第3話 フィーアナイトメア
歩き彷徨う中で、スイは異常を感じていた。
子供たちの人影が現れたと思えば、楽しそうに戯れながら霧の奥へと消える。風を出して存在を確認するも、人影は元からなかったかのように自然に霧散してしまっていた。
それは超常現象を起こすことができるスプライサーのスイですら不可思議な空間だった。
――これがさっきの子供の心象世界の具現化ってわけ? 多重人格者……それにしては、人格が多すぎるわね。
霧の中で現れた人影は数百万を超え、かつ同じ人はいなかった。全て子供であり、男女も混じっている。あまりにも多様性に富んでいて、規則性がない。スイの疑問は絶えることがなかった。
思考を回すが答えは出ない。しかしながら、スイが諦めかけた時に変化は起こった。
「お姉ちゃんは遊ばないの?」
幼い声が反響する。それは確実に一人であり、今までの影とは違う存在感があった。
――悪意が無い……?
純真無垢な遊びの誘いを、このナイトメア下で行えることに疑問を呈さずにはいられなかった。
「じゃあ、鬼ごっこ。僕が鬼をやるから、お姉ちゃん逃げてね!」
いーち、にーい、さーん、とその子は無邪気に数える。
――あれがナイトメアの核……なのね。
どんなに悪意がなかろうとも、あの子は確実にナイトメアの核となるものだ。
スイは何をすれば正解なのかと考えていると、また眼に亡き妹の姿があの子として映る。楽しそうに顔を隠して10を唱えようとする姿が見えてしまった。
スイには相手の存在は何かわからない。しかしながら、構ってあげる義務がある。そう感じた。
「じゅーう!」
その号令を機に白い外套を纏った子が姿を表す。白い霧の中で緑色に光る眼が軌跡を教えてくれる。
それでも霧は濃いため、見てから始まる反射速度の戦いだ。物量で相手を倒す中距離型のスイとは相性が悪い。
スイは走りながら後ろを確認する。緑眼が横や後ろに現れては消える。
――速い! 逃走は無意味かしら?
スイは立ち止まって回避行動に徹した。
瞬間、スイの後ろに緑色の光が揺らめく。振り向くと同時に飛びかかってくる。
スイは錐揉み回転をしながら横に回避した。
――ギリッギリ!
「お姉ちゃん、やるね!」
幼稚で元気な言霊が放たれた。
そして、猛攻が始まる。風を切る音の後に着地の衝突音が響き、また風を切る。緑色の光がスイの周りを駆け回っていた。
気配を感じて後ろを振り向けば、その光はまたどこかへと消えゆく。
不意に飛びついてくる子供を直前で避ける。これが繰り返されては、飛びつく精度が上がっていく。
――やってんのはどっちなのかしら!
相手は物心がついて、何か夢を抱いて、感情というものを理解してきて、やっと『リアニマ』が起こせるようになる七歳程度。
故に互いに遊びとはいえ13歳であるスイと同レベルなのは、仮にナイトメアとはいえ強すぎる。年齢に二倍近い差があるのだ。特に未成年の七年は非常に大きい。なんのせ14で成年である。
しかしながらスイは少し楽しいと思っていた。命の駆け引きが欠片も無い戦いという名の、体をめいいっぱい使う遊び。久しくやっていなかったことだ。
――こんな感覚、久しぶり、ね。
そんな過去回想をしてしまったがために、油断が生まれる。
「つーかまーえた!」
スイの胸に呼び込む形でソレに抱きつかれた。「殺された」よりも「負けちゃって悔しい」と思えていたのは軍から離れていたおかげか、と思うことにしていた。
それはそれとして、高速で飛び込まれたのだ。スイは地面に押し倒される。そこはスプライサーの達人として、逆方向の風を生み出してスイはその子を包み込むようにゆっくりと地面に倒れる。それと同時に霧が晴れていった。
スイはその子を自分の胸よりも小さいながら感じる胸の膨らみから暫定少女とした。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
スイは正直、なんて話しかければいいかわからなかった。そもナイトメアとは現象である。今回の子供のように現象そのものが具現化していることがおかしい。
「楽しかった!」
だが、児童の甲高い声よりも少し落ち着いた中性的であるが、それと同時にとても元気な返答が来た。勢いよく鼓動する心臓と天真爛漫な笑顔、そして倒れた後も離れることを拒絶する感情が伝わる。
スイはどうしようもなく愛しいと思ってしまった。元ではあるが姉という属性がそうさせているのか、この人型の生物をナイトメアの核とは思いたくなかった。
だって、討伐しなければならない。ローからの指示だ。その命令は非常に重い。
――でも。
スイはそんな葛藤の中だったため、とりあえず情報収集をすることにした。
「お名前、言えるかな?」
「名前は……なかった?と思う、よ?」
スイはその言葉を聞いて、災害孤児が少し駄々をこねた結果だと思うことにした。名前を知らないということは親すら記憶にないと言うことだろう。最悪は記憶障害が起きているか。それには目を瞑った。
「お姉ちゃんがつけて……欲しいな」
胸に埋めて甘える子に否定なんかできうるはずもない。
「そうね……安直だけど、ノクスっていうのはどう?」
ノックスという毒ガスの性質や光を消す伝承、二つの意味を持つ言葉を圧縮した形だ。
「ノクス! ありがとうお姉ちゃん! ……それでお姉ちゃんのお名前は?」
気に入ってくれて何よりだった。スイは名付けの親の気持ちになって愉悦に浸る。
「スイ、って言う名前よ。よろしくね、ノクス」
