・娘が狙っている男に夜這いをかけるミルディンという母親
それら一通りの話をシルバから聞いて宿に戻った頃には、酒場のお客様もまばらな深夜となっていた。
「遅かったじゃないかい」
「あ、ママ……。心配かけてごめん、ちょっと外で色々とあって……」
そんな俺たちの前に妖精族の小さなママ、ミルラさんが紐で銀色の器を吊して飛んできた。
昼間の妖精族は小さくてあまり目に付かないけれど、夜になると鱗粉がキラキラと輝いて綺麗だ。幻想的で目を惹かれる。
「大将にあの話を伝えたんだ」
「なんの話だい? あたいは知らないよ」
ママが器をシルバの前に下ろした。
「ほら飲みな、このろくでなし」
「クゥーンッ、嬉しいぜ、ママ!」
「はっ、愛想だけは一人前だね!」
「ママのくれる物なら、俺様は泥水だって喜んで飲むぜ!」
相談なんて知らないふりをしてくれたり、こうしてシルバに水を用意してくれたり、ママはいつだって気が利いてやさしかった。
「シルバのことはあたいに任せて、アンタはもう寝な。夜更かしはお肌の大敵だよ」
「お肌って言われても……返事に困るよ……」
「シルバ、それ飲み終わったらあたいに付き合いな」
「む……何かようでもあるのか?」
「ああそんなとこさね。……さ、お子様はもう寝な」
ママはシルバの背中に乗って、追い出すように俺へと手を振った。
シルバの方が遙かにお子様なのに……。
「わかった、おやすみシルバ。あまりママに迷惑かけちゃダメだよ?」
「ふっ、大抵お世話するのは俺様の方だ。酔い潰れた妖精族のカボチャの馬車代わりになってやったりな」
シルバって妖精族にモテるなぁ……。
あんなにかわいい人たちに毎日まとわりつかれて、ちょっとシルバが羨ましい。
俺は素直に言われた通りに階段を上がって、廊下の先にある自分の部屋へと引きこもった。
毎日陽気なお客様を接待して、朝昼晩と3回もシルバと散歩にも行けるこの贅沢な生活に、すっかり身体がなじんでいた。
「ふぅ……。それにしても、とんでもないことになったな……。ヘリートのやつ、大丈夫かな……」
一人になると、無性に弟が心配になった。
酷いことをされたのは事実だけど、それでもヘリートは俺の大切な弟だった。
父上とヘリートは少し気がおかしくなっていただけだ。
代償なしで約束された幸運をもたらす宝を手にして、ずっと正気でいられる方が異常だと思う。
そう主張するといつもシルバに笑われる。
加害妄想が過ぎる、と冷笑される。
でも俺は『約束された幸運は人を狂わせる』と確信している。
パジャマに着替えて机に座った。
突然返ってきた日記帳に新しい日付と、今日の出来事を刻むために。しばらく集中した。
一部始終を書き上げて、客観的に文を読み返してみると、父上とヘリートは家族を売る外道にも見えた。
「さて、明日からもがんばろう!」
日記帳を閉じて、ランプの明かりを消した。
それから真っ暗闇の部屋を歩いて、自分のベッドへと入った。
それは3人は一緒に眠れるほどの大きなベッドで、だいぶ大げさだけれど、シルバと一緒に寝る分にはとても快適な広さだった。
「ん……? あれ、ぬるい……?」
でも今日のベッドはぬるかった。
まるで先にシルバが眠っていた日のように、変に温かかった。
「戻ってたの、シルバ……? え…………っ」
暗闇の中、手探りで温もりを追ってみると、ふにゅりとやわらかな感触が返ってきた。
「ねぇ、シルバ……。君のお腹って、こんなにスベスベとしてたっけ……?」
「はい、それは最近、お腹の毛がごっそりと抜けてしまいまして……」
「そ、そう……」
「はい、そうなのです……」
「でも……シルバ? 君の毛皮って、こんな絹のような気持ちいい、やわらかな手触りだったっけ……?」
「それは、ご主人様に撫で撫でしていただくために、毎日ガブガブとお手入れを……」
「ねぇ、シルバ……?」
「はい……」
「君の声、そんなに小鳥のように綺麗だったかな……?」
「はい、それはですね……」
「う、うん……」
「貴方に、愛を、ささやくためだよー……がおがお……」
それがシルバではないことは最初の段階でわかっていた。
その正体がミルディンさんであることも、すぐに。
だけど気持ちの整理がすぐにはつかなかった。
こういう時、どういうリアクションをすればいいのか、誰も教えてくれなかったから。
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