第3話 四番目の悪夢:フィーアナイトメア
『スイ少佐の位置情報ロスト……保護部隊の結成……不可』
「ああ、そうか」
作戦総司令部、マルクトの軍事機関の中枢。
そこでフィリポーン元帥は頭を抱えていた。ローからスイへと作戦命令が出していることは知っていたが、故にこそローがフィーアナイトメアを予見していなかったことに疑問を持っていた。
「あるいはわざと、か」
ローの獣の第六感は異常だ。恐らくこのナイトメアを予見できている。それでいて配属している可能性が高い。
「果たして、『スイしかできないこと』か、『スイのためのこと』か」
ローも一応ちゃんと13歳である。紛れもなく人間であり、人の心を持っている。加えて他人の限界を見極めることにも長けている。故に、前者である可能性を
「後者であることを祈っておるぞ。ロー」
元帥はそう願うことしかできなかった。
歩き彷徨う中で、スイは異常を感じていた。
子供たちの人影が現れたと思えば、楽しそうに
――これがさっきの奴の心象世界ってわけ? 多重人格者……それにしては、人格が多すぎるわね。
靄の中で現れた人影は数百万に及び、かつ同じ人はいなかった。全て子供であり、男女も混じっている。あまりにも多様性に富んでいて、規則性がない。スイの疑問は絶えることがなかった。
スイが歩いた感じだと半径的にマルクト北側のスラムと呼ばれる六割は靄に覆われていた。境界面らしき場所もあったが、なぜか立ち去るのに居た堪れなくなってしまい、現在スイは中心部へと戻っている。
「どうしたものかしら」
思考を回すが答えは出ない。しかしながら、スイが諦めかけた時に変化は起こった。
「お姉ちゃんは遊ばないの?」
幼い声が反響する。ただひたすらに無邪気な子供な声だ。
それは確実に一人であり、今までの影とは違う存在感があった。
――悪意が無い……?
スイはリアニマの都合上、感情に対して過敏に反応できる。相手がどんな心持ちかある程度分かる彼女にとって、純真無垢な遊びの誘い不可解に思う。何しろナイトメアの最中なのだ。答えも自ずと出てくる。
――あれがナイトメアの核……なのね。
「じゃあ、鬼ごっこ。僕が鬼をやるから、お姉ちゃん逃げてね!」
いーち、にーい、さーん、とソレは無邪気に数える。
ソレがナイトメアの核とサナは直感した。どんなに悪意がなかろうとソレは確実にナイトメアの核となるものだ。
スイは何をすれば正解なのかと考えていると、また眼に亡き妹の姿が映る。楽しそうに顔を隠して10を唱えようとする姿が見えてしまった。相手の存在は何かわからない。しかしながら、構ってあげる義務がある。そう感じた。
「じゅーう!」
その号令を機に白い外套を
スイは走りながら後ろを確認する。緑眼が横や後ろに現れては消える。相手は自分より速い、そう確信したサナは立ち止まって回避行動に徹した。
瞬間、スイの後ろに緑色の光が揺らめく。振り向くと同時にソレが飛びかかってくる。
スイは錐揉み回転をしながら横に回避した。
「お姉ちゃん、やるね!」
幼稚で元気な言霊が放たれた。そして、猛攻が始まる。風を切る音の後に着地の衝突音が響き、また風を切る。緑色の光がスイの周りを駆け回る。気配を感じて後ろを振り向けば、その光はまたどこかへと消えゆく。飛びついてくるソレを直前で避ける。これが繰り返されては、ソレの飛びつく精度が上がっていく。
――やってんのはどっちなのかしら!
