・宝石の国オルヴァール
「大将、迎えにきたぜ」
そこに物音が響いてシルバが寝室にやってきた。
寝室に扉はなく、入り口に垂れ布がかけられているだけだった。
「シルバ! お前っ、俺に断りなく勝手に話を進めたな!」
「ははは、不満か?」
「当たり前だよ!」
「けど大将、これで大将は自由になれたんだぜ? もっと喜んでくれよ」
「そのことには心から感謝するけど……。雄羊宮を吹っ飛ばすとか聞いてないっ!!」
ミルディンさんから聞いた。
脱走の際、ファフナという竜が雄羊宮の魔術師の塔を吹っ飛ばして、大火事になったと……。
「俺様だって止めた……。けどあのドラゴン娘、竜に変身すると理性が吹っ飛ぶとか、一言も言わなかったんだ……」
「え? ドラゴン、娘……?」
「おう」
「俺を助けてくれた竜族って、女の子なの……?」
「ぼんっ、きゅっ、ぼんっ、のいい女だ。ちょいと好色で乱暴だが、気のいい憎めぬやつだ」
「意味がわからないんだけど……?」
「新居に行けばわかる。育てられた俺様からすると、母親に入れ込むスケベ男みたいで複雑なんだが……ま、面白い女だ」
楽しそうに跳ね回るシルバを追って、謎の建物を出た。
駆けては笑いながら戻ってくる灰色狼は、リードを外されたワンコそのものだ。
「何をビビってる大将! 敵は居ない、皆が大将の味方だ!」
「生憎、こっちは引きこもりとしての年期が違うんだ。自由な空の下って、落ち着かない……」
シルバと散歩したい。
その願いは雄羊宮の中庭でさえ許されなかった。
夢が叶ったはずなのに、外の世界は引きこもりにはあまりにも広く、そして何もかもが不可思議過ぎた。
・
いや、その世界は実際普通じゃなかった。
引きこもり歴20年の俺の目からしても、オルヴァールと呼ばれるこの地は異常だった。
「どうした、大将?」
「ここが、外……?」
「いかにも」
「なんか天気、おかしくない……?」
今日の空は薄緑色をしていた。
というか、よく観察してみるとそれは空ではなかった。
「ミルディン殿から聞かされていないのか?」
「聞いてないよ! ここ、どこっ!?」
「そうか。ミルディン殿は可憐であるが、なかなかあれで抜けているところがあるからな」
どこを探しても、太陽がない……。
空自体が光を放って世界を照らしている……。
その空もやけに近い……。
「ここは宝石世界オルヴァールと呼ばれている」
「え……宝石、世界……?」
「ここの住民たちが言うには、ここは宝石の中なのだそうだ」
「世界には、こんなに大きな宝石があるの……っ?」
シルバに落としていた視線をもう一度空に戻した。
ここは宝石の中。
そう言われたらそう見えなくもなかった。
「いや、ここは芥子粒より小さなエメラルドの中だそうだ。グルル……正直に言うとな、大将……」
「う、うん……?」
「俺様もわけがわからん」
シルバはその場で軽く跳ねると、そんなことより一緒に散歩しようと、数歩駆けて見せた。
「どうしても気になるなら、キス魔のミルディン殿に聞くといい」
「……え?」
「……む?」
「ちょっ、まさか、さっきの見てたんじゃないだろうねっ!?」
「はははっ、飼い犬として嫉妬したぞ、大将! 後でペロペロさせてくれ!」
「シルバはもう少し狼の誇りを持って! それに見てたならっ、止めてよっ!」
「俺様は自分のことを人間だと思っているたぐいのワンコだ」
「君は狼だよ……っ」
「自分がそんな恐ろしい生き物だとは思いたくない。大将だってそうだろ?」
そのワンコは案内ついでに散歩がしたい。
俺は不思議な空に目を取られながら、彼方に広がる住宅街らしき場所を目指して歩いた。
「ウォォンッ! 楽しいなぁ、大将っ!」
「町の人に迷惑をかけたらダメだよ、シルバ。はぁ、リードと首輪、買わないとな……」
「俺様は狼だ、首輪などいらん!」
通りには不思議な姿をした人たちが歩いていた。
ミルディンさんのような耳の長い神族、猫や犬の耳を持った獣人、舌が細くて長いリザードマン、絵本の中の妖精にしか見えない人たちまでいる。
「そこだ」
「え、どこ?」
「正面にあるだろ、あの建物だ!」
どこまで行くのかと思えば、散歩の終点はそんなに遠くもなかった。
「宿屋……? いや、宿屋にしては、メチャクチャ大きい……」
シルバは正面にそびていた巨大な宿屋の前で振り返り、ちょこんとその軒先に座った。
不思議な宿屋だった。
まるで元からあった建物を、突貫工事で無理矢理に繋ぎ合わせて二階建てにしたような、乱暴にして大胆な施設だった。
いや、それだけではなかった。
馬車がすれ違えるほどの大きな通りを、宿屋はその腹の中に飲み込んでいる。
通りで分断された左右の区画を、力業で一つの宿屋にしていた。
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