第35話 スイの心象世界内と救済

 濃い紫色だったはずのトリカブトの花の色が完全に失われて、漂白された白に見える。茎も葉も萎れ、葉緑素を感じさせない白さだ。葉脈しか見えない状態であり、触れただけでも地面に落ちる。

「これがスイの心象世界だっていうの?」

 何より、浮き上がっている天球である「心」を具現化したものは溶けていた。しかしながら、溶け始めたわけではない。最初から溶けていた。ノクスは魂の形から、会う前から手遅れだったことがわかってしまった。

 スイの心象世界から感情が流れ始める。悲嘆と憎悪、そして諦観が流れてくる。

 相反する感情の数々。無限に湧き上がる感情の数々。夥しいほどに重なる感情の数々。

 背負いきれる訳のない莫大な感情に襲われる。沸騰する脳味噌に、その全ての分子の状態を観測させられる。花畑に卒倒して、体から水を強制的に排出させられる。ノクスは酷い熱病と同じ感覚に浸らされていた。

 そこから、ノクスからリアニマ:悪夢が、赤紫色の液体が漏れる。

 スイの悪夢がノクスに侵入していく。澄み渡るほどに体に入り込む。どうしようもなかったあの三つの悪夢に侵蝕される。

 地獄の横では、地獄より悍ましい光景が行われていた。形容しようもなく、したくもなく、名状すらも憚られる。でも、それら全て意味があり、無情ではなく、理論的なものだった。世界は、気紛で、最悪で、冷酷だ。


 残念ながら、無価値で無意味で悪趣味な「残酷」ではない。


「世界って醜い……」

「見ちゃったんだね。ノクス」

 ノクスは黄色い外套に包まれたスイに話しかけられた。

「こんな世界でも生きていく自信はある?」

「スイは?」

「無いわ。見ての通りでね」

 スイは自嘲しながら、言葉を吐き捨てた。

「僕はスイがいないと、やだ」

「そこは変わらないのね。でもねノクス、私そろそろ死ぬわよ」

 ノクスの口が勝手に開く。それは■からの報酬とも言える。

「お姉ちゃんは強がりだね。本当は生きたいと思っているのに」

 スイは目を見開いた。魂の奥の感情の核心をつかれていたのだ。しかしながら、ノクスは首を傾げている。

 ――なにこれ?

「悪夢は私たちが引き受ける。一旦ね!」

「無理よ! 私の中にいる化け物は、人の領分を超えてるの」

 スイは自身にいる邪神の存在を知っている。それが、自身には収まりきらないものだとも同時に。

「それは私たちも同じだから」

 ――僕はなにを?

「ノクス?」

 ノクスの異常な言動に気が触れているスイも疑問を抱いた。

「お姉ちゃんは強がりなんだから。一人は寂しいでしょ?」

 スイの眼の色が燃えてゆく。確定はしていないが希望を見出した。スイは長きに渡った悪夢から覚めた。

 スイの心象世界は光に包まれる。おどろおどろしいほど、黒色にくすんでいた世界に光が降り注いだ。

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