相手は子供だ。物心がついて、何か夢を抱いて、感情というものを理解してきて、やっと『リアニマ』が起こせるようになる七歳程度。故に互いに遊びとはいえ13歳であるスイと同レベルなのは、仮にナイトメアとはいえ強すぎる。年齢に二倍近い差がある。特に未成年の七年は非常に大きい。
しかしながらスイは少し楽しいと思っていた。命の駆け引きが欠片も無い戦いという名の、体をめいいっぱい使う遊び。久しくやっていなかったことだ。
そんな過去回想をしてしまったがために、油断が生まれる。
「つーかまーえた!」
スイの胸に呼び込む形でソレに抱きつかれた。「殺された」よりも「負けちゃって悔しい」と思えていたのは軍から離れていたおかげか、と思うことにしていた。
それはそれとして、高速で飛び込まれたのだ。地面に押し倒される。
そこはリアニマの達人として、逆方向の風を生み出してスイはソレを包み込むようにゆっくりと地面に倒れる。
天から靄が晴れていく。ただ遊びたかったソレからすれば、心象世界を晒す理由がなくなった。
スイはソレを自分の胸よりも小さいながら感じる胸の膨らみから暫定少女とした。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
スイは正直、なんて話しかければいいかわからなかった。
そもナイトメアとは現象である。今回の「ソレ」のように現象そのものが具現化していることがおかしい。
「楽しかった!」
児童の甲高い声よりも少し落ち着いた中性的であるが、それと同時にとても元気な返答が来た。勢いよく鼓動する心臓と天真爛漫な笑顔、そして倒れた後も離れることを拒絶する感情が伝わる。スイはどうしようもなく愛しいと思ってしまった。
元ではあるが姉という属性がそうさせているのか、この人型の生物をナイトメアの核とは思いたくなかった。
だって、討伐しなければならない。悪夢なのだ。悪意は感じられなかったが、少なくともスラムの子供たちの失踪に関わっているだろう。討伐しなければいけない義務がある。
スイはそんな葛藤の中だったため、とりあえず情報収集をすることにした。
「お名前、言えるかな?」
「名前は……なかった? と思う、よ?」
スイはその言葉を聞いて、災害孤児が少し駄々をこねた結果だと思うことにした。名前を知らないと言うことは親すら記憶にないと言うことだろう。最悪は記憶障害が起きているか。それには目を瞑った。
「お姉さんがつけて……欲しいな」
胸に埋めて甘える子に否定なんかできうるはずもない。
「そうね……安直だけど、ノクスっていうのはどう?」
ノックスという毒ガスの性質や光を消す伝承、二つの意味を持つ言葉を圧縮した形だ。
「ノクス! ありがとうお姉ちゃん! ……それでお姉ちゃんのお名前は?」
気に入ってくれて何よりだった。スイは名付けの親の気持ちになって愉悦に浸る。
「スイ、って言う名前よ。よろしくね、ノクス」
ちょうど良くスイは軍部の教育係である。この子の教育係にもなるだろう。その事実に気持ちが昂っていた。
地獄の中で戦ってきて、まさか自分が名付けとはいえ親になれるのだと思えていなかった。それほどにルインダーとの戦いは張り詰めたものであった。仲間はそのほぼ全てがいなくなり、同年齢は両手に数えられるほど。加えて、サナは褒められないような前線の離脱の仕方をしていた。それ故に、罪悪感が強かった。達成感を得られたのは前線離脱後になるなんて思いもしていなかった。
「スイ、遊んでくれてありがと。ノクス、嬉しい」
サナは目を細める。元気に成長しておくれ、なんて母親面を先走っていた。
そんな二人に、二つの物体が向かって近づいてくる。一つは漆黒のドローンに乗車している老人。もう一人は前線から飛翔してくる化け物。
フィリポーン元帥はゆっくりと降下する。しかしながら、ロー少佐の隕石のような衝突音がその意味をかき消していた。
元帥を見ながら、ローの衝突を目にしてしまったものだから、スイは思わず叫声を上げる。
「面と向かっては久しぶりだな。スイ。元気そうで何よりだ」
ロー少佐。少年にしては長い銀髪を持ち、狼のリアニマの由来か、その髪は無造作に乱れ散らかしている。そしてリアニマの証として、眼は青く輝いており、その光は明らかにスイよりも眩い。
何よりも異常なのが軍服につけられた勲章の数だ。称号はスイと同じ少佐。そこは変わらないはずなのに、軍服の上部には収まらずにマントまで勲章で埋め尽くされている。
