第13話 将校試験。そして、
特訓を開始して、六時間くらいすると試験開始の警報が鳴る。
ノクスの異常な成長は先ほどの一回だけだったことにスイは少し驚いた。付け足すと昨日よりも性急の勢いが増していることが気がかりだったが、将校試験が理由だと納得した。
「よく頑張ったわね」
スイは汗だくになったノクスにタオルを渡す。気持ちよさそうに自分の汗を拭き取るノクスを見て日常を感じた。
「始まったわね。一旦訓練は休憩。ついでに敵感知をしていきましょう」
「敵感知?」
金色の毛玉りが傾く。またも知らない言葉だ、とノクスは思った。
「どうやってやるの?」
「基本的に音や熱感知スコープで見ての索敵が多いわね。他は、私の場合は風の流れでやるのだけれど、ローなら第六感で行うわ」
「ん? 何もないと難しくない?」
「そうね。すぐにできるようになるものは第六感くらいで高難易度よ。だから、今回はなんとなくでいいわ。けれど、気づいたら言うこと。私は私で感知して敵に近づいていくから、どんどん気づきやすくなるはずよ」
スイは少し確かめたかった。ノクスの先ほどの奇蹟を思わせる成長が仮にローと同じならば、説明の不可能な強さのローに届きうるかもしれないと。
試験が開始して各地で戦闘が開始されてゆく。建物群は荒れ果てており、所々で戦闘の様子が伺えた。四方八方からロボの粉塵が宙に舞っていて、どこからくるかノクスにはわからない。
結果から言うと、スイのノクスへの期待と畏怖は早とちりだった。スイの方が先に接近する部隊を感知して、少しずつ近づいていく。
「こっち側にいるわね」
ノクスからすると戦闘音しか聞こえない。全方向から聞こえるためにどこが一番近いか不明だ。
「スイはすごいね」
「これくらいは。マルクト二位は伊達じゃないってことかしら」と少し嬉しそうなスイ。
自らの足音と共に刻々と爆音や剣撃音に包まれてゆく。
「そろそろだね」
「あの子たちは……ノクスが迎え撃ちなさいな。多分、撃退できるわ」
ノクスが進行方向の瓦礫の隙間を見ると人影が見えた。腕を広げて迎撃体制をとる。
ノクスの緑色の眼と、遠くで走る部隊の指揮官の少年の白色の眼が合った。
ロボの大群を破壊してきた部隊にさらなる試練が牙をむく。
二つの人影が見えた瞬間に指揮官の少年は隊全体に命令する。
「急務、全員俺の後ろへ!」
ノクスの先ほどの水銀弾の面攻撃が襲いかかる。
少年の咄嗟の指示は功を奏した。襲いかかる水銀の針の数々、少年はその全てを断ち切った。彼のリアニマは臨界深度:参の『剣』だ。
少年は瞬時に手元に剣を生成。そして、剣捌きにてこれを踏破したのだ。
「各自撤退。俺は殿を務める」
ノクスの猛攻が始まる。今度は単発を大きく速くして連続で水銀弾が撃ち込まれていく。少年はこれを己の剣のみで切り伏せる。
少年が全ての攻撃を防ぎきり、殿を全うしたと確信した瞬間に彼のチョーカーから信号が発せられる。
『ホムンクルス損傷甚大。魂の鍵を死守します』
少年が下に目を向けると切り伏せたと思っていた水銀どもが、地面から伸び、巨大な針々となって自分に刺さっていることに気がついた。その体がモノリス化していく自分を見ながら、悪態をつく。
「はぁ。つくづく運がないな」
しかしながら、ノクスは少年の思惑通りに他の部隊員を取り損ねた。自分から離れた水銀への指向性の付与を試して、スイにドヤ顔を決めていた瞬間には、すでに白い瓦礫しか目に映らない。
「勝つとまで思っていなかったけれど、締めが甘いわね。流石にあの子は優秀だからしょうがないけれど」
完全に勝った気でいたノクスは腑抜けた声を漏らす。
「へ?」
「ほら全員倒しきれなかったでしょ」
「あ、確かに」
初めての戦いはこうして幕を閉じた。
「大体ね、今回の私たちは、気づいた瞬間には逃げなければいけない怪物役なのよ」
またも頭を傾けて疑問符を浮かべるノクスに、スイは話を続ける。
「地獄の中では敵わないと思ったら、すぐにロー来るまで戦線維持かすぐに撤退かどちらかを選択しなければいけないの。そう言う試験なの……だけど、」
スイの会話の中でもしっかりと敵感知をしていたノクスに反応があった。
「来たね。多分グア」
ビルだったであろう瓦礫から、赤熱したロボの残骸が燃え尽きる姿が見えた。
「正解よ。はぁ、全く。優秀なはずなのに」
スイのため息の中、炎を纏いし軍人が高速で近づく。
瞬間、ノクスは巨大な水銀弾を放つ。それは、グアにぶつかった。
「分ァてんだよ! テメェの能力は把握済み、三下ァ!」
炎を纏っていたのはノクス対策。水銀の沸点は630K。その程度はグアにとってはぬるま湯だ。当たる直前に水銀は蒸発したらしい。
