・消えた日記帳と断罪する狼 - SIDE:弟王子 -

少し前――


 俺の名はヘリート・レイクナス。

 この国の王太子だ。


「何度言えばわかるっ、これは陰謀だっ、陰謀なのだっ!!」


 俺は王太子であり、レイクナス王国の未来の守護者である。

 俺の采配と武勇がレイクナスの未来を決める。


「ではお尋ねしますが、ヘリート叔父上。これは何者の陰謀だと言うのですが?」


 だというのに……!


「貴様だラフェルッ、汚れた平民の子め!!」

「確かに私の母は平民です。ですが半分は貴方方と同じ血が流れていることをお忘れ無く」


 俺と父上は今、議会に呼び出され、貴族どもに告発されている!

 あろうことか守護者である俺たちをだ!


「みんな聞いてくれ!! このラフェルは雄羊宮を襲った竜と結託している!! コイツはこのスキャンダルを使ってっ、この国を乗っ取ろうとしているのだっ!!」


 そもそもこの話、根本からしておかしいではないか!

 兄上が……あのやさしい兄上が……。


 俺に、こんなことをするはずがない……。


 兄上が俺を告発したなど嘘だ!

 兄上はなんだかんだ言って、弟の俺を愛してくれていた!

 その兄上が俺を陥れるはずがない!


「どんなに陰謀論をわめこうと、国王陛下および、王太子殿下が国に背いていた事実は何も変わりません。そうですよね、公爵様……?」

「はい、先ほど供述した通りです。国を守る英雄たちに与えるはずの『体力の琥珀』を、王家は私に売ろうとしてきました」


「いや買っただろうっ!! 公爵貴様っっ、我々からっ、貴様はっ、買っただろうがぁぁっっ!!」

「往生際が悪いですぞ、ヘリート王子」


 兄上が悪いのだ……。

 兄上があんな力を持って生まれたからこうなったのだ……。


 どいつもこいつも、兄上の幸運と奇跡に目がくらんでいたくせに!

 今さら自分たちだけ正義っつらをしやがって!


「もうよい、ヘリート……」


 父上は既に心折れていた。

 父上は俺の肩に触れて諫めるが、俺は父上の手を振りほどいた。


「父上、こいつらの狙いは玉座だ! これは国家転覆をもくろむ陰謀だ!」

「なんであろうと我々の負けだ……。我々は虐げてきたパルヴァスに、負けたのだ……」


「違うっっ、兄上はこんなことをしない!! 俺の兄上は誰よりもやさしいのだ!!」


 確かに俺たちは兄上の力を有効活用した。

 だがそれもこの国を守るためだ。


 いつ魔軍に滅ぼされるかもわからないこの時代に、良心などなんの役に立つ?

 兄上一人の犠牲で国が救われるなら、それでよいではないか!


「俺たちだけが悪いのか!? みんな、みんな承知の上で兄上を幽閉してきたくせに、俺たちだけを悪人にする気かっっ?!」


 やつらは父上に退位を。

 俺に王位継承権の放棄を要求している……。


 それが後ろにいる連中の狙いだというのに、父上は降伏する気だ!


「止めよ、ヘリート……。真の敵は魔軍、人間同士で争っている場合ではない……」

「おや……?」


 議長席で偉そうに腕を組んでいたラフェルが立ち上がった。

 議長席のある高所から見下されるだけで屈辱に唇が震えた。


 家柄と武勇をかね揃えたこの俺が、まだ20歳にもなっていない若造になぜ見下されなければならぬ!

 

「貴様っ今度はなんの難癖だっ!」

「国王陛下ともあろうお方が、これは異なことを申しますね」


「……何が言いたい、ラフェル。余の玉座だけでは不満か?」

「国王陛下、貴方は全て、知っていた・・・・・のでは?」


「全て? いったい、なんのことだね……?」


 軽蔑するような冷たい目で、ラフェルが父上を見下した。


「邪悪なる契約ですよ」

「……ぬッッ!?」


 なんの話わからんが、父上に大きな動揺が走った。


「貴方は知っていた」


 なんだ?

 いったい、何をだ……?


「人間と、欲深き円環トーラスの、見下げ果てた契約を」

「な…………っ、なぜ……そなたが、その名を……っ」


「国王陛下、貴方は魔軍が人類を滅ぼす気などさらさらないことを、知っていた。だからパルヴァス叔父上の奇跡の力を、我欲のために拝借することにしたのですね?」


 そんなバカな話があるか。

 心の中でそう俺は吐き捨てたが、父上は図星を突かれたように絶句していた。


 これは戦士たちへの冒涜だ。

 魔軍との戦いが茶番のはずがあるか!

 俺も前線に立ち、戦士たちと共に戦ってきた!


 これは死んでいった者たちへの侮辱だ!


