第32話 シュナプスイデーの使い手

 時間が経つのが遅いと感じたのは初めてだった。ノクスの人生は、使徒の言っていた通り、初見殺し。時間の進み具合など気にできるほどの暇などなかった。いざ暇を与えられると持て余してしまうものである。と言いつつもリアニマの訓練は続けてはいる。だが、それしかできない状況にヤキモキするしかなかった。他には一つ。ローの伝言だけがノクスのメール内にあった。

『まず、使用者は『剣』の少年だ。臨界深度が上がるとどうなるかは知らんが、結局はステージⅡ。勝てる相手だ。次に、俺の隊に討伐させない理由だが、あいつらもチョーカーの物質化の機能を切ってある。それは前提条件として、例えばだが、シュナプスイデー本体をばら撒かれたりでもしたら、俺の隊も多大な被害を被る。臨界深度が上がりようのないノクスに倒して欲しい。最後に、『シュナプスイデーについては絶対に浴びないように』とスイにも警告しておいた。考えられるところはやっておいてある。だから、頼んだ』


 数時間後、発射の合図がなされてノクスは打ち出される。『剣』の少年から全方向の剣の弾幕が張られていて、大きな断層が三つとモノリスが二つ存在している。

「こっち!」

 そして、少年と戦っていたリウムのそばに着地して、走りながら距離を確保する。具現化の範囲外まで出て、水銀の球体で辺りを囲って結合強化。状況確認を最優先させた。

「リウムさん、状況は?」

「君がノクスくんだね。最初はなんとも無かったんだけど、急に二人切られて、うちの隊は私以外全滅。ししょーから、あ。ごめん。ロー少佐から戦闘禁止されてたんだけど、流石に街への被害考えると、戦わなきゃってな感じで……」

 ノクスが球体に穴を開けて外を見てみると確かにビルが切られている。ここは城塞都市だ。建造物は全てアニマニウムで出来ている。破壊したければ、ステージⅣ程度の火力が必要だ。

「リウムさん。あれって……」

「ステージが上がってるね。でも、臨界深度はそのままっぽい」

 今も『剣』の少年からは剣が絶え間なく射出されている。具現化範囲外のために、届く前に熱量吸収されている。三つのビルの範囲が具現化範囲内のせいで相手の表情も見えない状況だ。

「ここは僕に任せてください、リウムさん」

「ダメだよ、ノッチン! 相手のステージはⅣ。私よりも出力は上なんだよ!」

 リウムの表情は明らかに逼迫していた。自分ですら勝てなかったことを知らせにきている。

「大丈夫。僕もステージⅣ。死なないし、ステージも臨界深度も上がりようがない。だから多分、ローは僕に『頼んだ』って言ったんです。だから、大丈夫ですよ」

 しかしながら、ノクスにはローの言葉がある。どこかローを信仰している感じではあるが、それでもあの最強が言っているのだ。最強に信じられているという高揚感は自信に繋がっている。

「ししょーが言ったんだね」

 普段「可愛い」に全振りされているリウムの顔が、にこやかな美しい顔に変容する。リウムはノクス以上にローのことを信仰している。

「じゃあ、任せるよ。でもね、ノッチン」

 ローのことを完全に信じ切ったリウムはノクスに託す。しかしリウムからすれば、ノクスはローがわざわざ手をかける人間である。何より、10歳程度の子供だ。

「ステージⅣでも痛いことには変わらないの。ししょーが言うんだから「しょうがないこと」なんだろうけど、お姉さん、ノッチンが傷つくのは嬉しくないな。もちろん、スイもそう思ってるよ」

 ノクスはリウムに抱きつかれて温もりに包まれる。なぜか涙が溢れそうだった。それはノクスの知り得ない感情だった。

「応援してる!」

「うん」

 ノクスは走り出す。切り出され、ビルの断片が露わになっていた。その低空を『剣』の少年の周辺を飛翔する。

 ――前戦っていた時とは全く違う。なんか、賢い戦い方じゃない。暴れているだけ?

