第4話 幸せとは。

 ローが手配したドローンの内部は、スイの思った以上に殺風景だった。

 というのもロー専用のドローンは座るところさえなく、内部はただの直方体に窓がついただけである。

 ノクスと手を繋いで入った時に、スイは違和感を抱いていた。

 ――あれ? 大きくなった?

 一番最初に見た時よりもノクスを大きく感じたのだ。ルインダーとの戦闘は相手の大きさが直接戦闘力に関わるため、スイの疑問はただの見間違いで解消できるものではない。

 だからと言って、「大きくなった?」などと馬鹿正直に聞くこともできなかった。

「ノクスって何歳なの?」

 ということでスイは年齢から情報を聞き出すことにした。

「僕は……何歳なのかな?」

 回答はスイに投げられるように終わる。ノクスは目を逸らし、少し俯いていた。

 親の記憶も無いとなると相当なショックで記憶喪失になったと考える他ない。

 なら視覚から、とスイはまじまじとノクスのことを見る。そうしたら七歳くらいから10歳程度に成長にしている様に見えた。

 ナイトメアという現象が具現化している意味不明な状況なのだ。スイは思考を停止させて貰ったチョーカーをノクスに付ける。

 それに反応し、ノクスの外套の具現化が解かれて軍服が体の周りに生成された。

 ぶわり、とノクスの隠れていた長い金髪が跳ねて、緑色の眼がじっとスイを見る。

 手入れなんて概念がなかってあろう金髪は絡まり合って酷い状態であり、肌は病的に白い。

 スイが顔をしっかりと見るのは初めてだが、とても中性的と評したものか。可愛くも格好よくも美しくもある。有体に言えば、非常に整っている。

 スイはダイヤモンドの原石だと思った。何一つ美について施されていないからこそ、施せば宝石のように光り輝く素質を持っていると確信する。

「スイ、僕は何をすればいいの?」

 まじまじと見るスイを見てノクスは何をするべきかわからなかった。まなこはスイ以外を見つめていない。

 スイは自分自身に興味がないのだと邪推してしまう。ノクスのそんな姿を見てスイは少し考える。そして、自分がないのかと勘ぐった。

「ノクスはやりたい事とかなりたい自分とか見てみたい未来とかないの?」

「……そんなの、分からない、よ」

 酷く俯くノクスに対して、スイは人差し指をピンと立てる。

「検査が終わったら、ノクスの自分探しの旅に出かけましょう」

「自分探しの旅? ここにいるのに?」

 ノクスは意味ないと言いたげな眼を向けた。

 難しい質問をするものだ、とスイは思う。根本はそういう事ではない。

「希望を探す旅、とも言えるわね」

 とスイは答えた。それは人間の本質である。

「僕は、スイがいればそれでいいよ?」

 またも難しい質問が返ってきた。今だけならそれでいい。しかしながら、スイとて永遠に一緒にいる保証はない。自分を他人のみから探す行為は根本的に不可能なのだ。

「その答えは駄目ね。もし私がいなくなったら、どうするのかしら?」

「僕も死、ムグッ」

 言うだろうという答えがすぐにでも出てきたため、スイはノクスの口を塞ぐ。

「それだけはいけないわ。約束よ。絶対に。理由は沢山あるけれども、一番大きいのは人間は幸せになれる権利があるの。義務と言ってもいいわね。だからね、ノクス、幸せを探すのよ」

