第38話 スイの最期と切なる嘆願
ノクスはスイと一緒のベッドの中で、悪夢を見ていた。それは可能性。ノクスという生命が誕生しなければ、スイという人物はどうなっていたのか。
答えは簡単である。スイは死ぬ。ローが葬送する。何度も繰り返されてきた歴とした事実だ。
前提条件として世界線の中では、スイが将校試験以降を経験することはほぼあり得ない事象だった。
ローが言った通りだが、世界線、正しくは世界状態は泡立った三次元構造である。この時に泡立った構造の中の空気の部分を「ボイド」と呼ぶ。宇宙の大規模構造と同じ言葉を使っているのは、構造自体が似通っているためである。
世界状態がボイドの場所の座標を取りうる可能性は限りなく零に近しい。故に、ボイドにいるということは、ほぼあり得ないことなのだ。
今回で言うとスイの六月五日以降の生存が当てはまる。
まず以ってノクスという生命の誕生、これ自体がボイド上の出来事なのだが、スイの生存も含めて、それら全ては努力の賜物である。
ノクスのように世界線を移動するという錯覚している者からの視点として、世界線の移動は誰かの努力によって引き起こされる。
感情からくる熱量が、時に世界の状態を変えるのだ。
これはリアニマも同じである。リアニマは奇蹟のような力だが、努力の賜物であることだけは覆らない。積み上げてきた魂の形。これこそがリアニマの源泉である。
そういう意味で、「悪夢」というリアニマは異常だ。魂の指向性が酷く曖昧な概念であるのは人間から逸脱していると言わざるを得ない。
誕生経緯から人間のそれではないと言われればその通りだが、主がノクスも人間と決めたのだからしょうがない。ノクスは正真正銘、人間である。しかしながら挙動もおかしいのもまた、しょうがない。
無理やり人間にした分、ノクスという存在は歪である。自己決定権の無い人生を歩み、夢や希望なぞ打ち滅ぼされ、愛を理解できないまま死に至った。そういう概念の存在。
故にこそ、他人の悪夢に干渉することも叶ったのだろう。そんな可能性の無さそうな事柄こそ努力の賜物か。世界線が重縮していることを加味しても奇蹟と言って過言では無い。
しかしながら、世界線の次元の接続者として、重縮されている世界線の記憶が呼び起こされる。要は、とある使徒も言ってた通りである。ノクスの出来事はリアニマ:「悪夢」であることが望ましいのだ。
よってノクスに悪夢はもたらされる。
覆水盆に返らず。この世界の理をここまで恨んだことは三度目だった。親も妹も自分も、結局壊れたものを戻すことは不可能だった。
元帥と話せども、一瞬くらいは安心を得たとして、根本的な喪失感は埋まらない。
スイは言葉通り生きる意味を失っているからである。
この事実は淡々と存在していて、何をしても変わりようがない。
友達と遊んでみた。明るい子だったがそれは伝播しなかった。ショッピングをしてみた。ありとあらゆるものがゴミにしか見えなかった。その中でも流行りのものを買って流行りの部屋を作ってみた。友達を呼んで、お茶会なんか開いて、色々やって結論は出た。
結局何をしたところで気を紛らわすことしか叶わない。最初のうちは楽しかったのかもしれない。けれど、重ねるうちに無感情な自分に現状を否定される。
(明らかにリウム、気使ってるじゃん。お前、邪魔。要らないよ。死んだ方がマシね)
そうね。
でも、
それに、
そうよね。だから、自殺を選んだ。
もうこんな自分に会わないために、離別の念を燃やして身をも焼いた。激痛すら心地良かった。
でもそれは最初だけだった。視界が戻ってきて悪寒が走った。何度も否定しようとした。五感が戻らないように憤怒を以って肉体を燃やし尽くす。
「ああ。もう、駄目なんだ」
自分の声が聞こえて、全てを諦めた。ステージⅣの性質で直されるのだから、むしろ納得までした。
これこそが地獄。本物の地獄を前にして、自殺すらも許されず、ただ自責の狂騒に駆られる。
スイは眼の輝きを完全に失った。諦観の念で自身を絶対零度にする。激痛の中、停止した思考の中では熱量変換が使えないことを恨んだ。と言うか嗤った。安心すらした。
「ははは」
虚ろ虚ろと西に歩を進めた。
#######
黄昏の空の下、最西端を流し見る。
文字通りここは天空都市だ。他天空都市に繋がる小径以外は、漆黒にしか見えない地下が無限に存在している。
