・雄羊宮のコルヌコピア - 血肉一滴まで全て -
一月前――
・パルヴァス・レイクナス
世界は滅亡の危機に瀕している。
魔軍、またの名をエーテル体と呼ばれる殺戮勢力が大地にあふれ、人類はこの50年間で総人口の4割を失った。
過去に幾度となく反攻作戦が繰り返されたが、無限の軍勢の前にことごとく作戦は失敗。
月日の果てにおびただしい数の小国が滅び、それがここ、レイクナス王国の孤立をも招いた。
外からの救援がなければ、もはや緩やかに滅亡する他にない状況だ。
しかしそんな滅び行く国に、神様が気まぐれの哀れみを下さった。
神はパルヴァス・レイクナスという、奇跡の子をもたらした。
「またお会いできましたな、王子殿下。家族一同、半月ほどこの雄羊宮のご厄介になります」
「あ、ああ……よろしく……。睡眠魔法が、まだ抜け切っていなくて……申し訳ない、カリスト公爵……」
パルヴァス王子が眠らされるのは世界のため。
同じ屋根の下で暮らすだけで幸運をもたらす王子を、少しでも長く使うため。
「貴方の立場は重々承知しております。
「ありがとう。そう言ってくれるのは貴方くらいのものだよ、公爵」
雄羊宮の者は王子が窓辺に立つことすら許さない。
幸運をもたらす奇跡の子を誰にも奪わせまいと、雄羊宮の奥深くに閉じ込めている。
でも仕方ない。
滅びと背中合わせで生きるこんな世界だ。
普通に生きたいだなんてそんな贅沢、口が裂けても言えなかった。
「覚えておいでですか? 12歳の頃、殿下に遊んでいただいた――」
「クロエラ公女、雄羊宮へようこそ。……大きくなったね」
年下に背を追い越されるのにも慣れた。
昔一緒に遊んだ子の隣に、嫁や旦那が立っていることにも。
「ああ、羨ましいですわ……。私も永久に美しい子供のままでいたかったものです……」
「はは、女性からするとそうかもしれないね」
「私がお婆さんになっても貴方は若いまま……。想像するだけで、ああっ、ずるいですわ……」
「止めなさい、クロエラ。王子殿下は好きでこんな生活をされているのではないのだ」
俺がゲストを接待するのは3日間。
3日が過ぎると魔術師に寝かされ、時を止められる。
それと起きている間に時々発作が起きて、女神コルヌコピアのように琥珀を吐き出すことがある。
その琥珀は力や体力を高める秘薬になる。
すぐに砕かれて、功績を上げた英雄たちに分配される。
それが英雄をさらに強くして、孤立したこの国を守っている。
眠らされて、起こされるたびに家族が変わる生活に、本音を言うと気が狂いそうだ。
だけど世界がこんな崖っぷちの限界にあるのだから、仕方がない。
これもみんなが生き残るため。
ずっとそう自分に思い聞かせて生きてきた。
「そうだ、俺の相棒を紹介する。シルバって狼の子なんだけど、とても賢い子でね」
「灰色狼のシルバ! お噂は存じておりますわっ!」
「ええ、人の言葉を理解する天才狼だそうですな」
「シルバの芸を見せるよ。広間に呼んでもいい?」
「ふふふっ、もちろんですわ!」
公爵一家はいいゲストだ。
こういうゲストばかりなら思い悩むことはなかった。
・
眠らされて、また起こされると弟の顔面があった。
「うわっ?!!」
「実の弟相手に酷いな」
「何やってるっ!? 変なことしてないだろなっ!?」
「失礼な兄上だ。俺だって好きでやっているわけではない」
次男ヘリート・レイクナスはこの国の王太子だ。
昔はやさしい子だった。
今は冷たい雰囲気の長身痩躯の王子様だ。
ブロンドの髪を後ろで縛って、長い剣を腰から吊している。
それがベッドサイドから兄の顔をのぞき込んでいた。
「……は? それ、どういうこと?」
「噂の真偽を確かめろと、父上に指示されてな」
「はぁ……っ。寝かされて、起こされて、変な噂まで流されるのか……」
「致し方あるまい。兄上は奇跡の子であられるからな」
「俺はただの弱い人間だよ……」
「フッ、ご謙遜を」
弟は口元を歪めて、長く仰々しいお辞儀をした。
「兄上あってのレイクナス王国ですよ。いや全く、兄上は素晴らしい……クククッ」
「はいはい……それで用件は?」
話を本題に戻すと、ヘリートは腰の剣を慈しむように撫でた。
