第34話 スイの三つの悪夢とナイトメア

 まず以ってノクスの先ほどの化け物への耐性があることは、たまたまであり普通の人間は脳味噌が撹拌されたとなれば、何も起きないわけがない。

 スイはとある事情で躁鬱状態だ。当然、正気度はほぼない。

 そこであの悍ましい化け物を、それも二体も見てしまった。ノクスも味わった脳味噌を撹拌されるような感覚に犯された。

 それはシュナプスイデーが作用しなくても発狂してしまうのは必然とも言える。

 加えて、スイは悪夢障害だ。そして、三つの悪夢に永遠に囚われている。




 七年前の七月七日、アインスナイトメア:フォースカタストロフィー。未曾有の大災害であり、スイも多くの子供の様に親を失った。失ったということになっているが、大人はモノリス化したまま放置が決定したことが真相である。

 そんな折に、「兄弟で参加すれば両親に会える」という触れ込みで子供たちが勧誘された。

 その数100万名である。

 前上層部は星を欲した。ローの様に一等星とまではいかなくても、輝いてくれるのであれば、なんでも良い。何振りかまっているわけにもいかなかった。

 この当時はローが守り切れているが、前線は外壁の近くであり、余裕など存在しない。少しでも逃せば、外壁のアニマニウム化の工事に支障が出かねない。

 また、ローが覚醒した場所の調査も進んできていた。どうやら莫大な感情の遷移のがリアニマを起こすのに必要だと分かった。

 そこで注目されたのが、ローの生い立ちだった。

 現場証拠から見ると大災害時、ローはルインダーどもによって、眼前で妹たちが殺されかかっている。一応生きているものの、妹たちは今も重篤な状態だ。

 こうして前上層部は、リアニマに必要な過程を知ってしまった。ならば、するしかない。世界は冷酷だ。待ってくれるわけではない。今も刻々と平和は侵されていく。前上層部は苦渋の選択をとった。

 最低な方法だと分かりながら、人体実験を取り行った。兄弟を分け、片方を地獄へ。もう片方にはそれを鑑賞させる。

 どちらがどこへ行くかはその兄弟が話し合って決める。地獄に行く方もそうでない方も、ある程度少人数に分けられる。一人よりもある程度の人数集まった方が恐怖が伝播しやすいためである。

 この時に地獄に行く方は、あくまでも「強くなれるが、ほんの少し厳しい訓練を受けさせられる」としか知らされなかった。恐怖は緩急である。期待させればさせるほど絶望するときの感情の変移は大きい。実に最低で合理的な判断だった。




 白い施設の個室で、当時六歳のスイと瓜二つの妹のリアが喋っている。

「リア、私は、今からでもやめた方がいいと思うの」

 スイは弱々しい声でリアの裾を掴む。そこに現在のような凛々しい姿はない。

「大丈夫! 訓練は私が受けて、お姉ちゃんは強くなる秘訣を見て覚える! 強くなってパパとママに会って万々歳!」

 元気いっぱいでスイを励ますのがリア。スイに似て美しい顔を持った銀髪ショートヘアの少女。声色からは可愛いが溢れているが、スイに似ているために容姿は美しいが勝つ。

「やっぱり危険だよ。だって、あの大人の真意がわからない。得があるとは思えないの」

「お姉ちゃんは、怖がりだね」

 リアの優しい声色が部屋を包んだ。親をなくして落ち込んでいる姉に、少しでも笑ってほしいと単純に思っての行動だ。

 しかしながら、スイを震えさせるほどの違和感は止まらない。

「最悪、私が訓練に行くわ」

 スイはそんな言葉を吐くが、子鹿のように震えていて説得力がなかった。

「お姉ちゃんは心配性だね! もっと楽観的に行こうよ! 世界は希望に満ちているはずだよ!」

 ――ここでなら止められる。世界は、気紛で、最低で、冷酷。希望なんてない。だから、この言葉は、否定しなければいけなかった。いけないの。

 悪夢の中でスイは意識を持っていた。やらなければいけないことは分かる。それでも行動には至れない。

 冷酷ながら、悪夢は夢であり、夢は現実の一部。過去改変などあり得ない。故に、繰り返される悪夢の中で、スイは何度でも勇気は出せない。

「そうね。そうあってほしいわね。……わた――」

「ふふふ。お姉ちゃんは強がらないで。私が頑張るから大丈夫」

 ――私が行かないとリアが、殺される。それなのに、いつも、私は、できない。木偶の坊。

「………………。」

 言葉は出ない。言葉が出せない。言葉を許されていない。

「じゃあね。私の活躍ぶりを見ていてね! お姉ちゃん」

 ――待って! リア! 行っちゃダメなの。死んじゃう。また、またまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまた。

 

       ――私は、見殺しに、なる、運命、なの?


 ――置いていかないで。私のそばからいなくならないで。リア!

