・雄羊宮のコルヌコピア - 偽りを語る道化師 -
また眠らされて、次に目覚めると、道化師がこの雄羊宮にやってきた。
パルヴァス王子の精神状態を案じて、父上がここに呼んだらしい。
眠らされる前の数日間、何が起きたのかは思い出したくない。
広間に通された道化師は、奇声を上げて笑ったり踊ったり、気さくなジョークを語ったり、かと思えば玉に乗っておどけて見せた。
「はぁぁぁ……」
無気力にイスに深く座りながら、灰色狼のシルバの首を撫でた。
子狼の頃から育てているので、ほとんど甘えん坊の犬みたいなものだ。
シルバがいるから今も絶望せずにいられた。
「ホッホッホッ、お気に召しませんか、パルヴァス様?」
「あ、いえ、貴方の芸がつまらないわけではないのです……。すみません、こんなつまらない観客で……」
その道化師は父上に選ばれるだけあって、いい仕事をしていた。
広間に集められた女官も近衛兵も、ひょうきんにおどける仮面の道化師にお腹を抱えていた。
「では趣向を変えましょう」
「たぶん無理だと思うけど……どうするの?」
「世界の表舞台から消された、奇妙な伝承に興味はございますかな?」
「伝承……。うん、そちらの方が面白そうだ、ぜひ聞かせてほしい」
道化師。重圧と背中合わせの大変な仕事と聞く。
貴族の陰謀と道化師は付き物であり、仕事一つが命がけである、とも。
だからこそ彼らは人から一目置かれる。
「パルヴァス・レイクナス王子。貴方は500年前の真実をご存じですかな?」
「はは、いかにもな話だね。500年前というと、覇権戦争のことかな?」
500年前、竜族を中心とする異種族たちは人類を滅ぼすために包囲網を布いた。
動機は不明。
何せもう、彼らはこの地上にいないのだから。
「ご名答にございます。当時の人類はとても弱かった。知能では神族には叶わず、力では竜族の足下にも及ばない」
「うん、歴史家が言うにはそうだったらしいね」
「この話、奇妙ではございませんか?」
「え、そう……?」
「力も知恵も劣る人類が、どうやって生存競争を勝ち抜いたのでしょうか」
「それはまあ、確かに……」
竜族と神族はとてつもない力を持っていたと言われている。
特に竜族は身の丈50メートルを超える個体もいたとか……。
どうやって倒したんだろう、そんなの……。
「数が多かった人類が物量で対抗したと、学者様にはそう教わったけど……」
でも空を飛び回る竜の集団なんて、物量でどうにかなるものなのだろうか。
「物量っ、今物量と申し上げられましたかっ!? ホ、ホホッ、ホーッホッホッホッ、なんと愚かな!!」
ひょうきんなピエロから、突然攻撃的な笑いが飛び出してきてビックリした。
彼は学者の言う通説が気に入らないようだ。
「よろしい。他でもない貴方様に、500年前の真実を語って差し上げましょう」
「はは、オカルトめいてきたね。それで?」
「人類は、
「それは斬新な新説だね」
「
とんでもないカルト思想だった。
女官たちが不安そうにざわめき、道化師から距離を取った。
それから近衛兵の一人が『危険思想だ』と叫ぶと、道化師はすぐに取り囲まれていた。
「道化師のすることだ、みんな落ち着いて。……それで、契約の結果どうなったの?」
「111年間の繁栄がもたらされました」
「ゾロ目が好きな神様なんだね」
「人間の寿命をふまえてのことでしょう」
「寿命……?」
「この条件ならば、契約時点では赤子でさえ代償を支払うことがない。まったく救いがたい生き物ですよ、人間というものは」
巧妙に考えられた契約条件であったと、道化師は蔑むように語った。
自分たちは損をせず、恩恵だけを得る。
代償は絶対に支払わない。
まるでヘリートと父上のようだった。
「【円環】は地上の支配種族だった竜族を呪いました。彼らをこの世界では暮らせない身体にした上に、生殖能力まで、無慈悲にも奪ったのです……」
道化師さんが語る世界観では、人類は完全に悪役だった。
彼はそれが真実であると、そう固く信じているようだ。
「でもさ、代償を取るんだよね?」
「はい、もちろんでございます……!」
俺がそう聞くと、道化師は気味の悪い歓喜の声で肯定した。
「生存競争をひっくり返すほどの恩恵の、その代償って、なんだったの?」
俺は楽しい作り笑いを浮かべた。
すると近衛兵たちが道化師さんから離れてくれた。
パルヴァス王子が笑えばボーナスでももらえるのだろう。
女官たちまで俺の笑顔をひそひそと喜んでいる。
「代償は、111年後の人類です」
「へ……っ?」
「勝利と引き替えに、後の時代の人類を贄として差し出したのです」
それは酷い話にもほどがある。
様子を見ていた近衛兵さんたちですら言葉を失った。
「なるほど」
よく出来た作り話だった。
不当な扱いを受ける俺みたいな人間によく刺さる、巧妙に考えられた偽典だ。
500年前の人類は1秒たりとも代償を支払う気がなかった。
とてつもない負債を隠して、恩恵だけを享受して死んでいった。
「でもそれ、少しおかしくない? それが本当なら400年前に暗黒時代が訪れていたはずだ。けど歴史には――」
「契約を3度延長したのですよ」
「え…………」
延長、できるの……?
