第36話 現実世界への帰還

 黄昏の空の下、生ける炎と眠れる海の狭間にて、ノクスとスイは目が覚める。

「ぎもぢがるい……」

 最初にノクスの感嘆があった。

 スイの心象世界で、永劫を思わせるほどの悪夢を浴びせられていた。多量の悪夢摂取で酔った状態である。酔ったといえば聞こえはいいが、死にたくなる状況に無限に立たされる連続だ。

 ノクスの意識は未だ朦朧として、目は回り、体はふらつく。スイの自責の念の渦中で、その声に抵抗する。

 ――それでも僕は。

 「死にたくない」魂で刻み込んだその言葉を撤回したいほどの苦痛をノクスは受けていた。

 ――死にたいなんて。そんなこと。

 スイが下した自殺の判断の感情を肯定してしまいそうになる。それでもなお、スイは生きている。初めに「自殺だけは駄目」だとも諭してくれていた。

 ――どんなに悪夢な世界でも。死にたくない。

 そして、スイの侵蝕領域が展開される。薄らと紫色を取り戻したトリカブトの花が舞い散る美しい花畑が、スイの周りにだけ咲き誇っていた。

 スイはふらつくノクスの手を取って、その姿をまじまじと見る。先ほどの違和感に思いを馳せていた。

(ノクスって何なんだろう。あの感情の機微は……やっぱり、リアに似てた)と小声で呟く。

「ノクスってさ、リアって知ってる?」

「………………それ、よりも、吐き、そう」

 スイは残響に体を震わせるが、結局のところノクスには自覚症状がないらしい。

 幻覚か、思い違いか、或いは残酷な神様がやっとのこと救済をくれたのか、などとスイが熟考していると、生ける炎から絡まれる足がスイ方向に吹き飛んでくる。

 空気との摩擦音によってノクスがそれに感知し、応戦しようとするが、スイの手が頭に置かれた。

「大丈夫よ。とりあえず、この場を制しましょうか。――領域拡大」

 瞬きの間だけだが、見渡せる大地全てがトリカブトに覆われた。

 儚い花だが、今は仄かな色が希望を醸し出している。ノクスは許容し、二つの化け物は拒絶する。

 侵蝕領域内、もっというと心象世界内で拒絶されるということは、その世界での死を意味する。スイの指向性ならば、トリカブトだ。そも全ての物質は毒になりうる。それが人を殺すことに特化した物質ならば効果は絶大だ。アニコチン系統の毒は、化け物たちを蝕み、即座に死へ追いやった。

 化け物を構成していた全細胞が腫れて爆発する。血の雨が白色の瓦礫の山を濡らし、同時に二つのモノリスが落下する。

「そういえば! 戻ってきたのね、ノクス。えっと、どこから説明しましょうか」

 長い時間狂気に犯されていたスイはやっと正気を取り戻し、ちゃんとノクスと相対しようとする。

 しかしながら、ノクスのことを、もうただの災害孤児だとは思えなかった。

 心象世界内のノクスの言動から、リア由来の何かがあることは確信に変わっている。もとより母親として接そうなどと考えていたが、もはや妹にしか見えずにいた。それでも貞操は守ろうと、とりあえずで教育をする。

「さっきの花畑は、侵蝕領域っていうの。ローができるって言ってたからいずれ私も、なんて思ってたけど、案外なんとか展開できるものね。やり方は……よく分からないけれど、ノクスはどうだった?」

「なんか何も感じなくなった。全身の痛みと感覚が消えたよ?」

 ノクスはトリカブトの鎮痛効果で悪夢酔いからも解放されていた。

「鎮痛作用もあるからかしら、トリカブトって」

 スイの悪夢への回答を出したノクスは、スイの状態を不可思議に思わざるを得なかった。

「そんなことはどうでもよくて! スイは大丈夫なの?」

 スイの魂は確実に溶けていた。死にかけていたはずなのだ。あんな過去を胸にしているのに、元気で存在し、魂の形もある程度安定していた。魂の揺らぎに関してはほぼ無い。

「安心してノクス。私はもう、死に急いだりしないから」

 ノクスはスイの抱擁を受ける。何が何だかわからないまま、またもノクスの頬に涙が伝った。

 二人はそのまま手を繋いで、スイ専用ドローンに乗る。極めて複雑な関係が結合した。

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