第3話 真由ちゃんと一緒に救済活動

 そうかあ、結婚したのか。

 そういえば、その当時、真由ちゃんのママは高級ラウンジの雇われママをしていたが、やはりなんともいえない色気と風情のある女性だったな。

 普段の服装はTシャツに綿パンだったが、夕方五時頃、仕事に行くときは、綺麗な化粧を施し、鮮やかな黄緑色のスーツを着て出かけていく。

 私は挨拶はするが、真由のママは私が真由と接することを快く思わなかったようである。

「あのお姉ちゃんとは、もう口をきいてはならない」などと陰で言っていたらしい。

 それでも、私にとっては真由ちゃんの存在が天使のように愛くるしかった。


 真由ちゃんはしんみりと言った。

「ママとお姉ちゃんとは、同年代。まあ、住む世界が違っていたけどね。

 私は今でもママが生きていなければ、私自身もダメになってしまいそうなの」

 私は納得したと同時に、現在の真由は、親孝行しているのだろうと推察した。

 野口氏は、少々悲しそうな顔で顔で語り始めた。

「僕がこの活動をするようになったのはね、私の義理の息子が傷害事件を起こした挙句、刺殺されたというなんとも重い十字架を背負っているからなんですよ」

 私はピンときた。もしかして、私の弟瑛太を傷つけたドラッグ中毒の元暴走族。

 少年院からでてきた途端に、これまたドラッグ中毒の中年男に刺殺されたという。もしかしてその張本人の義理の父親なのだろうか?

 

 私は表面上では好奇心を装い、精一杯のつくり笑いを浮かべながら野口氏に尋ねてみた。

「もしかして、その息子さんというのは、二年前、刺殺された元暴走族じゃないですか? ちょうどそのとき、犯人は二十歳になったばかりだから、マスメディアに報道されていましたね」

 野口氏は驚いたように、答えた。

「その通りです。しかしよくご存じですね。

 実は私の息子といっても、再婚した妻の連れ子でね。私とは血のつながりもなく、義理の息子にあたるんですよ。だから私とは、全く似ていないでしょう。

 私は妻と結婚した当時は、妻の機嫌を伺うために、私とは似ても似つかぬ息子を肩車したり、お菓子を与えたりしました。

 しかし、私と妻との間に実子が産まれたとき、当然私は実子の方を可愛がるようになり、知らず知らずのうちに、義理の息子を構ってあげることがなくなりました」

 まあ、私もわかる気がする。

 そりゃあ、他人の子と、自分がお腹を痛めて産んだ子とではやはり違うものね。

 ステルゲーの愛というのは、親子間の愛であるが、それはあくまで親子間に限られる。

 母親にとって、我が子というのは、命の半分である。

 だから母親は我が子を愛して当たり前であるが、父親の愛はそうではない。

 だから、父親の愛こそ本物の愛だという。


 野口氏は、淡々とした表情で話を続けた。

「私はいつの間にか、自分の息子だけをえこひいきするようになりました。

 たとえば、実の息子には三食プラス大きなお菓子まであげるのに、義理の息子にはご飯のお替りをすると、ピシャリと手を叩いたりもしました。

 そういうことが原因で、義理の息子は家に寄り付かなくなり、乱暴を働くようになりました」

 まあ、わかる気がする。

 特に男子の場合、女子と違って警戒心が薄いからという理由もある。

「このままでは、何か災難が起りそうだ。

 徹底的な事件が起こったのは、義理の息子が小学校六年のとき、入部していたミニバスケットボールクラブの他校との試合のとき、息子は相手方のチームの二人に暴力をふるってしまい、それが原因で試合に出られなくなってしまったのです」

 うわあ、そりゃ災難だ。

 試合に出場するためには、放課後も練習をつまなければならない。

 その努力がすべて水の泡と化してしまうのである。

 また、連帯責任といって、チームの一員が悪事を働けば、残りのメンバーも責任を負わねばならない。 

 悪事を働いた方は、加害者扱いされ、人に迷惑をかける悪者のレッテルを貼られかねない。


 私はようやく、息子に傷害を負わせた男の過去がわかりはじめ、納得した気分になった。

 私の息子に傷害を合わせた男は、やはりそのような暴力的で孤独な過去をもっていたのか。

 犯罪者に幸せな家庭の人は、誰一人いないというが、まさにその通りである。


 野口氏は、深刻な表情で話を続けた。

「義理の息子は、塾にも通わせず、いわゆる偏差値の低い高校に入学しました。

 このことは、息子のためというよりも、高校卒業の学歴がなければ、将来就職で苦労したあげくの果て、悪の世界に入ってしまうかもしれない、そうなれば、当然、私達家族の責任が問われるという世間体からでした。

 しかし、それも入学して二か月目に、ケンカで相手の鼻の骨を折ってしまい、一学期で退学になってしまいました。

 それ以来、暴走族に入り、強さを誇示するためにナイフを持ち出すようになり、ドラッグにも溺れていきました」

 私は思わずため息をついた。

 典型的な転落コース、人間、一歩足を踏み外したら、どんどん堕ちていく一方である。

 しかし、誰でもいや私でも、彼のような環境の置かれれば、そうなる可能性、いや危険性があるのではないか?

