第17話 元帥との対談

 巨大施設の中に入ると、三階にまで届きそうな天使像に迎えられる。その姿は瞼を閉じて、【 】に祈りを捧げていた。

 それがジェネス教の三大天使であるガブリエルとノクスは認識する。

 チョーカーの機能のおかげでどこに行けばいいか、神経系に作用して視覚化されている。

 その指示通りに、左右の端から二階へと曲がりながら接続する階段を登り、先を急ぐ。

 道中はジェネス教の美術作品が多くあった。有名なものだと、絵画『世界の創造』ファースト……フィー・『天地の創造』セカンド……フィー・『地獄の創造』サード……フィーや彫刻『創世の冠』・『洗礼の証』・『地獄の門』最後に、書物『創世記』・『失楽園』・『神曲』

 どれもレプリカではあろうが、ジェネス教の実在を確認するには十分なものたちであった。

 ――でも、ジェネス教っぽいのはここにしかない。都市には完全にジェネス教の雰囲気はなかった。本当に楽園は……。

 そして絵画には題目の下に副題が添えられていた。それが、ファースト・セカンド・サードであり、「……」であるその後の文が非常に見えずらい状態にあった。

 近くでよく見てみると、その内訳が見える。プレステージが消され、その上にカタストロフィーと書かれており、フィーだけがよく見えた状態だった。

 ――カタストロフィー?大災害? 天空流転都市を創造した威光プレステージではなく……?

 ノクスが色々な可能性を思索しているうちに、目的地に到着したようだ。「作戦総司令部」とチョーカーには表示されている。ノックをして、中に入った。

 中は横に広がった大きな会議部屋に、奥に大きなモニターが備え付けられていた。机は明らかに10数人で使う用ほど横長く、持て余しているように見える。

「こんにちは、ノクス」

 そして、奥に座っていたセイジ元帥が立ち上がった。

 白色の髪と髭に厳格な顔立ちに似合わない笑顔、カリスマ性を感じさせるような存在感に安心させるほどの包容力。一挙手一投足が偉人だと物語っていた。それでいて、不思議と悩みを打ち明けやすい。そんな雰囲気を兼ね備えている。

「こんにちは、セイジ元帥」

「まぁ座ってほしい」

 ノクスは自然と返事をして、座り、口が空いていた。

「ロー少佐って、本当に凄い方なんですよね?」

 元帥は感情の機微から、ノクスが権威のある意見を欲していることを理解する。

「そうだね。リウム君に聞いたのかな? 私からも明言しておこう。『ローはマルクトの英雄だ』」

 ノクスはどこか胸の中に広がっていた傷口が治されていく感覚に浸された。

「なんかここまできたら安心しました。なんか敵になりそうだったので……」

 ロー味方説はリウム時点ですら納得しかけていたのだが、元帥の言葉によって完全に確信に固まった。

「それで、『マルクト』って、天空流転都市の最南端のところで間違いないですよね?」

 元帥はノクスの記憶の欠落の特異性に疑問を抱きながらも、その空白を埋めてゆく。

「ノクスは記憶喪失だったね。そうだとも。ここはそのマルクトで間違いではない」

「マルクトがこの調子だと、本当に楽園は崩壊したということですか? 何より、ここが地獄ってどういうことですか?」

 記憶喪失にしては妙にジェネス教に邁進している、と感じながらも元帥は話を続ける。

「……なるほど。了解。では説明しよう。流転暦四億年元年七月七日に起こった大災害。フォースカタストロフィー。別名アインスナイトメアを」と元帥は立ち上がり、モニターに図解を表示する。

 ――カタストロフィーって言った。やっぱり塗り替えられてる……?

「ここマルクトは多くの損害を払った。起こったことを羅列すれば、大地の六割の地獄化・七歳以上の都市民の駆逐・ルインダーの侵攻の本格化、の三つだね」

「はい? 地獄化ですか?」

 言っている意味がわからずノクスは即座に聞き返した。

「そう死後の世界のはずの世界が現実に侵蝕してきた。これは……そういうものだと受け入れるしかない。灰の地獄である第一圏のリンボがいい例だね」

 ――そういうものって言われても。ありえないとは言えないのかな? リアニマもありえない部類だし、そういえば、なんなら僕の存在の方が謎だよね?

