過ぎているだろ。今更カレンダー?」
「だって、今はなかなか星占いのカレンダーなんて売れないんだもの」
シアンは何やら文句を言いながら筒を軽く広げる。ポスター状のそれの中身には升目で区切られた日付が並んでいる。本当にカレンダーのようだ。
私がカレンダーを見上げていると、ふと男と目が合った。私はついシアンの後ろに隠れた。今日は知らない人から隠れてばかりな気がする。男がこっちを指差す。
「え、なに? まさか森に引き篭もっているお前に彼女?」
「一緒に暮らしているだけ」
カレンダーを筒状に戻したシアンがそれを小脇に抱えた。男は手を振りながら貰ってくれてありがとうな、と言いながら出てきた店に戻っていった。
面倒な奴に見つかったとシアンは呟いた。
森の家に帰ってから、シアンはテーブルのものを横にどけてカレンダーを広げる。
十二枚が綴じられ、日付が升目に区切られて並んでいる。日付の下に、ひと言で何かが書き加えられている日が何箇所もあった。
詩のような不可解な短い言葉が四行ほど書かれている。
「この言葉は何?」
「さっき会った奴は占星術師。これは占星術で詠まれた未来の予言。文の意味はわからないけれど、実際に何かが起こってみるとこの言葉の意味がわかるようになっているんだ」
確かに、読んでみると比喩ばっかりで何が起こるのかがかなり不明瞭な言葉だ。
「それじゃ、事前に知る意味がなくない?」
「占星術で詠まれた未来は定められていて決まっている。だからいい未来も悪い未来もわからないように、予言はわかりにくい言葉で書き記してあるんだ。悪い未来を知ってパニックになる人も出るし、予言を避けようとして更に大惨事が起こるなんてこともあるしね」
言われてみるとそうかもしれない。私も、悪い未来を事前に知っていたならそれを避けるように行動するだろう。そうすることによって未来が少しずつ変質していく。
それなら未来なんて、最初からわからない方がいいのかもしれない。
私も、今まで歩いてきた短い人生の中で、先に未来がわかっていたらと思ったことは何度もある。避けられた不幸が無数にあったかもしれない。もしかしたら、どこに向かって歩いているかもわからない迷子になんてならなかったかも。
でも、もう遅い。
「占星術師の予言は当たるけど、起きる前も起こった後も、せいぜいこの言葉はあのことを言っていたのかなと考えることくらいしかできない。そんな占いで何遍もの解釈を作って愉悦に浸る奴なんて、ただの暇人だよ」
なかなか辛辣なことをぼそぼそと呟くシアン。
「……カレンダーで日付を数えたって、何の意味もない」
時間の止まった彼は、暗い目でカレンダーを見下ろしていた。
だいぶ辛辣なことを言っていたが、シアンは広げたカレンダーを居間の空いている壁にかけた。彼自身は否定するかもしれないが面倒見のいい人だと思う。
不明瞭な四行詩を見つめながら、未来を知ることはきっと無意味なことでしかないのだと私は考えていた。
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