第6話 ノクスと使徒

 カプセルに入ったノクスは、自身のに立たされていた。

 心象世界は心の中とも言える空間である。魂を具現化した天球と一面に広がる花畑のみの空間だ。

 この花畑は人によって意味のあるものになっているが、ノクスの場合は雑多な花が咲き誇っている。これは複数の人の魂から作られた人間ゆえの挙動である。

 ――僕は、誰? みんなが僕の中に入ってきて、それで、僕だけが取り残された。なんで僕が選ばれたの? 僕は自ら死を拒まなかった、木偶の坊……だった? どうあれ、僕にもう生きる理由なんか、ない。せめてスイが幸せならそれでいい。でも、ただ一つだけ覚えていること。――僕は救われなかった。

 ノクスは四回連続のリアニマの影響で記憶障害になっていた。複数の魂、その再定義を一つの精神と肉体で行なってしまったものだ。ここに魂が通常状態を合わせて、記憶障害になったという状態だ。

「それが君の素なんだね」

 そんな疑問の中、それもノクスの心象世界の中で青年の言霊が聞こえた。

「誰⁉︎」

 心象世界はその人だけのもの。自分から心を開き招き入れることがあったとしても、勝手に入られることなどないはずだ。

 しかしながら、その這い寄る好奇心と言える現象は、人影となってノクスの周りで歩きながら言葉を紡ぐ。

「いやはや、我が主はあんな魂さえ救済しようとするなんて。……ああ、紹介が遅れたね。ボクは第二使徒。普通に使徒と呼んでくれればいいよ〜」

 ノクスはあまりにふざけた態度に唖然とするが、「救済」と言う言葉だけは聞き逃さなかった。

「使徒さんは、僕を救済するためにここにいるの?」

「ボクは使徒だから、ただの観測者に過ぎない。救済するのは『主』さ」

「でも、楽園は崩壊しているはず。だから、もう無理でしょ……?」

 ノクスの諦観の念が綴られる。

「ジェネス教の七つの禁忌、その一つ『自殺』。それを犯した君、もとい君たちはジェネス教では救われないだろう? 実際そうだったはずだよね?」

「それは! そうかも、しれないけれど……」

 ノクスが思い出そうとしようとした部分の記憶が欠落している。そのせいで脳に負担がかかり、酷い頭痛を苛まされていた。あまりの痛みに頭を鷲掴みにする。

「妙に歯切れが悪いなぁ。ああ、そう。あの忌まわしき記憶がないのかな? でもそれはボクに関して言えばどうでもいい。君たちの信じる唯一神【 】は君を救済しなかった。信じれば救われるなんて言っておきながら、あんな事柄で自殺判定を出して、救済さえ行わなかった。この事実が大事なんだ」

 使徒は吐く言葉に緩急をつけながら、ジェスチャーを付随させて、悲嘆感を演出していた。

「救われないのには変わりがないじゃん」

 頭痛が少し収まったノクスは当然の不満を吐く。

「全くノクス、だからこそ、ここに使徒がいるんじゃないか」

 ジェネス教にも使徒という概念はあるが、それは断じてこんな失礼な人間ではない。第二使徒となれば、古代で多くの人々に教えを広めた人のはずである。

「まず使徒っていうところからおかしいんじゃないですか?」

「ボクはジェネス教の使徒と言った覚えはないよ」

 ここぞと言わんばかりに人影は舞い踊る。

「君たちは救われなかった。そう、ジェネス教ではね。その派生宗教:シュド教・第二使徒が宣言しよう。君たちは救われる。さぁ我らが主を信じようではないか!」

「そんな新興宗教になんの力があるんですか? ジェネス教は少なくとも楽園を作り上げました。でも、そのシュド教は何もしてくれていないじゃないですか」

「いや、君の存在そのものがシュド教の救済方法の一つなんだ。だって、複数の魂を融合させて一つの魂とさせる。こんな素晴らしい所業がジェネス教にあったかい?」

 そんな記憶は存在しないために、ノクスは黙ることしかできなかった。

「もちろんないだろうね」

 ノクスは不信感で使徒を睨むが、対する使徒は逆に心が躍っているようだった。

「ふふふ、面白い。いいよ、ノクス。まぁ、ノクスが信じようが信じなかろうが、どうだっていいんだ。主はシステムだからね。強制的に発動するんだ」

 飄々とした人影は這い寄ってくる。

「どうしたんですか?」

「君にはしてもらうよ。それがシュド教の教えだからね」

 そしてノクスの額に使徒が触れた。

 ノクスは脳味噌が揺らされて酔うような感覚に襲われる。何が起こったか分からない。記憶はないが、感情だけが、色欲と憤怒と暴食という大罪どもがノクスから溢れ出す。

「何をした⁉︎」

 心象世界でノクスは叫ぶ。憤怒の籠ったその声は辺の花を舞い散らせた。

「そんなことより君はしなければいけないことがあるだろう?」

「スイを、助けなきゃ。スイは何度も不幸になっていた……? そう言うことなの? 使徒さん⁉︎」

 確信は無い。記憶も無い。証拠すら存在しない。それでも、スイが不幸になる。それが高確率でなることの啓示を受けた感覚にノクスは浸されていた。

「そうさ、ノクス。この記憶を持ったスイは君が救うしかない。……まぁ世界は可能な限り重縮するからね、そろそろ君の煉獄も終わるかな?」

 ただの使徒は言葉を告げた。心象世界は光に包まれて覚醒の時を待つ。

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