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正直、大学の授業に集中なんてできるはずもない。あまりにも家のことが気がかりすぎる。上の空なので、教授のいう呪文は右から左だ。一日中漫然とした気持ちで授業を受けたあと、僕はやはり足早に帰路に着いた。太陽は既に街を橙に染め上げている。じきに街は藍にも染め上げられてしまうだろう。ここ数年一緒に歩くような間柄の人がいないせいで、自然と早くなった歩調で家へ向かう。
果たしてたどり着くアパート。ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていない。中に入ると、普通にジュラがいた———ありえない程とっ散らかった部屋の真ん中に。
「む、帰ったのだな」
「ハハ、タダイマ………」
力なくリュックを置く。なんだ? 僕今朝部屋を汚すなって確かに言ったよな? 通じてなかったのか?
片付けなければ僕が座るスペースも無い。自分はあまり物を買う方ではないのだが、自分の家にこれだけ物があったのかと逆に感動する。部屋の真ん中で何故か英和辞典を読んでいるジュラのことは放っておいて、床の物を棚に戻すことにした。
こいつ、本当に棚をひっくり返したような勢いで散らかしてくれたな………。だがまあ、部屋を散らかされるだけなら想定の範囲内だ。むしろこれだけで済んで良かったと思うべきだろう。そう思わないとやってられない気がしたし、正直もっとやばいことが起きているのではと心配していたのだ。
棚から吐き出されたものを戻していく。せっかく授業ごとに並べた教科書も、一巻から揃えた漫画もまた整理し直しだ。装飾も飾り直し。琥珀は無事だ。そのほかの飾りも、とりあえず壊れたりはしていないようだ。
それなりの時間をかけてすべてを棚に収める。明日帰ってきたらまた散らかっているのだろうか。憂鬱だ。立ちっぱなしで疲れたので、僕はなんとなくジュラの隣に座る。
やはりジュラは英和辞典を熱心に読んでいる。読んで面白いものか? ジュラはSの頁を読んでいるが、まさかこいつ、辞書の頭からこのページまで読んできたのだろうか。信じられない、どれだけ時間がかかるんだ。
「それ、読んでて面白い?」
「ん? うむ、非常に興味深いぞ」
言いつつジュラはまたページをめくる。Tの頁に入った。
「この星の国々は、みな使う言葉が違うのだな………。難儀なことだ」
「ジュラが住んでる星だとどの国も同じ言語を使うのか?」
「ヨらの星にはそもそも国など無いのだ。故に皆同じ語を話す」
「へぇ………どんな文化だ………」
星中の人々がみな同じ場所に暮らし、同じ言葉を使う? 今の地球を基にすると、とても信じられない様相だ。
「なぁハクア、察するに、この辞典は日本語と英語をつなぐものだな?」
「そうだな」
「しかし、この星にある言語は日本語と英語だけではあるまい。ならばな、日本語と別の言語をつなぐ辞典もあるということか?」
「それもその通りだな。家には日露辞典もあるし」
「だとしたら、英語とその“露”をつなぐ辞典もあるわけだな?」
「そうなんじゃねぇの?僕は英露辞典なんて持ってないけど………」
「うむ………。ハクア、もしも全ての語と語をつなぐ書がそれぞれあるとしたら………一体どれだけの頁数になるのだ?編纂にはどれだけの時間がかかるのだ?」
確かに、言われてみればそうだ。この世の全ての語学の辞書。編むのにどれだけの手間がかかっているのだろう。ジュラの星のように、もし言語が一つしかなかったら、この苦労もないわけだ。
「そしてその辞書を大勢が持っている、一介の学生でさえも………。ハクアよ、この星の人々はもっと資源を大切にした方が良いぞ。」
「そんなこと僕にいわれてもなぁ。出版社とかに言ってくれよ」
一介の学生が変えれる問題じゃない。
「外に出ずとも、この部屋の中でさえ、ヨにとっては学ぶことが多い。この星について知るにはまだまだ時間がかかりそうだな………」
地球の視察というのは嘘なんだろ? なんでそんな熱心にこの星のことを研究してるんだろう、こいつは。ていうか、まだまだいるつもりかよ。こちらとしてはとっとと故郷に帰ってほしいのだが。
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