心を許せるのはその剣だけ。
端から見れば変態の仕草だった。
「噂によるとな、強くなれるらしい」
「へ?」
「パルヴァス・レイクナスと、唇を重ねると」
「う……っっ?!」
俺はベッドから飛び起きて自分の唇に触れた。
「ま、まさかお前……っっ?!」
「バカにするな。実の兄に接吻するなど……無理だった……」
「試みた時点で気持ち悪いっっ! 命令だろうと試すなっっ!」
しかしまずいことになった……。
弟のヘリートが言うことは、恐らくは事実だろう……。
というのも昔、とある武人一家にキス魔の女の子がいた。
その子は父親が功績を上げるたびにここ雄羊宮に現れて、その通り名にふさわしいスキンシップを働いてくれた。
その女の子は今では父親と並んで戦っている。
いや、今や父親よりも強くなってしまっている。
「……正直に答えてくれ、兄上。噂に心当たりは?」
「……ない」
声量が小さくなってしまった。
「顔が青いようだが?」
「弟に唇を奪われかけたら、誰だってこうなる……」
ああ……ヘリート……。
昔はいい子だったのに、こんな変態に育つなんて……。
「兄上、正直に答えてくれ。事実なら兄上の力でどれだけの武人と民が救われる? まあ、屈強な同性たちに接吻されるのは、最悪だろうが」
そう、それだけは嫌だ……。
眠らされて、起こされて、吐いた琥珀を食べられるのはまだ我慢できる……。
俺は神様がもたらした奇跡そのもので、この身は自分の物ではない。
そう教えられて育った。
「兄上、隠してもどうせ知れ渡ることだ。教えてくれ、俺は兄上を守りたい」
認めがたいけど、その通りかもしれない……。
噂が多くの人に広まる前に、今のうちに手を打っておくべきだった……。
「あ……あると、思う……。成長の壁を、越える力、だと――」
「おおっ、兄上っっ!!」
「うわっっ!?」
興奮したヘリートは馬の手綱でも引くように、兄の手首を乱暴に引っ張った。
「なっ、止めっっ、ヘリートッ?!」
そして信じられない暴挙を実の兄に働いた。
「んっ、んむぐっっ?!!」
最悪だった……。
信じた俺が、バカだった……。
あ、ああ、ああああ……っ。
う、うええええ……っっ!!!!
「兄上はこの国の至宝だ、父上もお喜びになられる」
「頭っ、ウジ虫、涌いてるんじゃないかお前っっ?!!」
「国中の武人をここに招こう」
「げぇぇぇーっっ?!!」
弟は兄が最も恐れていた展開を最短で思い付いてくれた。
そうなるに決まっているから隠してきたのに、迷わず兄を地獄に叩き落とすお前の成長がただただ悲しい!
「これで国の守りは盤石となる。いや素晴らしい! 衰退されては、王位を次ぐ意味もないからな、ハハハハッ!」
「ヘリートッ、お前、最悪っっ!!」
小さな手でお花をお兄ちゃんに届けてくれたやさしいお前は、どこっ!?
「おっと……前王太子の兄上の前では失言だったな」
弟は兄に勝ち誇った。
今や自分こそが第一王位継承者なのだ、と。
「そんな力に目覚めなければ、弟にその座を奪われずに済んだというのに、哀れな兄上だ」
寝かされて、起こされて、寝かされているうちに、弟がこんなクズのホモのサイコパスになっていたなんて、あんまりだ……。
「大丈夫ですよ、兄上。我々が兄上という至宝を正しく管理いたします」
「俺は宝じゃないっ!」
「そうだ、兄上が壊れてしまわないように、魔術師に記憶の抹消をさせましょう」
「は、はぁぁぁぁーーっ!? えっ、昔のやさしかったお前は、どこっ!?」
ヘリートは俺の抗議に首を横に振った。
「兄上、その力は神からの授かり物だ。その力をもっと早く明かして下さっていれば、どれだけの英雄が今も戦場に立っていられたことか……」
非をわびるどころか、人権を無視して説教を始めた。
「十分尽くしただろっ! お前は何もかも全てを差し出せと言うのかっ!?」
「いかにも」
「んな……っ?!」
「その血肉一滴まで全てが神からの授かり物。奇跡の人パルヴァス・レイクナスよ、我ら人類に、全てを差し出せ」
弟はもう1度兄に信じがたい暴挙を働いて、この寝室を去っていった。
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