「いい機会です、皆さんに真実をお話ししましょう」

「や、止めろ……っっ。ラフェルッ、お前は民を絶望の底に叩き落とすつもりか……?!」


 話は父上とラフェルだけの知るところのようだ。

 これまで糾弾に加わっていた貴族どもも、ラフェルの発言に当惑している。


「欲深き円環という神は、未来を代償に現在の繁栄をもたらす狡猾な邪神です。人類は450年余りの間、この邪神の加護を受けて繁栄してきました」


 何を言い出すかと思えば、ラフェルは異端思想者だった。


 やつは玉座にチェックメイトをかけたというのに、今、その適正を疑われるような発言をしている……。

 だが、それはなぜだ……?


「しかし50年ほど前、諸王は欲深き円環との契約延長に失敗してしまいました。我々は450年間の繁栄の、代償を支払わされる哀れな遺児となり果てたのです」


 不気味だ……。

 なぜこの状況でこんな話をする……?

 この男、何が目的なのだ……?


「そこで諸王は、欲深き円環にこう願いました。『このままでは真実に怒り狂った民に、自分たちは皆殺しにされてしまう。おお、どうか偉大なる円環よ、この贄の刻印を我々の目に見えぬようにしてくれまいか』と」


 しかしこの話、聞き覚えがある。

 そうだ、道化師が恐れ多くも国王の使者を騙って雄羊宮に入り込み、兄上に狂った神話を騙ったと聞いた。


 その道化師は斬られたが、絶命の際にまやかしの術を使って、その場にいた者に刻印の幻覚を――


「な……なんだ、これは……?」


 気が参っているのだろうか。

 ふいに小さな痛みを感じて手首を見ると、そこに円系の刻印のようなものが現れていた。


 いや、違う。

 刻印が現れたのは俺の腕だけではなかった。


 その場にいるありとあらゆる者の手足や顔に、円環の刻印とでも呼ぶようなものが現れ、議会は大恐慌に襲われた。


「ラフェル……なんという、ことを……。レイクナス王家は、もう、終わりだ……」


 何が起きている……。

 消えない……。

 これではまるで、奴隷の刻印か何かではないか!


「それは贄の刻印。その刻印を持つ者が魔軍に破れると、天に召されることなく、円環にその魂を奪われます」


 王太子であるこの俺までが、贄だと!?

 ふざけるな! どういうことだ、これは!?


「そしてその魂は新しい肉体を与えられ、醜く無知蒙昧なモンスターたち、魔軍となり果てるのです」


 バ、バカな……。

 そんな、おぞましい妄想が……。


「そう、私たちは今日までずっと、共に戦った同胞を斬りふせていたのです」


 き、消えん、なんなのだ、これはあああああ?!


「貴方は戦場に戦士たちを送り出していたのではない。自分たちが生きながらえるために、戦士を邪神の奴隷として差し出していただけです」


 そんな話を信じられるわけがない。

 それではなんのために俺たちは戦ってきたのだ!?


「退位する……。ヘリートも廃嫡とし、王位継承権を抹消する……」

「何を勝手なことを父上――うっ?!」


 その場にいるありとあらゆる者の敵意が、ラフェルをのぞく王族に向けられていた。

 拭っても消えぬこの刻印は、俺と父上のせいなのだと、今にも斬りかかってきそうな形相だ。


「ラフェル、その場にひざまづいてはもらえぬか……? この王冠を、新しき王、そなたのいただきに捧げよう……」

「ありがとうございます、陛下。ヘリート叔父上、あの王冠を私にいただけますね?」


 ここで拒んだら殺されるやもしれん……。

 貴族たちは皆が恐慌状態だった。


 玉座を奪われた屈辱で我が身が震えたが、俺は議会の証言台を離れ、庶子であるはずの甥に膝を突いた。


「お前の勝ちだ……。これからは俺も、お前の力になろう……! うがっ?!」


 するとラフェルは俺の肩を踏み付けた。

 俺を地にはいつくばらせて、冷たく見下した。


「あんなにおやさしいパルヴァス叔父に、あんなことをしておいて?」

「う……っっ」


「ああ……それは叔父上にしたことを、我が身で受けて、贖罪をするという意味でしょうか?」

「な、なん……なんだと……?」


 ラフェルが足をのけた。

 そして上体を起こした俺にラフェルは手を差し伸べてきた。


「わかりました、屈強なもののふと、仕事上がりの肉体労働者を用意しておきましょう」

「なっ、なっ、なっ、なぁぁぁぁっっ?!!」


 あ、悪魔……?

 なんだこの悪魔わああああああっっ?!!!


「ふっ、おやさしいパルヴァス叔父上にはとても見せられませんね」


 我がレイクナス王国は孤立状態。

 逃げ出そうにも逃げ出す先がない。


「このおぞましき刻印を我らに刻んだ邪なる神! 欲深き円環との戦いに終止符を打たんとする者は、新王たる私の下に集え!!」


 絶望にうずくまる俺の目の前でその悪魔は、レイクナス王国の王位を受け継いだ……。


 万歳。

 新王ラフェル万歳。

 終わらない喝采が議会を包み、俺はその中で恐怖した。


 ラフェルではなく、ラフェルと兄上の背後にいる、怪物に……。

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