 外でケガをして、その手当をするのが家庭だという話を聞いたことはあるが、その通りだろう。

 

 野口氏は、淡々とした表情を装い、話を続けた。

「三年前に傷害事件を起こしたのが原因で、少年院に入院したときは、本人も私もほっと安堵する気持ちでした。

 なぜなら息子はこれで、世間の冷たい差別と偏見から一時的にでも逃れられると思ったといいます」

 そういえば、少年院を取り囲む壁というのは、一時的にでも世間から保護するところだという。

 壁に囲まれて生活している限りは、正常な心身を営むことができる。

 しかし、そこから一歩でると、彼らを利用いや悪用してやろうとする大人の魔の手に陥ることも多い。


 私は野口氏の話を半ば、呆れたように聞いていた。

 少年院というと、なにやら怖いというイメージがあったが、実際はそうでもなかったのだ。

 恵まれない境遇の人を教育する施設。だから前歴はついても、前科はつかない。

 自分とは別世界の話だが、思わぬ暴力が原因で、人間関係の歯車が狂っていく。

 心臓疾患の人を、突き飛ばした挙句、相手が即死し、殺人犯に問われることもある。

 野口氏は、フーッとため息をついた。

「少年院を退院すると、私は今までのせめてもの罪滅ぼしに義理の息子の身元引受人になり、更生の手助けをするつもりでした。

 反省は一人でもできるが、更生は一人ではできないというでしょう。

 しかし、義理の息子は退院してから一か月もたたないうちに、息子は刺殺されました。

 犯人は、ドラッグ中毒の反社組員でした。

 原因は、息子は反社組長の身内にケガを負わせたことであり、反社組長は、組員に息子の顔写真を見せ、復讐するように命じたのです。 

 ただし、復讐という名目であって、刺殺を命じたわけではなかったのですけどね」

 私の弟の瑛太は、野口の義理の息子から腕をケガさせられた。

 今でも、腕には傷跡が残っているが、私はようやく赦す気になった。


 急に北風が、ビューッとビルをさえぎって怒涛のように吹き始めた。

 気が付くと、私はこむらがえりになった足を抱え、痛さのあまり路上に転んでしまった。

 すると、ホット缶のほうじ茶をもった女性ーと言っても、一目で立ちんぼとわかる、女性から声をかけられた。

 一見派手な上着と短い爪にネイルをして飾り立てていたが、なんとなく生気のない目つきの女性。

 多分、私より一回り年上くらいのインテリめいた女性と推察される。

「このほうじ茶、よかったら飲んで下さい。

 私の昔からの大好物、ほかほか温まりますよ」

 有難うございますと言いたいところであるが、私達は受け取るわけにはいかない。

 彼女の好意を無にする結果に終わった。

 そのとき、北風が吹き終わると共に、心臓に予期せぬ痛みが走った。

「大丈夫です。私はニトログリセリンを飲みますので、お気遣いなさらないで下さい」

 ニトログリセリンを飲むと、かなり痛みがおさまって、元通りになった。

 

 女性は昔をなつかしむように語り始めた。

「私、今は立ちんぼに落ちぶれちゃったけど、昔は小さな印刷会社の主任だったの。といっても、社長は実の兄で、部長は親戚という完全な同族会社。

 その会社は、社員を安い給料でこきつかい、もっと早く仕上げてくれと文句ばかり言うものだから、短期間で辞めていく人が多かったんですよ」

 まあ、そりゃそうだろう。

 給料が安く仕事のきつい職場は、辞めていく人が多い。

 女性は話を続けた。

「極め付きは、安い給料で五年間こき使っていた、たった一人しかいなかった女性経理社員に、多額の金を横領されたことが原因で倒産に追い込まれたの。

 いつも暗い表情で、挨拶しても知らんぷり、手伝いにいくと、向うへ行ってと失礼な態度をとる、妙な暗いオーラを漂わせた女性だったわ」


 


 

 


 

 

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