第4話 エリート女性の失脚と中学時代の眼鏡詐欺師
そりゃそうだろう。
盗みを働く人は、常に暗い表情で人目を忍ぶものである。
だから、犯罪というのは成功しても、精神はボロボロにやられ、人と気さくに話せなくなってしまう。
犯罪は割に合わないのである。
しかし、今の日本は生活保護などの福祉があるから、他国に比べると恵まれているだろう。
金儲けをするためには、やはり汗をかく努力と苦難が必要である。
女性は話を続けた。
「笑い話のような話だけどね、社長曰く、その人のいいところは、会社の立場に立って考えてくれるところだった。皆からは嫌われていたが。
例えば、休日出勤して無償で這いつくばって、床の雑巾かけをしてくれたり。
欠点は、計算が苦手、敬語もあまり使えない。そして意地の悪いところがある。
なぜ、その人を雇っていたかというと、その人しか半年以上、継続する社員がいなかったからである」
エッ、素人社員が会社の立場を考えても、何のメリットもないじゃないか。
ましてや、毎日顔を合わす社員からは、嫌われてでも会社の立場を考えるポーズをとる。ということは、横領を実行した当時から、社員を避けていたのだろう。
継続する社員がいないということは、安い給料でこき使っていたということである。
事実、その横領女性は、四十歳を過ぎても給料は一般人の半分以下で、もっと早く仕上げてくれ、普通の人なら半分の時間でできるなどとと、せかされていたのだろう。
給料云々よりも、非人間的な扱いをされたことに対する復讐ではないだろうか。
そのことを隠すための手段として、モップを使わず、床の雑巾がけという古風な掃除をし、いかにも私は会社に仕える滅私奉公の犬のようなポーズをとっていたに違いない。
まあ、安い給料で社員をこきつかうオーナーは、どこか大きな穴が開いていて、栄えることはないだろう。
私は元部長女性の言葉に、思わずうなづいた。
「そういえば、今は電子の時代だものね。いつまでも紙で処理する時代は、終わりつつあるわね。
でも、全く無くなることはない筈よ。やはり証拠物件としては、紙の印刷は必要じゃないかな」
元部長女性は話を続けた。
「でも、その前から社員が辞めていくのに比例して、私の仕事量は多くなってきたの。でも兄である社長は、なにも対策を施してくれなかった。
新しく入ってきた社員がいても、半年もたつと辞めたいと言い出し、それを私がなんとか説得しても、結局は一年たつと辞めてしまう。
その憂さを、ビールでごまかしていたの。
ビールで酔っているときだけは、何もかも忘れられる。
「一日一度は、我を忘れなダメなんだ」なんて自分で都合のいい言い訳をしていた」
ああ、ヤバイヤバイ、アルコール依存症まっしぐらである。
依存症というのは、好き嫌いの問題ではなく、前頭葉を刺激する脳の病気だという。若者やIQの高い人ほど、はまりやすく、いったんはまると、沼から這い出すことはできにくい。
元部長女性は話を続けた。
「私は最初は週に二、三回ビールで酔う程度だったが、それが毎日のルーティーンになっていった。
すると、当然仕事のミスが増え、知らず知らずのうちに、自分のミスを部下のせいにするようになってしまったの。
当時の私は、社員は私並みの高給取りだと思い込み、多少は厳しいことを言っても給料に見合うと信じ込んでいたの。
しかし、ある日、社員から給料の額を聞くと、なんと私が想像していた半分くらいしか支給されていなかったのね。
もちろん社員に早く仕上げてくれとか文句を言うに従い、社員は辞めていく。
その穴埋めを私はしなければならない。
その憂さというより、苦しみを紛らわすのは、帰宅後のビールしかなかったのよ」
私は余計なことだとは知りながら、思わず聞いてしまった。
「ご家族はいらっしゃらなかったの?」
急に女性は暗い表情になった。
いっけない。好奇心とはいえ、聞いてはならないことを聞いてしまった。
「私は公務員の主人と、三人の子供がいたが、家庭内別居状態。
まあ、その方が私としては、好都合だったけどね。
だって、仕事のグチなんていくら語っても、誰にもわからないものね。
それをビールでまぎらわすしかなかったのよ」
うん、わかる気がする。
私も昔は、週三回にわたり、日本酒を飲んでいた。
まあ、私の場合は、クリスチャンで神に祈ることにより、辞めることができたが、普通はそうはいかない。
神は私が飲酒する楽しみを自由に与えて下さったが、それと同時に、辞めさせることもして下さったのだ。
しかし、女性の場合はもちろんそうはいかなかった。
「私は自分の失敗を、知らず知らずのうちに部下のせいにしていたのよね。
それに比例して、辞めていく。そしてその負担が、私にかかってくる。
まあ、安い給料で社員をこき使うから、罰が当たったのかな」
私は納得したかのように、
「金は天下の回りもの。人を安い給料で利用すると、いつか罰があたるときがくるわ」
女性は自嘲気味に笑いながら、話を続けた。
「私はそのうち、仕事のミスも重なり、兄である社長からも叱責されるようになり、そのうち、朝も起きられなくなっていったの。
そんなとき、私のミスで、印刷部門が間違った書類を印刷してしまい、大きな損害を与えてしまった。
それをまた、私は部下にせいにし、その部下も辞めていってしまった。
まったくの悪循環ね」
私は思わずため息をついた。
女性は話を続けた。
「その後でも酒が辞められずに、断酒会に通ったけど、気がつけば酒だけが私の味方だったのね。
酒を飲んでいる間は、何もかも忘れられ、ハッピー気分になれる。
私は家族からはとうに見放されていたわ」
ああ、悲惨。自分を楽しませてくれる筈の酒が、悪魔へと変わっていった。
「でもそれでも、酒を辞めることはできなかった。
酒だけが私の友達であり、理解者だったものね。
そのうちに、私はソフト闇金に手を出し、今はこのザマよ」
自虐的に語る女性の言葉の裏で、私も一歩間違えれば、こうなっていたのかもしれない。
しかし、幸い私は酒の飲めない体質であることに感謝した。
そのとき、小太りで少々足をひきずるような歩き方をする、眼鏡女性が私に近づいてきた。
見覚えのある女性ー思い出した。中学のとき隣のクラスの女子だった子だ。
みえと言った。
みえは、クラスメートの友達ということで、会話をするようになった。
私は当時、クラスメートに誘われ、ソフトボール部に入部し、みえもそれにつられて入部した。
なんと、みえはソフトボールのルールを全く知らなかったのである。
これには、キャプテンも「処置なし」と笑いながら、あきれ果てていた。
みえは、眼鏡をかけていたので、一見生真面目な秀才のようにみえるが、残念ながら、成績はいつも最下位であった。
ある日、みえは当時流行っていた交換日記をもちかけてきた。
当時は、交換日記専用のキャラクター入りのノートまで販売していた。
「ひかり(私のこと)って、人の心が読めるのね」
この言葉に魅かれ、私はみえと交換日記を応じることにした。
噂では、みえは同じクラスに友達はいなかったという。
だから、私が選ばれたのだろうか?
みえのクラスメートの噂によると、みえは週に二度くらいしか通学せず、中年男と腕を組んでレトロ喫茶に言っている現場を見たという子が、何人かいたそうである。
しかし当時の私は、その噂をそう深刻に考えることはなかった。
みえとの交換日記に、勉強や塾のことがでてくることはなかった。
別世界ともいえるアイドルの話と、好きな食べ物の話だった。
ある日、みえは食べ歩きをしようと持ち掛けてきた。
交換日記に、三千円で食事を済ませようと書くと、みえは意外なことを言ってきた。
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