第6話 ノクスと不可思議な出来事たち

 ――悪夢を見た。悪夢にうなされた。悪夢だと思いたかった。じゃないと、がわからない。


 六月一日の正午。最初のフィーアナイトメアはローによって討伐された。まだノクスが確固たる個を持っていない時にその心臓を握りつぶされた。

 眼前に広がるのは赤い血。恐ろしい狼の腕。そして黄昏の空。意識が遠のいていって膝をつく。

「なんで、殺すの?」

 掠れて後ろにいる人物にしか聞こえない声を出した。最期の言葉は、簡単に綴られた。

「お前が人間じゃないからだ」

 軍服に夥しい勲章を携えた少年は、怪物を貫いていた腕を引き戻す。

「死を求めていたくせに、死ぬ時はそれを拒むのか」

 言い返せなかった。少年の言葉は正確で、自分は死にたがりの怪物。自分はもはや人間ですらない。

 瞼を閉じた。


 六月二日の正午。二度目のフィーアナイトメアが誕生した。

 そして、また、臓物が飛び散った。上半身が黄昏の空に照らされ、中身がドロドロと白色の地面に流れていく。

「なんで二回目のフィーアが起こってるんだ」

 少年は倒れ伏した怪物を覗き込んで言葉を紡いだ。

「どうして、また、殺したの?」

 残った臓物のみでなんとか声を出した。

「記憶を引き継いでいる? まぁいい。答えは変わらない。お前が怪物で人間ではないからだ」

「もう、死にたくない」

 瞼が閉じられた。


 六月三日の正午。三度目のフィーアナイトメアが誕生する。

 今度は不意打ちを避けることに成功する。だけど、達磨にされた。狼が四肢を食い破ったのだ。

「なぜ殺しきれない? どうあれもう見飽きたな、ナイトメア。どうしたらちゃんと死んでくれるんだ?」

「どうしてこんなに人間に近いのに、どうして殺すの?」

 少年は答えを示す。

「人間とは魂のある生物だ。お前には魂が存在しない。人間を名乗りたいのなら、魂でももってこい。怪物」

 僕は血溜まりになった。

 瞼は存在しなかった。


  ――僕だけなんで意識があるの? なんで僕? それと……なの?

 カプセル内の心象世界でノクスは目が覚める。

 ――誰であれ、僕たちは全員が生きていていいはずがないんだ。最低な無能。死んだほうがマシ。生きていい理由がない。

 ノクスのは、色々な花が咲き誇り、中心に天球が存在するだけの空間だ。その中で自虐する。

 ――だって、自殺を選んだんだから。楽になりたいからだけで殺されに行った。生きることを諦めた。

 破裂しそうなほど五月蝿くなる心臓が激痛をもたらす。

 ――だから、救われていいはずがない。頑張って生きているスイに申し訳ない。三度も殺されるのも納得だ。

 

 ――でもなんでその中の『僕』だけが、また、生き返ったの?


 ノクスの意識通り、ノクスたちの中でノクスだけが意識を持っていた。その他のみんなは感じなくなった。ローに殺される前から来る違和感である。

 ――僕は、生きていていいわけがない。才能なんてなかった。でも、生きていたかった。幸せって言ってみたかった。でもそれはこの世では不可能なんだって、わかってる。だって何もできない、木偶の坊。

 ――でも、スイのために元気を演じないと。スイには必要なものだから。

 

「君たちは実に怠惰だね」

 

 ノクスの心象世界なのに、青年の生真面目な声がした。「僕たち」の中にはいない誰か、そして這い寄られているかの好奇心を纏っている現象とも呼べる。

 しかし、ノクスの心象世界なのだ。故にノクス以外の人影はないはずである。

「怠惰だった君たちの人生は『幸せ』だったかい?」

 声は続く。哲学的な質問をしている何者かは、ノクスに決定打を放った。それは鬱屈な感情と共に暮らしていたノクスたちに響き渡る言葉である。

「そんなわけない。僕たちはみんな……」

 ノクスたちは、絶望に打ちひしがれ、希望を見出せず、諦観してしまった。故に悪夢を見た。悪夢に犯された。悪夢と成った。

「でもね。ボクは全人類は救われる権利があるはずだと思っている。義務と言ってもいい。故に、君もそうなるはずだ。じゃあね。ノクス。君は主の証明者になる」

「どういうこと?」

 ノクスは脳味噌が揺らされて酔うような感覚に襲われる。何が起こったか分からない。記憶はないが、感情だけが、色欲と憤怒と暴食という大罪どもがノクスから溢れ出す。

「何をした⁉︎」

 心象世界でノクスは叫ぶ。憤怒の籠ったその声は辺の花を舞い散らせた。

「ボクは何も。何の変哲もない、ただの使徒だ。言ってしまえば、観測者に過ぎない。そんなことより君はしなければいけないことがあるだろう?」

「スイを、助けなきゃ。スイは何度も不幸になっていた……? そう言うことなの? 使徒さん⁉︎」

 確信は無い。記憶も無い。証拠すら存在しない。それでも、スイが不幸になる。それが高確率でなることの啓示を受けた感覚にノクスは浸されていた。

「そうさ、ノクス。この記憶を持ったスイは君が救うしかない。……まぁ世界は可能な限り重縮するからね、そろそろ君の煉獄も終わるかな?」

 ただの使徒は言葉を告げた。心象世界は光に包まれて覚醒の時を待つ。

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