第42話 第五次大規模侵攻 急

 押し込められた心象世界でノクスは揺らめく影を睨んでいた。

「どうしたんだい?」

 好奇心の塊は軽々しい言葉をノクスに浴びせる。

「今度はなんなんですか。死んだんですか」

「死んでいないさ。ただ君の本体が外に出たんだ」

「それは良かったですけど。それで、あの化け物が僕の魂の形の表象化ってやつですか?」

「いやいや。あれこそ君の本体だよ?」

 使徒は、またも人影をへの字に曲げる。

「いや、どう見ても人間じゃないでしょ」

 いつも通りの態度だが、死んでいない以上は戻る必要がある。ノクスは、使徒のふざけた態度に怒気を放った。

「ははは、面白いこと言うね。ノクスだって、どう見ても人間じゃないでしょ?」

「は?」

 ノクスの驚嘆、納得、そして諦観の念が漏れる。

「いいね〜、その反応。そうとも! 主はなんと心広きお方か! 誰しも化け物と言わんとする何かですら! 人間と認め! あろうことか救済すらもなさっている! しかも、平等に扱ってくれるなんて! やはりここにしか平等は存在しない! ……どうだい? これが主のお力。んで、ノクス、喜ぶところだぞ」

 稀代のトリックスターは、緩急をこめ、最大の真実を喜劇的に演じた。

「いや、僕は『悪夢』で、子供達の無念が集まった概念で、三つのナイトメアから生まれたんだ」

「ならば尚更、人間の形をしているなんてあり得ないよね。……まぁ間違ってはいないよ、その解釈自体はね。君の核にあるのは、リアだ。そこは間違いじゃない。でもね、リアの魂に天空都市内での救済義務はないんだ」

「何を言っているの? しかも、リアに救済義務はない? あんな死に方をして? 最低な神だね」

 使徒の言い草への不満を吐き捨てた。

「神じゃなくて主ね。違いは、まぁいいや。救済義務の話も、今の君に言っても仕方ないことだね。とりあえず、そろそろ起きる時間だ。せいぜい頑張りたまえよ」

 その言葉を最後にノクスの心象世界は開かれた。


 ノクスが目を覚ますと眼下にローが立っていた。

「フィーアナイトメア:ノクス=ムノムクア。ここでフィーアの閉幕を宣言しよう」

 ノクスの視点は遥か高く、ローは米粒のように小さい。頭蓋は蜥蜴のように前に突き出し、全身は所謂西方の竜の体躯であり、黄色の鱗に覆われている。大きさはスケール4と同じで、山脈よりも巨大といっても過言ではない。六対の翼は頭・脊髄・肩の順の大きさに一対ずつ生えており、全てが根のように空に生え、さらには葉や実をつけている。

 ――ああ、また殺される。

 ノクスは諦観に襲われる。六回も殺されている。慣れもしたが、とあることを危惧した。

 ――この場合、時間遡行は行われるの?

 時間遡行は今まではスイに何かあってから行われてきた。しかしながら、今回はスイは生存している。使徒の言い分的に、スイは救済されるらしいが、ノクスの救済はどこまでかはわからない。最初にスイに出会った事柄。これで救われた判定でもおかしくないほどの奇蹟だ。もう世界には自分が要らない可能性すらある。