ちょうど良くスイは軍部の教育係である。この子の教育係にもなるだろう。その事実に気持ちが昂っていた。地獄の中で戦ってきて、まさか自分が名付けとはいえ親になれるのだと思ってもみなかった。
それほどに今までのルインダーとの戦争は張り詰めたものであった。仲間はそのほぼ全てがいなくなり、同年齢は両手に数えられるほど。
加えて、スイは褒められないような前線の離脱の仕方をしていた。それ故に、罪悪感が強い。達成感を得られたのが、まさか前線離脱後になるなんて思いもしていなかった。
「スイ、遊んでくれてありがと」
スイは目を細める。元気に成長しておくれ、なんて母親面を先走っていた。
そこに軍上層部が到来する。
人影は二つ。大きな影に、二回り暗い小さい影。一人は先ほどフィーアナイトメアに悩んでいたセイジ元帥だ。そしてもう一つの中くらいの影の方が先に口を開く。
「面と向かっては久しぶりだな。スイ」
それは、ロー少佐。少年にしては長い銀髪を持ち、狼のリアニマの由来か、その髪は無造作に乱れ散らかし、狼耳も付いている。そしてスプライサーの証として、眼は青く輝いており、その光は明らかにスイよりも眩い。
何よりも異常なのが軍服につけられた勲章の数だ。称号はスイと同じ少佐。そこは変わらないはずなのに、軍服の上部には収まらずにマントまで勲章で埋め尽くされている。
それもそのはず。ローの少佐という称号は詐欺に近い。ただ単に前線に出ることのできる最高の階級が少佐のために、ローは少佐と呼ばれているに過ぎない。大将くらいが妥当だろう。これは周知の事実であり、眼前にある結果であるため、スイも同い年で同じ階級とはいえ敬語を使おうとしてしまう。
「どどど、どうしたの、ですか」
「驚かしたのは悪かったけど、そんなに仰々しくなるほどか? どうあれ幼馴染のようなもの。敬語はいらないぞ」
軍の世界は上に上がれば上がるほど狭くなる。子供しかリアニマできない都合に加え、長く居ればそれだけ戦意を喪失しやすい状況だ。優秀だったこの二人は顔を合わせるタイミングが多かったのは自然と言えよう。
「何よりどういう状況なのか聞いても良いか?」
元帥は最もな疑問を抱いていた。フィーアナイトメアが終わったと思えば、超記憶症候群の元帥すら知らない子供がスイに覆い被さっている。明らかにおかしい状況なのに、ローが普通に話しているのだ。ともすれば「ここまでが第六感でわかっていたことなのか」とローに聞きたくもある状況が繰り広げられていた。
スイは素早くノクスを抱え上げて、畏って言葉を紡ぐ。
「フィーアナイトメアは私が撃破。その中で見つけた要救助者一名確保、という状況であります」
元帥はローに目配せするが、それに対して笑顔で返される。元帥は「スイのためのこと」と理解するしかなかった。
「了解した。とりあえず、その子は検査のちマルクト都市民にする」
「僕はノクス。おじさんと君はだれ?」
「その子」に反応したのか、ノクスは口を開く。
ノクスのあまりにも不躾な態度に冷や汗がダラダラと出るスイだったが、現在の上層部は人が良い。その程度のことで目くじらを立てることはしない。
「俺は、ロー。奥にいる優しそうな人が、セイジ『元帥』。元帥、と呼ぶといいよ。ノクス」
ローのあまりにも優しい対応に元帥は驚いた。先刻に浮かべられた不敵な笑みは不可解だが、基本的にローは人を性能でしか見ていないと思われている。人の才能が見えてしまうローにとってしょうがないことではある。それため冷徹な存在と見られがちだ。
「スイ、俺は置いといて元帥くらいには敬語を使えるようにしといてくれ。あとこれ専用のチョーカーだ」
ローはスイにチョーカーを渡して、元帥の耳元まで歩いてゆく。
その後何かを伝えられた元帥はため息ながらにスイに命令を出す。
「六月四日、今日を以って特殊研究区域SSにてノクスの身体検査を徹底的に行う。ドローンとルートはローが出してある。つまり、だ。スイ少佐、今からノクスの専任の教育係に任命する」
元帥は「これで満足か?」とローに囁き、ローも「はい。二人のためになります」と小声で返す。「いつも驚かされるよ。全く」と元帥の苦笑。
検査場に送られるスイとノクスを見送る二人だけの空間が残った。その中で元帥は最もな疑問をローにぶつける。
「ノクスという子供、結局あの子はどんな存在なのか教えてはくれぬのか?」
靄が晴れた北部のエリアで、黄昏の日差しがローに逆光を向ける。
「あれは子供たちの願望、欲望、そして切実な感情。何より、我々へのもう一度の機会。そして、私に対抗できる存在です」
「お主はたまによくわからぬことを言う。はぁ、まぁ良い。素晴らしい才能の持ち主ということか?」
「努力の賜物ですよ。結果的には才能持ちに見間違えられるかもしれませんけどね」
ローの狂気に染められた白い瞳孔が元帥を見る。それを元帥が嗜めた。
遠くから見れば親子の様に見える。それもそうなのかもしれない。何よりマルクトの上層部はこの二人きりだ。前任はある責任を取らされて、その全て――11人が魂の鍵状態で永久凍結されている。
肉体の死が無いこの世界での擬似的な死だ。現在の上層部の唯一の闇とも言える。故に、その他の業務はほぼ全てがAIになる。AIにできないことだけを二人が成しているという方が正しいか。
それでも人の成せる業務量では決してない。あり得てはいけないはずなのだ。超記憶症候群という才覚と無限かと思わせるほどの湧き上がる感情の化身のみがその任に務められる。
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