「……わかりました。それで、なんで七歳以上が駆逐されたんですか?」

「それは魂の鍵システムのある種皮肉だね。魂を具現化させて精神を格納してできる『魂の鍵』これをホムンクルスに挿入することで、肉体は再現される。ホムンクルスの損傷時は、形状を変化させて銀色の直方体であるモノリスとなることで魂の鍵の保護をする。これによって肉体の死という概念がなくなった。これが魂の鍵システムの概要だ。しかしながら、これは七歳の誕生日以降にしか行えないものなんだ」

「じゃあ生き残るのは逆なんじゃ無いですか?」

 ――七歳未満は不死じゃないってことだから、七歳以上が生き残るんじゃ?

「駆逐っていう表現が悪かったね。正確には魂の鍵を放置している状態なんだ」

「それって……」

 気づきたくない事実に、ノクスは血の気が引いていくのを感じた。

「フォースカタストロフィーではルインダーが豪雨のように降った。マルクトは全霊を持って対処し、そして完全敗北した。戦った19億人は魂の鍵かモノリス状態で放置中。その時に逃しておいた、が生き残ったんだ」

 ――こっちの方が地獄でしょ……。

「それでこの後に、ルインダーの侵攻が始まった。これが最大の問題だった」

「え?」

 ――子供たちしか生き残れなかった方が……むごい。

「記憶がないならそんな反応にもなるね。侵攻さえなければ、七日もあれば完全復興できるから。故に大災害時でも誰も考えてなかった。まぁなんとかなるだろう、そう考えるのが普通だった」

 これ以上不穏なことに気づきたくないノクスは都合の良い方に解釈する。

 ――そうだよね……? だって、

「魂の鍵システムですね。あとアニマニウムとか凄いし、なんとかなりそうですよね?」

「それでだが、侵攻が始まったのが翌日すぐだ」

 ノクスは目を見開き、チョーカーに表示される年月を再度確認する。

 ――流転暦四億六年六月六日。六年前ってスイが丁度生き残ったあたりってことになるよね?

「……誰が対処したのですか?」

 ノクスから悲嘆が喉奥に詰まった言葉が吐かれた。

 ――だって生き残った人って、子供だけ、でしょ?

「ローだけだ」

 ――ロー、だけ?

 元帥からの真っ直ぐとした視線が送られる。こういう時に対処すべきなのは大人だった、ノクスはと受け取れた。

「……そうさな、リアニマは知っているな?」

「今習っているところです」

 あまりの衝撃に脳が理解を拒んでいたが、ノクスは噛み砕きながら理解しようと頑張っている。

「復習兼ねて一応教えておこう。リアニマ、強い感情をトリガーに魂の形の再定義を引き起こす現象。これは自身の魂がどんな指向性を持っているのか知れるだけだ。マルクトでの問題点は二つ。副作用が有用すぎた点に加えて、子供しか再現不可だった点」

 ――有用すぎた副作用が今習っているところかな。あれ?

「だから極端に大人が居ないんですか?」

「そうだとも。わざわざ生き返す必要性は無かったとAIに判断されてね。実際、不格好だがマルクトは回っている。よろしくはないと思っているんだが、必要だという証明の仕様が無い」

 ノクスの口が自然と開いた。

「……それでも、僕たちは会いたかった」

 元帥はノクスの主語の大きさに若干の違和感を抱くが話を再開する。ローの言葉から少しだけ納得がいった。

「当然の感情だね。でもね、今も大人のモノリスは地獄に散らばっているのも多い。少ない子達だけ親に会えると言う幸福よりも、全員会えないという平等の方が優先された結果というわけだ。こればかりは諦めてください、としか言えないんだ」

 ――確かに、それは、出会える親子は「ずるい」けど。納得だけど。でも、会いたかった。会えれば、あんなことにならなかった?はずだったのに。

 喪失したはずの記憶がのたうち回って、ノクスは酷い頭痛に襲われる。

「単純に思ったんですが、元帥って大人ですよね?」

「大人は13人だけは生き残ったんだ。軍部上層部たちと当時軍医のトップの私のみ。しかしながら、ツヴァイとドライのナイトメアの責任をとって上層部は魂の鍵の保管状態をとっている。要は擬似的な死刑というわけだ」