 中に睡眠剤が流されて二人とも眠らされる。ここで一個目の悪夢は終了する。




 椅子に四肢を括り付けられて動けない。頭は固定されて無駄に画質の良いスクリーンを見させられる。瞼に接着剤がつけられていて目は開けざるを得ない。

 白い部屋に13人が同じ状態で放置されていた。

 変えられなかった悪夢にスイは絶望する。

 ――もう、また、殺される。あの、化け物に。

 スクリーンにはリアが映される。リアは元気よく、立ち向かう。


 なんてことはない。


 スイとリアは瓜二つ。それは魂単位でそうなのだ。スイが絶望するのなら、リアも絶望する。スイが怖いと感じるのならば、当然リアも怖い。空元気が上手いだけのスイ。それがリアだ。故に、リアは、地獄で特定の言葉しか反芻しかない。

「助けて、お姉ちゃん!」

 ――頭にこびりつく。絶対に離れない、リアの、懇願の声。私に勇気があれば、私が頑張れれば、私が死んでおけばよかった。それだけなのに。

 ルインダーどもは子供達を屠る。ある子は逃げ、ある子は立ち尽くし、ある子は怪物に向かって走る。

 リアはその隣で、その子達を殺されるのを見る。

 人も灰と同じように雑に扱われる。切っては投げ、投げては喰い、喰っては嗤う。それでもまだ、数人は生き残っている。

 そんな中に一等星が登場する。マルクトの大英雄、ローが駆けつけた。

 そんな大英雄の姿に子供達に希望が迸る。目に入っただけで歓声が上がる。地獄に咲く青薔薇だった。

 だが、最強の到来は、スイにとっての二つ目の悪夢であり、


       ドライナイトメア:インサニティヴィジターの起点である。


 リアニマは、決して生優しいものではない。古代における核分裂のようなものである。適切な対処をしなければ、放たれる放射線に汚染されるように、熱量変換時に発生する神性の伝播は、通常の人間にとって猛毒だ。

 そして、善は悪を内包する。これは善を行う時に、悪をしてしまう可能性がどうしても存在してしまうというものだ。

 ローは初めからステージⅣである。リアニマの害は知りようもない。「助けよう」という善が、「殺してしまう」という悪を内包した。

 ローはルインダーを殺し回る。高威力の狼の具現化で怪物を食い破る。この時の伝播する神性によって、生き残っていた子供の大多数は殺され、僅かな生き残りには牙が当たる。

 ――また、

 リアは、ローに喰い殺された。煽情的に誂えられた鮮明な映像だった。

 ――でも。

 スイの眼が色付く。煮えたぎる炎の様に赤い眼がローを捉える。耳は伸びて化け物と主張する。

「殺す」

 ――

 スイはリアニマを起こした。ステージはⅠ。臨界深度は肆。最強を殺すために己が魂を燃やす。スイの憎悪は部屋全体を黒く、ただ黒く染め上げる。

 部屋の他の子供達は最低の状態だった。

 理解を諦めて現実から隔離を望む者。現実から逃れられずに絶望し、自殺を試みようとする者。真理を理解したかのように高笑いする者。どれも結局は正気度がほぼ無い状態だ。そこに追い打ちをかけられる。

 スイのステージがⅡに上昇する。暴風が起きて、椅子と拘束具を吹き飛ばした。この変換から放たれる神性は、ついに一般人を害する所まで至ってしまった。

 子供達は中心に佇むスイを見る。集団幻覚を起こして、黄色の外套を羽織っているように見えた。

 それを認識した瞬間に頭の思考全てをぐちゃぐちゃに掻き回される。思考はまとまらないのに、電撃が走るように脳味噌は絶えず焼かれている。冷たく焼かれて、大脳皮質が糜爛して裏返されている感覚に浸される。損傷した箇所が強制的に結合し出して、脳の構造から変えられる。

 ローがスイを止めたのが、これの一時間後だ。そこで、二個目の悪夢が終了する。




 そこからのスイの人生は、復讐の物語だった。憎きローを殺すための努力を惜しまなかった。極限まで自身のホムンクルスを使い潰した。

 そんな中に勲章をぶら下げて、階級を上げていき、のうのうと彼女なんか作っているローの失墜を、スイは魂の奥の奥から祈願した。

 盲認する軍部が気に入らなかった。賞賛する都市が恨めしかった。何より、どんなに努力を重ねても追いつきようのない現実を憎んでいた。

 この感情でステージがⅢに上昇した。数年ぶりに嬉しいと思えた。報われる気持ちになった。

 役職も少佐になり、極秘案件の資料なども見ることが可能になった。ここに嘘がないことは元帥からも言質をとっている。ローの悪行を憎ましき都市の連中に見せびらかすことができる。

『事件名:アンハッピーバースデイ及びインサニティヴィジター。閲覧しますか?(y/n)

「y」入力を許諾します。

………………』

『被害者数:100万名。死者60万名。心神喪失者33万名。重症者6万名。………………生存者2名。

 概要:12名によって起こされてしまった児童大量虐殺事件の総称。リアニマの黎明期に起こってしまった事件であり、加害者は事実上の死刑が執行され、その専門性と独自性から再発性は限りなく少ないものと見られる。又、インターネット内には情報が残されていない状況であるため、これ以上の解析は不可能。