落ちれば死ねる可能性は十分あるだろう。だけど、足は止まる。
「何が怖いっていうの?」
足は震えて動かない。汚すぎる。
「くくく」
なんて生き汚いのか。どうせ地獄。引こうが進もうが変わらない。なのに。何もできない。
自分の体が黄色の外套に包まれている感覚を得た。魂が表面から順々に溶けていく。臨界深度が上昇しかける。
「いあ、いあ、はすたあ、はすたあ!」
こんな時に全能感に溢れた。星間すらも支配できる可能性を見た。
「おい、スイ。何しようとしてんだ!」
「ローじゃん! 今なら殺せるのかしら?」
ローが姿を現した。輝く一等星。ああ、殺してみたい。
瞬間、ローの侵蝕領域:青薔薇の花畑に立たされた。スイの動く権利は剥奪されて、その体は包まれる。
これだから最強は。強すぎて嫌になる。
「何があったとかまでは聞かない。でもな、魂の形が邪神のハスターなんて言うんじゃない。スイはスイだ。狂気の存在だと言い聞かせると、本当に戻れなくなるぞ」
「殺してよ」
諦観とともに、吐き捨てた。
「嫌だ。法に触れる」
「落としてよ」
希望とともに、吐き捨てた。
「したくない。君は生きるべきだ」
いや。死ぬべきでしょ、どう考えても。私に居場所なんかなくて、欲している人間なんか存在しなくて、価値なんかない。
「良い冗談ね! この地獄で! 努力なんて意味の介在しない、この何一つ希望もないこの現実で! 生きろとお前は宣うの⁉︎」
ローの侵蝕領域内で悲痛な叫びがこだまする。
「宣うさ。人間には幸福になる権利がある。義務と言っていい。まぁ、もう少し生きていればわかるはずだ」
なんで泣いているの? 地獄が続くってわかってるのに。
「本気で死にたくなったら殺してやる。だから、もう少しでいい。生きろ。お前は幸せになる。救われていいはずなんだ」
なんで涙は溢れるの? 擦り切れるほど「死ね」って聞こえるのに。
「ねぇ、ロー」
「色欲に溺れるな。体は大事にしろ」
恥ずかしい。……恥ずかしい? 顔はなんで赤くなるの? すごく耳が熱かった。
「っふふ。もう、最っ低。もしかして、私、人間だった?」
「俺は化け物のようなものだからな。俺が人間なら、スイも人間だろ」
少し笑えた。面白かった。長く感じなかった感情だった。
スイは元帥による対面医療と薬剤医療、電子医療で少しの間くらいなら生きながらえることを選んだ。
ある程度は回復して、長い時間をかけて、五月二十三日に教育係として復帰する。
十三日経って、六月五日になると、フィーアナイトメアを殺したローに告げられる。
「悪い。嘘になった。どうやらスイはもう、どうしようもないみたいだ」
「え? ……ああ、そう」
無駄な納得感に襲われる。
「よくわかんないが、可能性が無くなったんだと思う」
「じゃあ?」
少し笑みをこぼす。
「期待まじりに言うなよ。嫌だけど、君を殺すよ」
「ありがとね。ロー」
青薔薇の花畑に白銀が彩られる。
「スイ。悪い。……俺は、お前が頑張ってきたことしか、知らない。それだけしか、知らない。それだけしか、残っていない。だから、なんで憎んでいたか、なんで悲しかったのか、なんで絶望するしかなかったのか。その答えは、分からない。だけど、その努力は、その爪痕は、その希望は! 確かにこの世界に存在する。お前に憧れて入ってきたやつが沢山いるんだ。地獄だと分かって、それでも進んでくれる子供が沢山いる。お前を慕って、お前が幸せなら頑張れるって、言ってくれるやつが、万といる。そんなお前が努力の意味が無いなんて、そんな残酷なこと、言わないでくれよ」
ローは魂を食い尽くされた死体を抱き寄せた。唇を噛みちぎり。血だけが落ちる。
「だから、お前は救われる。その対価を貰うに値する。笑顔で、楽しく、幸せに……なっても、許される。そんな世界があっていい。だろ? そのくらい望んで何が悪いっていうんだ。許されてよかった。はず、なんだ。……なのに、本気で死ぬ気になってしまって……」
上を見上げ、遠吠えをする。
「努力した者は平等に救われても良いじゃないか。世界よ、お前はなんなんだ! ジェネス教ですら説明不可能だった。科学でさえあまりに冷た過ぎる。どうして人類をこんなにも冷遇するんだ? 教えてくれ!」
世界は答えない――。
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