できるからって、しちゃったの……?
払うべき負債を返さずに、後の時代の人間に利子ごと全てを押し付けた。
ってこと……?
「4度目の延長は贄となる総人口が足りず、叶いませんでした」
作り話にしては妙な生々しさがあった。
何より道化師の語り口は、それが真実であると確信して止まないものだった。
これは危険思想だ。
宮廷で口にしようものなら追放ものだ。
下手したら火炙りにされる。
世界の歴史は嘘で、その裏におぞましい真実がある。
いかにもカルトにありがちな妄想だった。
「よくできた話だね。とても巧妙に、人が信じるように作り込まれていると思うよ」
「作り話ではございません。これは真実にございます、殿下」
この道化師、ヤバいな……。
弱った今の俺にはこの話は魅惑的だ。
「契約の満了が444年後。魔軍の襲撃が始まったのが約450年前。このカルト思想は2つを擦り合わせたんだね」
面白い余興だった。
だけど戯れもここまでだろう。
近衛兵たちが剣に手をかけて、道化師を再び囲んでいた。
「ヒッ、ヒヒヒッ、イヒヒヒヒッッ!!!」
すると道化師が不気味な奇声を上げた。
近衛兵は一斉に剣を抜き、この頭のおかしな異端者に向けた。
道化師はそれを気にも止めなかった。
「人間どもはアレを魔軍と呼んでおりますが、私は聞くに堪えませんよ。彼らは正当な権利の下、代償を取り立てているだけなのです」
このままだと彼は斬られる。
異端者だろうと人の血なんて見たくなかった。
「面白い仮説だったよ、道化師さん」
「否、これは人類が抹消した真実にございます」
「いいよ、俺は信じよう」
「道化師っ、殿下をまやかすなっ!!」
「ただし、証拠があればの話だ。なければ非を認めてこの雄羊宮を去ってくれ」
そう要求すると道化師が笑った。
証拠を示せ。
まさかその言葉を道化師は待っていたのだろうか。
今にも斬られようとしているのに、道化師は腹を抱えて笑い出した。
その笑い声がピタリと止まる。
「証拠! ええ、喜んで! 喜んで証拠をお見せしましょう!」
なんでこの人は死を恐れないんだ?
このままだと自分が斬られると、わかっていないのか?
いったい、なんなんだ、この人……?
「無礼を承知で介入させていただきます、殿下!! 道化師、これ以上口を開くことまかりならぬ!! 以降一言でも音を発せば、貴様を斬る!!」
近衛兵たちは本気だった。
女官たちが悲鳴を上げて広間の隅に逃げてゆく。
頼もしい相棒のシルバがかばうように俺の前に立ってくれた。
「契約を満了できなかった契約者たちは、最後に自己保身に走りました」
「く……っ、まだのたまうか……っ! これは、致し方ない……。斬れっ、この道化師を斬り捨てろっ!!」
「おお、偉大なる【欲深き円環】よ!! どうか、どうか最期の情けに……我らの目に贄の刻印が見えぬようにしてはくれまいか!!」
「斬れええええーーっっ!!!」
道化師さんは近衛兵たちに滅多斬りにされた。
ところが道化師さんの中身は空っぽだった。
空気が服と仮面をかぶって歩いていた。
それとおかしなことが起きた。
近衛兵さんの腕や首に、円形の刻印が現れた。
侍女の身体にも同じものが浮かび上がり、まさかと思って俺も自分の身体を確かめた。
目に見えるところにはどこにも刻印は見当たらなかった。
「救援を呼べっ、これは魔軍の計略だ!! 殿下、急ぎ寝室にお戻り下さい!!」
女官たちが恐怖の悲鳴を上げていた。
近衛兵たちも半狂乱になっていて、俺は素直に寝室へ戻るしかなかった。
戻って身体を確かめても、俺の身体に刻印は見つからなかった。
これがトリックなら超一流の道化師にして大奇術師だ。
俺たちの頭は今、彼の歪んだ思想に支配されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます