愛は木漏れ日

 フユちゃんと出会ってしばらく経った。花火を見て、初詣に行って、桜を見て、お祭りに行って。気がつけば、二人で過ごす二度目のクリスマスが近づいていた。

[デパート各社では早くも福袋の予約が始まっています。こちらのデパートでは、来年の西暦に合わせて二千三十円均一の福袋が……]

空になったどんぶりとにらめっこしながら、俺はラーメン屋のテレビから流れるニュースをぼんやりと聞き流していた。

[こちらでは、来年の干支『いぬ』にちなんで可愛いワンちゃんのグッズが……]

隣ではフユちゃんが豪快に麺をすすっている。バッサリと肩まで切られた髪は、ラーメンを食べにいく日はいつもハーフアップだ。トッピングの野菜をモリモリ食べてスープをグビグビ飲み干していても、フユちゃんはいつも通りの上品なオーラを放っている。

 ふと、視線が合った。

「申し訳御座いません、お待たせしてしまって」

フユちゃんが申し訳なさそうに笑う。

「気にしないで。俺が早食いすぎるだけだからさ」

一年以上付き合って、俺はフユちゃんのことを少しずつ知った。実は同い年タメで、ガッツリ系のラーメンが好きで、知らない人に話しかけられるのは少し苦手で……。

「帰りましょう、ハルちゃん。直に暗く成りますから」

「そうだな」

フユちゃんは、ここに来る前の話を嫌がる。何かあったんだろうなと思いつつも、俺もフユちゃんに昔の話はしていないのでお互い様だとは思っている。

 昭和の名曲から最新のシングルまで、どこに行ってもクリスマスソングでいっぱいだ。

「♪雨は夜更け過ぎに〜雪へと変わるだろう〜さいでっか〜ほーでっか〜」

俺が『クリスマス・イブ』のヘンな替え歌を歌っていても、フユちゃんは静かに笑っている。実家じゃ爆ウケだったんだけどなコレ。

「あ、そうだフユちゃん。クリスマスプレゼント何がいい?」

「ハルちゃんとラーメンが食べたいです」

去年のクリスマスも同じ答えだった。遠慮しなくたっていいのに。

「そっかー。どこがいい?」

そう聞くと、フユちゃんは照れくさそうにつぶやく。

「私、『ジロウ』を食べてみたいので御座います」

なら選択肢は一つ。

「っし!行くか、京都!」


 京都府と奈良県は隣接している。つまり、俺の知り合いに会うリスクも格段に跳ね上がる。ぶっちゃけ行きたくない。

「凄かったですね、『ジロウ』。最早ラーメンを超越した存在と言っても過言では無いのでは……!」

しかし、まあ。このフユちゃんのキラキラ光る笑顔に比べればこの世の全てのリスクは紙クズ同然だ。

「またフユちゃんの『初めて』もらっちゃったな、俺」

初めて彼女とキスをしたのも、ラーメンを食べに行った帰りだった。確か去年の秋だった。

「これからどうする?ホテル取ってあるし、ゆっくり観光しようよ」

「では、お茶屋さんで抹茶でも……」

修学旅行生みたいなやり取りをしながら、二人で手を繋いで京都の町を散策する。

 「あら、ほむらのドラ息子。モノノケ調伏ちょうふくの仕事を放り出して都会で遊び歩いてるような臭い足で、京都ウチに踏み入らないでくださる?」

首筋に突き刺さる冷たい声。俺はフユちゃんをかばいながら後ろに振り向いた。

「ハルちゃん。あの方は」

手奈土てなづちれん。めっちゃ強い人だよ」

けど、めっちゃヤなひとだ。

 蓮の視線がフユちゃんに向く。

「知能指数と女の趣味って比例するのね」

「あぁん?」

こいつ、フユちゃんをバカにしやがって。

「ソイツは猿山えんざんの女よ」

「何が言いてぇんだ」

「まさか、知らずに付き合っていたの?」

蓮が鼻で笑う。

「猿山の女はね。代々、子供のうちから名前を知らない男に股を開いて、犬猫みたいに誰が父親かもわからない子供を産みまくるの。変な病気でもうつされたらどうするつもり?」

「……んだよ、それ」

「かわいそうねはるかちゃん。あなた、その女に遊ばれてるのよ。どうせ付き合うんだったら、もっとマシな家の女と……」

最後まで聞くより先に、紫電を帯びた手刀が空を切った。

「いい加減にしろよクソババア‼︎これ以上フユちゃんのこと悪く言ってみろ、次はその顔を厚化粧ごとそぎ落としてやるからな‼︎」

「ハァ⁉︎人がせっかく忠告してやってんのに何よその態度!これだから親無し子は……」

ゴチャゴチャ抜かしている蓮をガン無視して、俺はフユちゃんの手を取る。

「行こうぜフユちゃん」

その手が、かすかな力で振り解かれた。

「……フユちゃん?」

「ごめんなさい……」

彼女はそう言って人ごみの中に消えていく。

「フユちゃん!」

消え入りそうな背中は、やがて人の波に飲まれて見えなくなった。


 ビルの谷間の遠くの空で、つがいからすが鳴いています。私は薄暗い路地裏に座り込んで、ぼんやりとその様を見つめておりました。

 いつかは申し上げなければならないと思っていて、それでも今の今までお伝えせずにいたのは全て私の弱さ故で御座います。

 「我慢しなさい。母様だって、お前ぐらいの歳にはもう子供を産んでいたんだよ」

十二の時に初潮しょちょうが来て、初産ういざんの際に母が言い放った言葉が、今でも胸の隅にとげのように刺さっております。

 祖母が母を呪い、母が私を呪い。最早原型を留めぬ怨讐おんしゅうのために、私は見知らぬ殿方とのがたに何度も、何度も種を付けられました。誰もそれを咎めませんでした。母もそうして産まれてきたから。