 ――ナイトメア……! 確かローもそんなことを言ってたような。それはドライとフィーアだったはず。

「ナイトメアってなんですか?」

「そうさな。ナイトメア、それは三つ同時期に起きた凄惨な事件の子供たちからの蔑称だ。ノクスで四番目になるけれど、起源はそういうものだ。一番目のアインスナイトメアがさっきまで話していたフォースカタストロフィーのこと。二番目であるツヴァイと三番目のドライがあったのだけれども、聞きたいか? 忠告はしておくが話したいような内容では決してない、とだけは伝えておく」

 元帥の魂の内に広がる熱を、ノクスは観測した。

 ――フィーアが四番目、一応スイも話してくれた、コモレードアブソープションだったはず。

「お願いします」

 元帥はノクスの覚悟から、落ち着き様も見て大丈夫という判断をする。

「先ほどルインダーの侵攻が問題だったところに戻るね。ルインダーとは元々地獄の穴から出てきていた怪物ではあったが、普通の銃火器で対処できた。しかしながらアインス後は違った。再生能力、攻撃能力、排出総量その全てが指数関数的に増えていく。そして、ロー以外誰も対処不可の代物に成り果てた。何せ、リアニマを起こし、スプライサーになったのがローだけだ。残った大人たちは都市を守ろうと必死だったんだろうよ。ローの代替品がどうしても欲しかっただろうな」

 元帥の魂が揺れる。溶けかけた坩堝から溢れ出す感情を発露させにようにと踏ん張っていた。

「故に人体実験が行われたんだ。それがツヴァイナイトメアである事件、アンハッピーバースデイ。元上層部はローのリアニマ跡地から極限状態が条件で、リアニマを起こすことを突き止めた。だから、子供達を騙して地獄に送った。結果は惨憺さんたんたるものだったよ。生き残ったのはリウムだけ。それも地獄の中でローがツヴァイが起こったことに気づいて、怪物どもの中から助けてくれたから生き残れた。それだけなんだ。……ノクス、この後を聞く覚悟はあるか? ここからが何よりも最低であり、スイが不幸に見舞われた原因だ」

 今の元帥はノクスに少し疲れた印象を与えた。事実燃えたぎるような怒りが魂に隠されている。子供達の不幸に対して本気で怒っているのだ。この事実を知ってノクスは元帥を信じる。リウムから聞いた通り、いい人であった。

「もちろんです」

「では話そう。子供達と言ったが、それは一つだけ忌々しくも基準があったのだ。それは、兄弟がいることだ。なぜか」

 元帥はあからさまに目線を落とす。魂の揺らぎが分かるとはいえ、ノクスにはその理由までは分からなかった。

「それは、

「は?」

 ノクスの憤怒が吹き出した。眼の瞳孔が黒く染まって揺らめく。

「それは人間が行った行為か?」

 敬語なんて抜け落ちた。白黒の世界で侵蝕する。白い壁をさらに白く、机や椅子も白く、元帥すらも白く染め上げ、輪郭線のみを黒色にする。

「そうだ。ローが拷問して聞き出した。だからね、ノクスがそこまで怒る必要はないんだ」

 元帥はそう諭したが、ノクスの中で辻褄が合ってしまった。

「スイなんだろ? 生き残ったのがスイ一人で、ドライナイトメアになった。つまりはそいつらは僕の敵だ!」

 ノクスが化け物に近づいていく。眼の輝きは鮮やかになり、溢れ出す感情は可視化される。それでも元帥はただただ冷静に言葉を紡いでいく。

「……勘がいいね、ノクス。そう、光景を見せられた会場で子供たちがなぜか発狂死する事件が起こった。これが三度目の悪夢、ドライナイトメア。事件名:インサニティヴィジター。ローが助けに入った時には、多くの子どもが発狂死する中で、スイが何かに覚醒してしまっていた。スイ以外全員死んでいたらしい。ローですら何が何だか分からなかったんだ」