 無数の剣が飛んでくる。それをノクスは水銀の極厚ベールでガードする。ベールに触れた瞬間、ビルに突き刺さる剣たちがあった。気づいた瞬間避ける。少し持ち堪えたが、剣はベールを突き抜けた。

 ――流石ステージⅣ。威力が強い。

 そんな状況把握をしていると、頭が縦に斬られた。痛む切れ目とズレる視界からやっと理解する。

 ――具現化を使いこなしている⁉︎

 足元を見るとビルが諸共切られていた。

 ――弾幕だけじゃない! これにリウムさんの隊もやられたのか。

 ノクスは即座に距離を取る。そうすると少年の弾幕が再開された。

 ――どんな攻撃方法なんだ?

 ノクスは水銀を人型に形成して、斜めに弾幕の中に突っ込ませてみる。弾幕を受け、水銀兵はよろめいた。

 瞬間、恐ろしく速い剣が縦に振り下ろされ、水銀は斬られる。

 ――曲線?

 ほぼ地面と垂直だが、ノクスには剣の挙動が少年を中心にした点運動の動きに見えた。

 次に、大量の水銀弾を剣の弾幕の狭間を縫うように打つ。何弾かはホーミングする様に指向性をいじってみた。

 不幸にも剣に当たった弾は相殺されて、弧を描く剣の速度に霧散させられる。そして、ホーミング弾は命中したかに思えた。

 ――また光学迷彩だ。

 少年の周りには、少年を包み込む様な大きな傘状になる様に、多数の剣が重なって回っていた。当然の如く光学迷彩付きであり、攻撃の命中した部分から解除される。ノクスは指向性の制御の精度は殆どルフと同じレベルだと確信する。

 ――魂が揺らいでいる。それも、人格が破綻するくらい、ブレブレ。絶対、思考がまとまってるはずがない。

 ノクスから見て、少年の状態は明らかに悪い。狂気に落ちていると言えるほどではなかったが、尋常な状態では断じていない。何よりこの状態では、指向性を与えられないはずだ。熱量変換は感情によってなされる。しかしながら、指向性に関しては理論的に熟考する必要がある。

 ――今はどうだっていいかな。

 ノクスは相手の状態の推測を諦めた。勝利することを優先する。最初に気体の水銀を大量に生成。次にそれに指向性を与えて風にする。猛毒の熱波で少年を飲み込んだ。

 少年は血反吐を吐く。肌は爛れ、膝をつく。それでもステージⅣ。体が直されながら、立ち上がりノクスに向かって走ってきた。

 ――走り方、ぎこちない。それどころじゃないか。

 少年の周りに数千と剣が具現化されて浮遊する。そして一本一本音速を超える速度、マシンガンを超える連射力でノクスに打ち出される。

 少年が近づいてきた瞬間にノクスは翼で飛翔。水銀の熱波を発生させながら、ホーミング水銀弾で確実に体力を消耗させにかかる。打ち出される剣に対しては第六感もあり、避けることに成功し続ける。しかし、弧を描く点運動する剣は感知しきれずに横腹を引き裂かられる。

 ――悪意が薄い。害意すらそんなない。敵意に関しては完全にない……の?

 違和感を抱きながら、ノクスは次の手に移る。水銀熱波を少年中心に向かって凝縮。少年の体を内側に崩壊させる。

 少年の体は骨程度しか残っていない。しかしながら、それすらもステージⅣは直されていく。過呼吸状態の人型の醜い化け物となりながらも少年は牙を向く。翼は点運動する剣の二対に切られて、ノクスはビルに着地。それに続くように少年も同じビルの頂上に立つ。

 瞬間、ノクスは花畑に立たされた。ビルの頂上は花畑にされていた。花の銘はティアフロス。花弁が二つのみ、弧を描きながら天を差す。花弁の根本に存在している「子房」、そこから花糸を通じて花弁の中腹に存在している「やく」はどちらもこぼれ落ちる涙のようだった。何より、花弁は切れ味が良い。強制的に立たされたノクスの脚を軽々と切り裂く。

 この現象は、。己が心象世界で現実世界を侵蝕する業。心象世界の具象化・具現化に続くリアニマの最高峰の能力である。

 ノクスは血管の細部、個々の細胞、神経の末端、その全てが痛みに侵蝕された。代謝的に大粒の涙が目を覆う。

 ――痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い……

 バタンと倒れる。侵蝕領域が解除され、白いビルの上に爛れた肌の少年が倒れ込んだのだ。少年はそのままモノリス化していく。

 ――いたぃ……痛くない? 終わったの? 体力切れ?