「逃げなさい、と教えたでしょ。グア」
グアの声が発せられる頃にはスイの風への指向性制御が終わり、グアへ氷結の息吹が届く。スイの言葉の冷たさは氷結よりも冷たかった。
「スイを越えないで将校は嘘だろうがよォ!」
ガラついた怒声が二人を包む。
グアは己が炎で温度だけは相殺できたが、風の威力は凄まじく、大きく後ろへ飛ばされた。グアは遠くの建物に衝突して血を吐く。しかしながら、そのままノクスたちに突進してくるのが分かる。
ノクスは目で追うので精一杯だった。前日の訓練では火力も変換速度もまだまだ本気ではなかったことを確信する。
「なんで倒れないの? あの火力をまともに受けて血を吐くくらいで収まるものなの?」
ノクスの悲痛な疑問は最もだ。人ならば音速以上で壁にぶつかれば確実にミンチになる。
しかしながら、リアニマントの性質である肉体変貌は、単純に体を水銀に変えるだけではない。この様に自身の細胞間の結合強化を施すことによって強靭な体を手に入れることができる。
「ノクスだってこのくらいじゃ、そんなにダメージを負うことはないわよ」(そもそも死ねないし)
リアニマが常識のスイの世界観は、前世のノクスの価値観とは異なる。だからか、ノクスの悲痛はスイには伝わらなかった。
「はぁ、まず部下たちを置いてきている段階でアウトなのよね」
スイは言葉のまま格下のグアに冷たい眼を送る。
「権限執行:モノリス化」
スイのその言葉通りに、グアの体は硬質化していき、末端から白い直方体になってゆく。
「クソがァ!」
グアはその体が完全にモノリスになるまで、もがきながら闘争の残響を奏で続けた。
「本当は受かるはずなのにどうしてこう、グアは戦闘しかできないのかしら」
ノクスの喉音が鳴る。これが普通の光景だと魂に刻み込む。それは、グアを超えるための覚悟だ。
「ノクス、私ってダメな教官かなぁ」
そんなノクスの覚悟は梅雨知らず、スイは自責の念に駆られていた。
「そんなことない。いい教官だよ」
ノクスがスイにフォローを入れるそんな百合な世界が発動していたのに、そこにノクスの吐血が挟まった。
「なんでぇ、先輩と金髪女がいい仲になっちゃてんですかぁ」
グアの熱のせいでスイの索敵がおろそかになっていた。そのせいでルフの接近に気づかずにいた。
ノクスの腹から触手のようにうねる水が貫通している。ルフも同様に訓練では指向性の制御の本気を出していなかった。
――あ、死ぬ。かも。
「ルフ、死になさい」
グアに送った言葉よりも冷たい声が響いた。
絶対零度の息吹を出すスイ。水に筒まり身を守るルフ。そして、血と共にリアニマが噴き出すノクス。
漏れ出してしまったリアニマ『悪夢』。それぞれの悪夢が辺りを包む。グアにはスイに嫌われる夢を。スイには三つの悪夢が侵蝕する。
戦闘は中断される。各々の正気度が霧散し、狂気が具現化する。
「先輩、嫌いにならないでください。私、頑張りました。強くなりました。言いつけも守っています。なんで私を見捨てるんですか? なんでどうして? 私は悪い子でしたか? …………」
「ごめんなさい。リア。私が見捨てたから、そうやって現れるの? 恨まないで。私が死んでいれば、リアは助かった。でも私は見殺しにしたかったわけじゃない! ごめんなさい。リア、もう私に構わないで。ごめんなさい。いじめないで。
ぃぁぃぁ……。
私だってこんなことしたくなかった! こんなことをしていると思わなかった! 私は、違う。贖罪のために。違う違う違う! そんなこと誰も教えてくれなかったじゃない! ごめんなさい。やめて。私は、…………」
酷く悲痛な言霊が辺りを席巻した。スイとルフは完全に狂気に呑まれた。
「どうしたの⁉︎ スイ。大丈夫だよ」
腑の中身が飛び出ながらも、ノクスだけはかろうじて正気のままだった。
しかしながら、もう取り返しはつかない。
そう答えるように、死神は現れた。
スイの心臓から手が生える。狼の爪を携えた暴力の化身だ。
「こんなことになるなんて驚きだ。でもこれで、ドライナイトメアとフィーアナイトメアの処理を完遂することになる」
倒れゆくスイを前に、ノクスは憤怒の感情を溢れさせていた。
「お前が! がはァ」
ノクスは魂を燃やすように叫ぶ。だが、喉を潰され、頭蓋を割られ、心臓を抉られる。
「四回目だ。流石に死んでくれよ」
眼が熱くなる。視界が血に濡れる。精神から意識が薄れる。ノクスは、四度目の死を経験した。
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