それもそのはず。ローの少佐という称号は詐欺に近い。ただ単に前線に出ることのできる最高の階級が少佐のために、ローは少佐と呼ばれているに過ぎない。大将くらいが妥当だろう。そのため、スイも同い年で同じ階級とはいえ敬語を使おうとしてしまう。
「どどど、どうしたの、ですか」
スイも意識して敬語を使っているわけではない。ローの度重なる圧倒的な活躍を前に、無意識下で敬うべきという気持ちに取り憑かれている。そのため、このように敬語はその時々でつけたり、つけなかったりする。
「驚かしたのは悪かったけど、そんなに仰々しくなるほどか? どうあれ幼馴染のようなもの。敬語はいらないぞ」
軍の世界は上に上がれば上がるほど狭くなる。子供しかリアニマできない都合に加え、長く居ればそれだけ戦意を喪失しやすい状況のため、優秀だったこの二人はお互いを意識することが多かった。
「何よりどういう状況なのか聞いても良いか?」
元帥は最もな疑問を抱いていた。フィーアナイトメアが終わったと思えば、超記憶症候群の元帥すら知らない子供がスイに覆い被さっている。明らかにおかしい状況なのに、ローが普通に話している。ともすれば「ここまでが第六感でわかっていたことなのか」とローに聞きたくもあった。
スイは素早くノクスを抱え上げて、畏って言葉を紡ぐ。
「フィーアナイトメアは私が撃破。その中で見つけた要救助者一名確保、という状況であります」
元帥はローに目配せするが、それに対してローに笑顔で返される。元帥は「スイのためのこと」と理解するしかなかった。
「了解した。とりあえず、その子は検査のちマルクト都市民にする」
「僕はノクス。おじさんとお兄さんはだれ?」
「その子」に反応したのか、ノクスは口を開く。ノクスのあまりにも不躾な態度に冷や汗がダラダラと出るサナだったが、現在の上層部は人が良い。その程度のことで目くじらを立てることはしない。
「俺は、ロー。奥にいる優しそうな人が、フィリポーン『元帥』。元帥、と呼ぶといいよ。ノクス」
ローのあまりにも優しい対応に元帥は驚いた。今浮かべられた不敵な笑みは不可解だが、基本的にローは人を性能でしか見ていないと思われている。人の才能が見えてしまうローにとってしょうがないことではあるが、冷徹に徹した存在と見られがちだ。
「スイ、俺は置いといて元帥くらいには敬語を使えるようにしといてくれ。あとこれ専用のチョーカーだ」
ローはスイにチョーカーを渡して、元帥の耳元まで歩いてゆく。
その後何かを伝えられた元帥はため息ながらにスイに命令を出す。
「六月四日、今日を以って特殊研究区域SSにてノクスの身体検査を徹底的に行う。ドローンとルートはローが出してある。つまり、だ。スイ少佐、今からノクスの専任の教育係に任命する」
元帥は「これで満足か?」とローに囁き、ローも「これで二人のためになります」と小声で返す。
漆黒のドローンにて検査場に送られるスイとノクスを見送る二人だけの空間で、元帥は最もな疑問をローにぶつける。
「ノクスという子供、結局あの子はどんな存在なのか教えてはくれぬのか?」
靄が晴れて子供たちのいなくなったスラムの中に、中心の高層マンション群から差す黄昏の日差しがローに逆光を向ける。
「あれは子供たちの願望、欲望、そして切実な感情。何より、我々へのもう一度の機会。そして、自分に対抗できる存在です」
「お主はたまによくわからぬことを言うのぉ。はぁ、まぁ良い。素晴らしい才能の持ち主ということか」
「努力の賜物ですよ。結果的には才能持ちに見間違えられるかもしれませんけどね」
ローの狂気に染められた白い瞳孔が元帥を見る。それを元帥が嗜めた。
遠くから見れば親子の様に見える。それもそうなのかもしれない。何よりマルクトの上層部はこの二人きりだ。
前任はある責任を取らされて、11人が魂の鍵状態で永久凍結されている。この世界での擬似的な死だ。現在の上層部の唯一の闇とも言える。
故に、その他の業務はほぼ全てがAIになる。AIにできないことだけを二人が成しているという方が正しいか。
それでも人の成せる業務量では決してない。あり得てはいけないはずなのだ。超記憶症候群という才覚と、無限かと思わせるほどの湧き上がる感情の化身のみがその任に務められる。
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