・母、襲来

 ファフナさんが宿に帰ってきたら丘に誘おう。

 そう決めて夜遅くまで待ったけれど、結局彼女は帰ってこなかった。


「今日のところは寝なよ」


 宿屋コルヌコピアは夜になると酒場になる。

 この巨大宿を建設する際に、元からあった酒場施設を併合したそうだ。


 そのため夕方になると従業員が入れ替わる。


「すみません……」

「手伝い助かったよ。アンタは働き者だね」


 化粧と香水をしたお兄さんやお姉さんが増えて、お酒の匂いが立ち込めるようになる。


 店長ママは妖精族のミルラさん。

 小さいけど気の強い、面倒見のいい姐さんだ。


 どうしても起きてられないのでその日はおとなしく寝た。



 ・



 翌朝、シルバと散歩に行った。


「すまんな、大将。ここの香水と酒の匂いに、まだ慣れていなくてな」

「狼だからね」


「犬だ」

「何度言えばわかるんだ、君は狼だよ」


「そうだ、大将。今度オルヴァールを一周しないか?」

「無理言わないで。元引きこもりが13キロも歩いたら、死んじゃうよ……」


 オルヴァールは不思議だ。

 作り物の朝なのに、本物の朝のよりも気持ちがよかった。


 俺にとっては長めの、シルバにとっては短めの散歩を楽しんで宿に戻った。

 すると三女のアトロさんが『おかえり』と言ってくれて、シルバのために飲み水まで出してくれた。


 シルバはどこに行っても人気者だった。


「ファフナを探してると聞いたよ」

「あっ、貴方は昨日のお昼の……」


 労働の前に少し休ませてもらっていると、席の向かいに壮年の男性神族さんが座った。

 彼のお皿とジョッキは減りかけで、まだ朝だというのにかなり飲んでいた。


「ファフナなら宿に帰ってきてるよ」

「え、本当ですか?」


「夜明け前に私と一緒にな」

「えっ、そんな晩い時間に……?!」


「昨日の朝からずっと演習場にいたらしい。次の作戦を確実にするために、予行演習しては作戦を練り合わせていた。真面目な子だよ」


 それに付き合ったのだろうか。

 壮年の神族はかなり疲れた様子で顔を拭った。


「起きたら構ってやってくれ。ファフナは君の話ばかりをしていた」

「ありがとうございますっ、そうしますっ!」


「はぁ……」


 神族さんは辛そうに胸に手を当てた。

 その様子からして、彼は今度の作戦の内容を知っているようだった。


「パルヴァスくん、ファフナは乱暴だが悪い子ではないんだ。むしろ純粋だからこそ……はぁ……っ。ビールを頼む……」

「あ、朝からですか……っ?」


「ビールは酔い醒ましみたいなものだよ」


 注文を厨房のアトロさんに届けた。

 そしてそのまま働いた。

 

 あんな話を聞かされたら、働かずには居られなかった。

 働くことが一緒に戦うことになると信じて、料理を教わったり、夜中に荒れた宿の掃除をした。


「ちょいちょい、ちょっとー? 君がんばり過ぎだと思うんだけどなー?」

「少し、休憩されては……? それだとお昼のラッシュで、死んじゃいますよ……?」


 そうしているとラケシスさんとアトロさんが気づかってくれた。

 異種族なのに心配してくれるのが嬉しくて、俺は二人に笑い返した。


「それもそうかな……?」

「そうだよー。ここ、人足りてないんだよねー。王子様が頼りなんだからっ、休んだ、休んだー!」

「パルヴァス様のおかげで、信じられないくらい繁盛するようになりました……」


「それはごめん」

「全然! だって幸運をくれる王子様が現れてー、みんな明るくなったしー」

「前は、少し、ギスギスしてました……」


「ねーっ、心のゆとりができたよねーっ。幸運の女神様がいるから大丈夫だー、ってさ!」

「いや、男、なんですけど……」


 休憩を入れながら、今自分ができることをがんばっていった。



 ・



 宿屋コルヌコピアの忙しさはランチタイムがピーク。

 ランチさえ乗り切ってしまえば、その先にはゆとりのある麗らかな午後が待っている。


 俺はまだ慣れない業務に周囲へ迷惑をかけながらも、働き者の三姉妹と一緒に目まぐるしい混雑を今日も乗り切った。


 それからいくつかの失敗に自己嫌悪しながら一息をついていると、そこにミルディンさんがカツカツと早足でやってきた。


「ファフナは起きていますか……?」

「いやそれが、俺も朝からずっと待ってるんだけど、まだ寝てるみたいで……」


 少しでも幸運の加護に繋がるかなと、受付で休憩しながら、ここの宿帳を眺めていた時のことだった。

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