………………

 アンハッピーバスデイ:被害者数、50万名。生存者は一名のみ。

 被害者の内訳:ルインダーによる圧死又は出血死によるものが全てだと見受けられる。死体は状態が酷いため、これ以上の解析は不可能。又、加害者はルインダーであることは疑いようのない』

「疑いようがない、だって⁉︎ ふざけるな! 私は見て! スクリーンにも!」

 スイはそこまで感情を発露させた状態で、理性が物申していた。

「……私、躁鬱病だから信じてもらえないんじゃないの……? こっちの方が現実味あるんじゃ、ない……? 私の行動って戯言?だった?ってことになっちゃった」

 スイは大声で自身を嘲笑する。自らの声が醜いものだと認識するほど汚らわしい笑い声だった。

 意味がなかった自身の人生を魂から自虐した。

 ――だから言ったのに。

 それでも、妹の死は捌け口が欲しい。だから、舵を違う方向に切ることにした。

「ローを殺せばいい。悪いのはローなんだ」

 軍部の隔絶資料室がスイの殺意で黒く染まってゆく。悪意や敵意、害意などの混沌なる感情を混ぜ合わせると黒になる。スイの放つ心象世界のドス黒さは、ついに光を反射しなくなった。

 殺意に酩酊されたスイは、これにてステージⅣへと至った。

 ステージⅣにはルインダーの真の姿が見えるが、これは段階的なものである。ステージが低ければ低いほど、ルインダーは靄がかっている状態であり、世界との境界線が曖昧に見える。ステージⅢでは境界線がなくなり、ステージⅣでやっと本来の姿が認識できるようになる。

 スイが初めてルインダーの真の姿と相対した時は、寧ろ恍惚としたものだ。

 育ち方からして、人間のことは自分含めて大嫌いである。八つ当たりするにはいい物体ではあったのだ。

 そんな八つ当たりの日々も終わる。ローとの直接の会談の日程が決定し、嬉々としてその日を待ち、そして来る。


 とあるビルの上でローと現実で初めて対面する。ローは少し驚いた顔をして、その次に謝罪があった。

「申し訳ない。リアは俺が意図して殺した。同じ様な魂の形のスイは多分姉妹だったんだろう。お前には俺を害する権利を有する。鬱憤は俺の体で存分に晴らしてくれ」

 ローは忌々しくも善の証明してきたが、それこそがスイの逆鱗に触れる。元よりローに対しては八つ当たりだ。

 引き金を引いたのはローだが、どうあれリアは死んでいたのに変わりはない。

 だが、そんな理性は聞き入れられないところまで泥酔している。そんな自責の念は関係なかった。

「なんで殺した! お前なら救えたはずだ!」

 枯れる様な声でローを糾弾する。

「リアは死にたがっていたからだ。あの場面で死にたがりのやつを助けられるほど俺は強くなかった。申し訳ない」

「死にたがり、ね」

 ローの言葉を納得してしまった自分が心底嫌いだった。

「そうだ。俺がついた段階で生きようと努力した人間は、リウム一人だけだ」

 スイは想像できてしまった。リアの考えを理解してしまった。少なくとも、自分ならそう思ったはずである。

 でも、ローが殺したのは事実だ。それだけは間違っていないない。

「ああああああ!!!」

 魂の奥から叫びながら、スイはローに超高温熱波を浴びせる。自暴自棄からきた行動だった。感情は爆発するが、なにがなんなのか自分でも理解できない。もうどうしようもない現実をローにぶつけた。

 ローの肉は溶け、骨が残る。そこまでは良かった。

 ――殺せたのなら、もうどうにでもなってよかった。それなのに。

 ローは直される。ステージⅣの特性を見てしまった。骨に肉が補填されてゆく。その姿は、ルインダーのように爛れ、醜い、肌色だった。

(ルインダーって。まさか)

 胃液が込み上げてきて、滝のように吐き出す。喉は焼かれ、頭も灼かれる。

 スイは生きる意味を喪失してしまったのだ。燃えたぎっていた憎悪が自己否定される。ローは殺すことが不可能だった。リアの死は望まれたものだった。ルインダーを殺していたことすら悪であった。

 絶えず嗚咽を漏らす。穴という穴から液体が放出される。そこにローの手が差し伸べられる。

「事情を知らないから、なんとも言えない。だが、これだけは宣言できる。――尊敬に値する努力の量だ。本当に今までご苦労様。だから、一旦休んでもいい。元帥には連絡しておいた。戦場は俺が担当するから、スイは休んでこい」

 スイは泣きながら、ローの手の横をすり抜ける。動悸が激しい中、ふらついた足で自分のドローンに向かう。眼の光が煮えたぎる炎の如き赤から、灯火の様な淡い赤色に変化した。

 これで、三つ目の悪夢が終了した。

 ――もう、終わって。

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