第3話 始まる前に終わってた

羽川の助言通りに動くのは、納得いかない部分もあるけど、私は今日、良に長年の想いをぶつけるつもりだ。

このまま許嫁をやめて、普通の幼なじみになってしまうのは嫌だから。

勝負はお昼休み。人気の少ない空き教室に呼び出して告白する。良にはもう連絡してある。逃げ道は事前に自分で塞いだ。


いつも通り登校して、授業を受けて、合間の休み時間に友達と話して、時間はあっという間に過ぎていく。

いよいよお昼休み。良を呼び出した空き教室へ一人で向かう。道中、深呼吸を何度も繰り返して心臓を落ち着かせようとしたけど、効果は特になかった。


階段を上っていくと、聞き覚えのある声が聞こえた。


「用事を済ましたらすぐにそっちに行くから待っててくれ」

「うん、待ってるね」


見ると思っていた通り、良がいた。そして見覚えのない女子生徒も。


誰…?


そう思ったのも束の間。私は良とその女子生徒の関係を嫌でも理解してしまった。

良と名前も知らない女子生徒の顔が徐々に近づいて、二人の距離がゼロになったから。


刹那、世界から音が消失した。












気づいたら走り出していた。兎に角、走って、息が切れるまで走って、込み上げてきたものをこぼさないように堪えて、角を曲がろうとしたら誰かとぶつかった。


「いったぁ!なんなの!?」

「ごめんなさい…っ」


顔も見ないで、一言謝って、また走り出す。

走るのをやめたら、きっと昨日みたいに泣いて、周囲の視線が集めてしまう。それは私のプライドが許さない。昨日は突然のことで油断していたけど、今日は振られることも考えていたし、ちゃんと心の準備はできていた。

しかたない。しかたないことだ。

私が遅すぎたんだ。チャンスはいくらでもあったはずなのに、告白もせずに能天気にいた私が馬鹿だったんだ。


「ちょっと!待ちなって…!」


突然、腕を掴まれた。掴んできたのは羽川だった。


「離してっ」

「こらっ、待てって泣き虫!」


その一言に頭に血が上った。ごちゃごちゃな今の状態も相まって、目立ちたくないのに大声で反論してしまった。


「泣いてないし!!」

「うるさっ。声抑えろ!」


羽川の手が私の口を覆う。もがもが、と言葉にならない声が羽川の指の間からすり抜けていく。


「はいはーい。ちょっと静かにしましょうねぇ」


引きずられながらどこかに連れていかれる。

私は一体どこに連れていかれるんだろう。

羽川の行動の意味がわからないし、こんなことしている場合じゃないのに。

早く誰もいないところに行かないといけないのに。

そうじゃないと、もう…。


(あ、ダメだ…)


押し寄せてくる感情は自分では制御できなくて、昨日みたいに溢れ出した。


「えぇ!?なんで泣い…っ!?」

「ぅんん……っ」


最悪だ。本当に最悪だ。

二度も羽川の前で泣いてしまうなんて。

指の間から漏れる嗚咽や鼻をすする音。流れる涙に羽川は戸惑っているようだった。

でも、もうそんなこと知るか。

こうならないために堪えていたのに羽川のせいで全部水の泡だ。


羞恥心も、情けなさも、どうしようもない悲しみも、抱え込むのに、私には耐性がなかった。昔から何不自由なく生きてきたから、こういうとき体が勝手にストレスを発散させようと変化をもたらす。

私の場合それが泣くことだったらしい。


「うわぁ、次の授業ダルすぎるんだけど」

「わかる。早く帰りたいよねぇ」


女子の声が聞こえた。

まずい。こんな状態、もう誰にも見られたくないのに。


焦って、暴れて、羽川の手を強引にのけようとしたけど、無理だった。


見られたくない、見られたくない、見られたくない…っ。


目を瞑って強くそう思っていると、目を瞑っていても認識できていた光が薄くなり、同時に柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐった。


「あれ、翠こんな所でなにやってんの?」

「人命救助」

「何それ」

「この子、体調悪いみたいだから保健室連れてく途中なの」

「え、まじで」

「大まじ。寒くてめっちゃ震えてんのよ。早く保健室連れて行きたいからあんたらはさっさと行きな」

「はいはい。お大事にね」

「ちゃんと保健室まで責任もって付き添いなさいよ〜」

「わかってるっつーの」


足音が遠ざかっていく。焦りと緊張で強ばっていた体から力が抜ける。目を開けたら、唇を曲げて、不機嫌そうな羽川の顔が間近にあった。

私に、自分が着ていたグレーのパーカーを頭から被せてくれていた。光が薄くなったのも、柑橘系の匂いがしたのもこのパーカーを被せられたからだ。


「あんた、昨日の今日でよく泣くね。もしかしてあの男とまたなんかあったの?」


あの男。あの男とは、良のこと。

あったと言えばあった。でも、なかったと言えば何もなかった。

私とは何もなかった。

始めようとしていたのに、始める前から終わっていた。


私の初恋は、終わっていた。


「えぇ…勘弁してよ……」


勘弁してもらいたいのは私の方だ。

羽川の助言のせいで無駄に期待してしまったじゃないか。まだ私と良には続きがあると思ってしまったじゃないか。


「…ん、これ使いな」


ハンカチを顔に押し付けられた。

その時、少し冷えた羽川の指先が、頬をかすめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る