 ノクスは呆然とした。涙を拭ってモノリスのそばに寄る。

「なんで、こんなにボロボロ?」

 モノリスは基本完全な銀色の直方体であり、中心部のみ薄らと魂の鍵が見えるような様相なはずだ。しかし、ノクスの目の前にあるモノリスは、魂の鍵を蚕のように守る繊維質とそれを立体的な蜘蛛の巣状態で中心に固定する糸のみ。これは、最低限の守備機構しか存在しないことを意味する。

「痛かったよね。ごめんね」

 ノクスは心から謝罪した。ノクスは自身の心象世界に何度も入ったことで理解している。そこは絶対不可侵で感情が渦巻く世界なのだと。故に、「痛い」という感情は『剣』の少年のものだ。ノクスも相手が反射的に涙になる程は痛い攻撃をした事は分かっていた。倒すために必要な行動だった。それと同時に、彼からはほぼ第六感が作用しなかったのも事実である。ならば、謝らなければいけないと感じて、謝った。

「ノッチン! 大丈夫……じゃなかったけど、大丈夫?」

 ビル群を跳んでくる茶髪ポニテの美少女はリウムだ。暗黙の了解で周辺の警護をしていたが、それはAIで間に合っている。手持ち無沙汰なリウムは当然のようにノクスの戦闘を見ていた。故に、ハグにて親愛を伝える。人間の温かみを伝える。独りではないことを伝える。

 リウムがノクスを最初に見たが時は「ローのように冷たい」と感じていた。ローは孤高だ。何より最強故に平和の象徴。時に冷酷にならざるを得ない。その時ほどノクスは冷たかったと感じた。独りのように感じた。それならば、ローに伝えるように、しかしながら、溺愛ではなく親愛を、得意のスキンシップで伝える。それがリウムができることだった。

 涙がノクスの頬を伝い、地面に落ちる。目は開いて、不可解を醸し出す。ノクスは今までずっと凍えるように冷たかったはずの涙が、火傷しそうなほど熱い理由を理解できずにいた。

「なんで僕は悲しくも、苦しくも、痛くもないのに涙が出ているのですか?」

「ふふふ。どこか、救われているんじゃない?」

「まだ、何もできていないのに、救われていいんでしょうか」

「よく分からないけど、いいんじゃない? ノッチン、いっぱい頑張ってきたんだよね?」

「うん」

 ノクスの目から熱い涙が何粒を落ちた。

 ――これは、嬉しい。じゃあ、これは、幸せ?

 ノクスはそんな初めての感情を享受する。

 時間にして一分ほど。リウムの中で幸せを噛み締めていた。

『ノクス! 将校試験内で悪意が増してきている!』

 ローの緊急連絡に、ハッと目を覚ました。

「ロー! シュナプスイデーはステージも上げる! 多分」

『クソが。いい、それは俺が責任を取る。借しばっかで悪いが、リウムと一緒に将校試験内の事件を解決してくれ。俺じゃ今からだと、遅い』

「分かった」「了解」

 スピーカーモードだったため、リウムも返事をした。

『ノクスはスイの救出。リウムはその他の参加者の保護を頼んだ』

 ローの周りはまたも戦闘音の中であり、プツンと通信は切れる。

 二人は目を合わせて、スラム街へと全速力で向う。考えた結果、ノクスは笑顔をリウムに送った。

「急ぎなので先に行きます」

 ノクスは植物の翼を生やして飛翔する。

「頑張ってね!」

 リウムは笑顔で手を振ってノクスを送る。スイとの仲の良さを譲る気はないが、ノクスの方が速いのは確実だ。強いのも先ほどの先頭で証明済みだ。何よりローの指示もある。

「はい!」

 勢いの良いノクスの返事と共に、自身にエンジンのように指向性を与えて、ジェット機のように飛んでいった。

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