 口を塞いでいた手を頭に乗せて、そのままノクスの髪の毛並みを整えてゆく。

 しかしながら、ノクスの眼は明らかに曇っている。

「幸せ?」

 眼のハイライトがなくなるほど、ノクスはその言葉を嫌っているようだった。

「そう。『幸せ』よ。言語化は難しいけれども、あえて言うなら漠然とした楽しい・嬉しい・気持ちいい時間や空間、事柄のことね」

 悩みながらもノクスは答える。ノクス視点は、その後「幸せ」とやらを得られた様な感覚にあった。スイと会えたことで何処か満たされた感覚が今もなお続いている。

「それは、難しそうだけど、頑張ってみるよ。でもね、スイ。今多分僕は、十分幸せだよ?」

 ノクスは欲求の種類も質も少ない。しかしながら、それは見てきた世界が小さいからに過ぎないとスイは思っている。

 スイの知っているノクスは、スプライサーとしての遊びと先ほどから一緒にいるだけだ。世界は広大である。ノクスを満たす何かがどこかにあるはずなのだ。

「そうかもしれないわね。でもね、ノクス。結局幸せって相対的なものなの。今の幸せも明日だと違うかもしれない。より幸せなものを探していきましょうね」

「スイとならね!」

 ノクスの少しズレた発言にスイは少し頭を抱えるが、ノクスは見た目的に知能も10歳程度なのだ。

 未来故に少し成長速度が早いとはいえ、難しい言葉や概念自体をなんとなくでも頭の中に構築できている時点でノクスは十二分に頑張っているだろう。

 難しい話をして疲れたのか、ノクスはスイに寄りかかる。そして、クゥーと可愛らしいお腹の音がした。

 ホムンクルスの暦が長いスイは忘れがちであったが、人間とは食べる生き物だ。

『オリジナルの食欲反応を検知。食材の給付の要請を発令します』

 ノクスのチョーカーから機械音声が再生すると、ドローンの壁に穴が空いてトレーと人工食料が出てくる。

 ソーセージに卵焼き、サラダに味噌汁、最後にトーストがあった。全て人工ではあるのだが、味や食感はほぼ再現されており、栄養に関してはその上である。

 肉とパンの焼けた香ばしい匂いに二人のお腹がなり、スイは顔を赤くして、ノクスは目を輝かせて椎茸目になる。

「食べてもいいの?」

 時間効率的にゼリー状のものが支給されることが多い。しかしながら、久しぶりの食事を楽しんでほしいというローの親切心か、人間の本能を呼び起こす食材が提供された。

「いいわよ」(多分だけれど)

 ローを冷徹な男と認識していたスイからすると彼なりの粋な計らいに素直に驚いた。孤高故に不親切と決めつけていた自分を少し蔑む。

 ノクスは教わることもなく、備え付けられたフォークやナイフ、なんなら箸までも使って美味しそうに食事を堪能していた。

 ――育ちはいいのかしら。でも記憶はないのよね。

「美味しかった!」

 元気な号令が発令される。満足げな愛しいノクスの顔にケチャップの跡が残っていた。

 スイは軍服の端を破ってノクスの口を拭く。軍服はチョーカーから生成されるため、すぐに補修される。

 ノクスは不思議そうな顔のまま口を拭かれ、離れた際に何が起こったか理解した。

「ありがと」

 スイは「なんて母親らしい行動だ」と自分を称賛しながら、裏では一番重要かつ辛いとされる「出産から育児まで」を行なっていない自分を自嘲する。しかしながら、嬉しくはあった。複雑すぎる感情だと面白くもある。

「幸せ?かも?」

 ノクスはスイと遊んでいた時と同じような感情に浸っていた。

「どう? 私といるより幸せだったかしら?」

「スイと一緒に食べたから幸せだった、かな?」

 ――どっかのSS地区の天才も『対照実験じゃないと意味ない』とか言ってたっけ?

 対照実験というのは調べたい事象以外の条件を同じにするもの。

 今回で言うとスイがいる地点でノクスが幸せな可能性が高い。食欲に従った結果かどうかは検証されていない。

「よかったわ。あ、着いたわね」

 話の流れを読んでか、ドローンが目的地につく。ドアが開いて、SS地区の中央研究所、その巨大な白色の門のみが目に映る。

「食べるだけで少しの幸せ?に出会えるんだったら、これからは楽しい時間になりそうだね」

 落ち着いていても高ぶる胸の高鳴りを隠せないノクスの笑顔が輝いて見える。

 スイはノクスのことを酷く羨望した。

 ――この子は幸せになれるように頑張れるのね。

 スイは幾何学模様に彩られた門にチョーカーのクリアランスを掲げた。

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