「僕が殺す。僕に、殺させて! どんな風に死んでいったか教えてあげなきゃダメなんだ!!」

 無彩色の中で唯一ノクスの緑色の虹彩が世界を侵蝕していた。その虹彩は土星の輪のように廻っている。

「殺せないんだ、ノクス。もう、擬似的な死が与えられている」

 ノクスの憤慨振りに、スイ一人分の憤怒でなさすぎる強大な感情から、元帥はノクスの存在に近づく。

「だから、何? 擬似的な死ならまだ殺せるんでしょ? ホムンクルスは死なずに魂の鍵になるって。つまりまだ殺せるはずでしょ。殺すべきだ!」

 ノクスは牙を剥き出しにして、唾を飛ばし、熱によって陽炎を生み出す。

「そうだね。多分、ノクスにはその権利があると言われるべき存在なのかもしれない」

「じゃあ!」

 獣のように吠えるノクスに覆い被せるように元帥は言い放つ。

「命を蹂躙した者と同じことをしても、現実も過去も変わらない。誠に残念だが、自身の憤怒の発散という未来には意味が存在し得ない」

 燃えるように怒っていたノクスに正論がぶつけられた。それだけならば暴力が行使されたかもしれない。しかしながら、

 ――なんでそんなに怒ってくれるんだ。

 元帥はノクス以上と言わんばかりに怒りを露わにしていた。魂から悍ましいほどの憤怒の感情が見て取れてしまう。その感情の源泉が確実に「被害を受けた子供全員に向けたもの」だと魂から理解せざるを得なかった。

 ノクスは理解してしまう。最高権力者である元帥ならばノクスのやろうとすることが可能であり、それを必死に我慢してきていることに。

 それでもなお、彼らの怒りは沸々と湧き上がり続ける。どうにかして暴力の鉾は納めた。だが納得する気にはならなかった。

「無礼をすみません。その人たちはその後どうなったんですか?」

「理解をありがとう、ノクス。その時のローは相当怒っていたがために、同じくらい悍ましいことを行った」

「具体的にお願いします」

 食い気味なノクスに躊躇いながらも元帥は詳細を語る。

「……そうさな。一人ずつ拷問をした。12人全員が完全に同じ供述をしたことを確認してから、爪・皮膚・血管を剥いで死ぬまで放置。最終的には、彼らの魂の鍵は永久保管中だ」

 元帥は怒りのままに話を続ける。怒りながらも、語彙には出ながらも、確かに冷静さだけは取り繕っていた。

「結局、だ。これらで私とローは何も得られなかった。拷問した時点で事件の概要と動機は完全に把握できていた。その後は本当にただただ時間を浪費しただけだった。何をしようと結局、未だ彼らへの憤怒は消えていない。消してはならない。現実では、その間に救えたものを取り逃がしたのだ。――故に、憤怒の発散は意味がない。これで理解してくれぬはくれぬか、ノクス」

「……そうですか。ありがとうございます」

 ローも元帥も超人だと思っていた。そこは変わらずとも、二人とも感情がある人間であった。理由は不確定だが、ノクスは三つのナイトメアの事実を知って心が軽くなった。

 しかしながら、ドライナイトメアがスイが起点となっていて、理由が不明だということしかわからなかった。

「それからというもの、わしらは人命の救済に尽力するようにした。都市を回すことは感情なき合理的なAIにさせるようにした。そして非人道的なことは徹底的に排除して、マルクトはなんとか回っている。これが三つのナイトメアの概要で今のマルクトになった経緯だ」

「ありがとうございます。それで、ドライはなんでスイが起点だったんですか?」

「結論は未だ出ていない。しかしながら、こういう場合はそもそも理由なんて存在しないことがあるのだ。円周率が3.141592……と無限に続くようにそういうものと考える他が無いことも、この世界には腐るほどある」

「そう、なんですね」

 ――理由なんか無く、スイの平穏は危ない状態にある。

「なんで覚醒していたか、少しもわからないのですね?」

「そうだな。少なくとも七年前のローには理解できなかった。今なら可能性があるかもしれぬ。とは言っておこう」

「元帥、ありがとうございます」

「では、良い旅路を」

 これにて濃密な元帥との面談は終了した。悶々とした感情のままノクスは、作戦総司令部を後にする。

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