四度目の子供を死産した時、私は半狂乱で家を飛び出しました。私が子供を産めなくなった事を母が知れば、きっと私は見捨てられる。我が身可愛さで、私は言葉も覚束ぬ我が子を見捨てて逃げたのです。

 とうに陽も暮れて、凍えるような北風が吹いております。このまま眠れば死ねるでしょうか。そんな事を夢想していた折の事でした。

「フユちゃん‼︎」

彼が光を背負って、泣きそうな声で私の名を呼ぶのです。

「ハルちゃん……」

神戸の街で出逢ったあの夜の再演のようでした。

「寒いだろ。こんなところにいたら風邪ひいちゃうよ」

「わ、私は……」

ハルちゃん。焔はるか。貴方は何と眩い人なのでしょう。他人の為に命を懸けて闘って、私の如き卑しい女にも分け隔てなく手を差し伸べて。

「貴方の期待に沿えないのです」

ああ、それでも。この世の何処にも、好き好んで石女うまずめを養う人など居ないでしょう。

「口にするのもおぞましい、卑しい産まれの女なのです」

私が穢れた猿山の女だと知っていたら。穢れたはらから産まれ出た、父親も知れぬ子供だと知っていたら。そうしたらきっと、貴方は私の手を取ろうなどとは思わなかったでしょう。

「私は……。私は、あの夜死ぬべきだった……」

そこまで申し上げた所で、不意に視界が暗くなりました。

「なんでそんなこと言うんだよ……!」

ハルちゃんが私を強く抱きしめていたのです。

「俺が好きになったのはフユちゃんだ。ラーメンが大好きで、トレンドにはちょっとニブくて、俺の作ったご飯をニコニコ笑顔で食べてくれるフユちゃんなんだよ」

抱き寄せられた胸は暖かくて雄大で、春の陽だまりのようでした。

猿山えんざん冬雪ふゆだから愛してるわけじゃない。女だから一緒にいるんじゃない。フユちゃんだから愛してるんだ!フユちゃんだから一緒にいたいんだ!」

項に大粒の雫が滴り落ちてきます。

「だからさぁ……。どこにも行かないでくれよ……」

返事の代わりに、私は彼の背中にそっと両手を回したのでした。


 オレンジ色のベッドランプが揺らぐ。さっきまでは暑いくらいだったのに、今は少し肌寒い。

[さあ、ただいまの時間は電話番号末尾が偶数の方のお電話受け付けております……]

クリスマス後夜恒例のバラエティが視界に入って、いまさらテレビを消し忘れたのに気付いた。

「あー……。何か飲む?」

初めてってわけじゃない。何度か請われて抱いたことはある。……ただ、自分から誰かを求めたのは初めてだってだけで。

「いいえ。……もう少し、このままで」

お笑い芸人の引き笑いをBGMに、二人で裸のまま抱き合う。

「つらくなかった?」

そう聞くと、フユちゃんは微笑みながら首を横に振った。

 ベッドの中で持て余している足を絡ませる。フユちゃんの手を握ると、彼女も手を握り返してくれた。

「フユちゃんの手は冷たいな。優しい人の手だ」

「貴方の手は、とても温かい」

「優しくないからな、俺」

「御冗談を」


「お水を取って参りますね」

ベッドから抜け出したフユちゃんが小さな箱を拾い上げた。

「あっ、それは……」

白い手が空けた箱の中には、小さいダイヤがはまった金の指輪。

「ハルちゃん、これは一体……?」

「あー……」

コートに入れたまま忘れてた。本当はもっとオシャレに渡したかったけど、ここまできたらやるしかない。

「指輪。フユちゃんのために買ったんだ」

「受け取れません。こんな高価なもの」

ウソだろ、まだ気づいてくれないの⁉︎

「いや、違くて、その……」

俺はいてもたってもいられず、ベッドに膝立ちになって指輪ごとフユちゃんの手を握った。

ほむら冬雪に、なってくれませんか?……って、こと」

ダサすぎる。俺はフルチンだし、指輪はさっきまで床に転がってたわけだし、BGMはパチンコ屋のCMだし、ごみ箱からゴムがはみ出してるし。「最低なプロポーズ選手権」があったらブッチギリで優勝できそうなプロポーズだ。

「良いのでしょうか?私、お嫁に行っても」

手の甲に涙が落ちる。

「こんな、私ばかり、幸せになって……」

伝い落ちる涙の線がオレンジ色に輝いていた。

「いいんだ。いいんだよ」

指輪の箱をサイドボードに置く。フユちゃんの左手を取って薬指にはめると、指輪はあるべきところにあるようにピタリと収まった。

「一緒に幸せになろうな」

「……はい!」

二人で裸のまま抱き合って、そのまま息ができなくなりそうなキスをした。

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