第18話 将校試験二回目の顛末

 帰りの道の中でノクスは思考する。

 今回は多くの知識がノクスを襲った。ナイトメアの歴史と残虐性、ローの人間性と不可解な挙動、元帥の道徳心と求心力の正体。その全てがノクスを悩ませる。

 ――過去って大切なのかな?

 多くの過去を知った。おそらく自分の成り立ちとも言える事実があった。

 それでもなお、ノクスは過去に興味がわかなかった。

 正確に言語化すると、過去が大切と言ってしまったら、今この現実を蔑ろにしている感覚に脅かされるから嫌だった。「だって、今頑張ればいいじゃないか」と考えているから。使徒にそう言われたのもある。それらの考えに至ったのは、結局ノクス自身、自分の前世が嫌いだったためだ。

 複雑な気分に苛まれたまま施設を出ると、リウムの声がする。

「長かったね! ノッチン」

「元帥は凄くいい人でした。スイのためにあんなにも怒ってくれるなんて」

 どこか虚なまま思いの程を打ち明けたノクスに対して、リウムは納得したかのように、さらなる事実を覆い被せる。

「ナイトメアについて聞いたんだ。まぁ、元帥も怒るよね。だって、自分の孫たちが実験体にされているんだもん。スイのためもあるかもだけど、やっぱりそこらへん引きずってるんじゃないかな?」

 その事実に対してノクスは当然の如く困惑した。

 ――それなのに怒れるの? 強い人だ。一億人の上に立つのに相応しい。でも、

「何で? だって元帥は元帥じゃないの? 最高権力者じゃないの?」

「それはここ七年の話だよ。どこまで聞いたか知らないけど、七年前くらいの軍の人間はモノリス化しているか、ローくんに殺されているか、元帥かなはずだから……つまり、とにかく! 七年前は元帥もちょっと凄いただの軍医だった、ってローくんが言ってた」

 ノクスはより納得した。思ったよりも元帥も人間で、凄さの格はそのままに尊敬と信用が積み重ねられる。

「そうなんですね」

「うん! 信用できる人だったでしょ!」

「はい」

 ノクスの本音だった。七年で巨大な都市のトップに立ち、悪を制して、都市を回している。姿から醸し出される雰囲気も洗練されてきた精神も魂から出される感情の年季も何もかも信じさせるだけの高尚さがあった。

「これで私も帰らなきゃ。ノッチンはどうする?」

「リウムさんは何かあるのですか?」

って知ってる? これ」

 そう言ってリウムは注射器を出した。何の変哲もない普通の白色の注射器に赤紫色の液体が入っている。

「これを自分に注射することでパワーアップするらしいんだけど、一時的だし、フクサヨウで吐いちゃったりするらしいから禁止されてるんだよね。それがカミのマナコの監視外でマンエンしているらしいから、それの制圧が任務! 場所と時間はローくんがあらかじめ言ってくれているから、そろそろ出発しないと。じゃあね!」

 リウムは嵐のように来て嵐のように帰っていった。「第六感の範疇を超えているだろ」という心を押さえながらノクスは試験会場である北側のスラムへと目をやった。

「これで何もないといいけど」

 そんなノクスの声に呼応するかのように、ノクスでも目視できるほどの超巨大な物体が具現化する。

 黄色のカーテンが頂点からうねるように見える。そう形容すべき超巨大な何かが試験会場に鎮座していた。

「どうして……」

 そして空中より化け物が飛翔していく。ノクスは圧倒的威圧感からすぐにローだと勘づいてしまう。

「スイ」

 溢れるように言葉が出る。そして、ノクスは走る。嫌な予感を払拭するために。忌々しい光景を見ないために。過去を現実にしないように」



 ノクスは苦節千kmほどを一時間程度かけて走った。己が体を燃やしてただただ速く走った。ひたすらにひたむきにわき目も振らずに走った。そして到着する。

 そこに映っていた光景は狂気に溢れていた。

 嘆きながら、喘ぎながら、怒りながら虚な眼で痙攣する子供立ちがそこらで散らばっている。

 ノクスが声をかけても意味はなく、触ってみても反応はなく、しかし攻撃したらモノリス化した。

「スイがいない」

 ノクスの焦りに満ちた言葉が迸った。



 ノクスが中心についてしまう。そこには二体の化け物の死骸とロー、そしてスイがいた。

 スイの魂は溶けていて、狂気に犯されていた。

 ローはその魂ごとスイを貫いた。

 どこか幸せそうに死にゆくスイに対し、ローは悲しげな顔で葬送する。

 ノクスはその光景を傍観した。届かないのはわかっていても、走り出せなかった。

 あまりにもスイの状態が酷く、殺された方がマシかに思えてしまったからだ。だけど、それでも、スイはノクスの生きる意味なのだ。

「ロー!」

 ノクスは慟哭する。スイが殺されてからやっと足が動き出した。

 下唇を噛み締めて睨んでくるローの顔が見えた瞬間に、ノクスの行動が阻害される。

 具現化された狼の頭蓋たちがそれぞれノクスの四肢に噛みついて離さない。

「どうしてだ」

 呟くような言葉がローから放たれた。

「お前がいながら、何でこんなことに。こんな未来、視ていない」

「何でまた! お前が殺すんだ!」

 ノクスの怒号に、堕ちて白く染められた瞳孔の眼のローが、酷く虚なまま返答する。

「俺が殺したくてそうしていると思うか?」

「そんなことは関係ない!」

 北部に響き渡るほどのノクスの声はローには届かない。

「お前を見た時に視えたんだ。幸せそうなスイの姿が。だから一緒にいさせたっていうのに。何で、何でこうなった⁉︎ なぁノクス。この顔が同胞を殺したい奴の顔に見えるか? なあ!」

 ノクスが発言しようとするが、狼の頭蓋を具現化させてノクスの喉を締める。

「俺のせいか? どこを間違えた? ない。そんなもの。努力は欠かさなかった。ないんだ。俺は間違っていなんかないはずなんだ」

 ローの眼には白い狂気が内包している。辺り一帯の狂気を収集しているようにも見える。ローの狂気に満ちた言霊がこだました。

 ――全員が狂気に犯されている、の?

 ノクスの考えの通り、ノクス到着前に試験会場にいる全ての子供たちは発狂していた。

 それはローも例外ではない。確かに彼の眼には白い狂気が棲んでいる。しかしながらそうは言っても、別にローに狂気に対する耐性が特別にあるわけではない。人間からどれだけ卓逸していても、ローの耐性は人間の範疇までしか逸脱しない。

 ノクスの首が噛みちぎられていく。ローは顔を右手で覆って呟いている。

 この場で変化するのはノクスの生死だけとなった。

 己が首の砕けていく音が聞こえる。己が血管が破裂する感覚に浸される。己が意識が肉体から乖離していく。

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