 ――負けられない。僕は、スイと一緒に生きたい。この世界で一緒に幸せに。だから、死ねない。死にたくない。

 竜は慟哭する。気体水銀の熱波を吐き出し、水銀弾による攻撃を開始した。




「フィーアナイトメア:ノクス=ムノムクア。ここでフィーアの閉幕を宣言しよう」

 ローは声高々に宣言する。

 吐かれた熱波は、それよりも速く走って回避。続く水銀弾は、自身に当たる場所のみに小型の狼の頭蓋を具現化。噛み砕きながら前進する。

「全く。困った子だ」

 見上げるは歪な竜。それも歴とした邪神。臨界深度:伍のムノムクア。その体はゼーンズフトに覆われ、ローには陽炎がかかっているように見える。

 巨躯を後ろに捻り、ローの視界を埋め尽くすほどの莫大な尻尾が振るわれる。墓標の様に散らばっているモノリスごと大地を薙ぐ。波動は音を超えてローを襲う。

 衝突音が唸り続けた。それは、引き千切られた尻尾が慣性に流されて地面を抉る音だった。

「ノクス。お前が嫌がろうと関係ない。――只今、六月六日零時より、ゼウスエクスマキナを敢行する」

 黄昏の空の下、蒼く煌めく眼から、希望の焔が燃え盛る。

 呼応する様に、竜から水銀の津波が発せられる。見える限りを銀に染める。

 ローは大きく跳躍。空中では足場となる狼を具現化し、さらに跳躍。未だ続く水銀弾の弾幕を躱しながら竜に接近する。

 竜は後退しながら弾幕を放ち続ける。追い討ちに大量に具現化させておいた海からも弾幕を張った。躱すのがめんどくさくなったのか、狼の化け物は結合強化をして、弾幕に当たりながらも近づくのを辞めない。今度は右腕を払う。丘ほどの掌がローを襲う。

 空気分子との衝突音により轟音を奏でる竜の右の掌を、ローは殴ってぶち破り、そのまま手の甲に乗り、駆け上がる。

 竜は飛翔し、腕を振り回すが、ローの疾走は止まらない。それならと自身を破壊するほどの勢いで逆の腕を振るった。

 爆音と激痛が迸る。ぽっかりと食い破られた左肩を見やり、視線を戻す。

 眼前にいるローと目が合った。

「――侵蝕領域、展開」

 

 雑多な花の芽吹く心象世界に、青薔薇が咲き誇った。

 ローは図々しいことこの上ないことにノクスの心象世界に踏み込んできた。

 ふらつきながらも逃げるノクスの足元さえも青薔薇が侵蝕する。

 ――殺される。

 絶望したノクスに衝撃音がこだまする。

「ばーか。一人で抱え込んでんじゃねぇ」

「え?」

 ノクスは頬に平手打ちされただけだった。

「悪夢から生まれたから、悪夢の権化になるってか?」

「スイのためなんだ」

 ノクスはふらついたままローから逃げおおせようと足掻く。

「スイはもうお前を知った。微かだが、希望を抱いた」

「やり直せば、」

 ノクスの言葉にローは覆い被せる。

「お前は二つ間違っている。一つ。やり直せる可能性は何処にある? ないかもしれないから足掻いているんだろ? 二つ。この世界状態、世界線の方がいいか。この世界線はノクスが死んだら死んだっきりだ。これは今までの旅路も変わらない。記憶の引き継ぎができたところで、世界自体は変えられない。ノクスがリアの因子を持っていることを知り、尚且つまともに存在できるスイは、多分今回きりだ。過去知ったお前なら想像つくだろ」

 ノクスは真実と正論に打ちひしがれる。

「……でも、もう僕は外に出れない。僕は無能だから、ムノムクアから主導権を取れない。シュナプスイデーは出しちゃいけない。この悪夢は僕自身で閉じなきゃいけないものなんだ」

 ノクスの髪の毛がローによって、ぐしゃぐしゃにかき混ぜられた。

「あのなぁノクス。なんで被害者がさらに被害を被らなければならないんだ? お前はリアの魂が起点となった三つのナイトメアの象徴。言っちゃえばただの被害者だ。お前が責任を取る必要なんてない」

 ローの温もりがノクスを包む。

「……被害者とか関係ないよ。僕は僕たちの本体、ムノムクアには克てない」

「責任は俺が取る。マルクト最強は器用なんだ。お前のムノムクアだけ殺してやる」

「でもそれは本体だって、」

「そうだな。最初はそうだった。でもムノムクアは狂気の邪神だ。その伝承に悪夢とか関係ない。強いて言えば外見がそれだ。ならば、だ。外見だけ殺せば、ノクスの部分だけ取り出せて然るべきなんじゃないか? ま、そんな所業は俺以外には無理だろうがな」

 ローはノクスに不慣れな笑顔を送った。

「……なに、そのズル」

 あまりにもご都合展開にノクスは涙を滲ませる。

「時の偶に甘美な夢を。心の狭間に安寧を。魂の終焉に救済を。聞いたことあるだろ?」

「努力したら救われるってやつ?」

「可能性が高まるだけな。まぁ、今回はよくできましたってことだ」

 ローはノクスに手をかざした。

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