第11話 オスカーという一人の人間を

(オスカー様は悪いようにはなさらないはず)


 そう信じたエメリアは今度こそ手を止めて、思いきって口を開く。


「お察しのとおりです……今朝、この書類の山を渡されました。今日はマイズナーさんがお休みだからといって」

「やっぱり、そうだよな? 以前からもそうだったんだろう?」

「……はい」


 消え入るような声で認めた。


「どうしてマイズナーに相談しなかった? 彼ならちゃんと気を配ったと思うが」

「マイズナーさんに相談しなかったのは……、彼女たちとその事で揉めたくなかったからです。直接的な危害はありませんし、我慢できると考えていました」


 仕事を押しつけられたり、嫌味を言われたり、無視されたり――それも十分な嫌がらせだとは思うが、直接的な手出しを出されたことはさすがになかった。エメリアが黙って我慢さえしていれば、やり過ごせると思っていた。

 

「揉めたくなかった……?」


 ふうっとエメリアは息をつく。

 ここからは、今まで誰にも話したことがない。


「はい。私、王都セントラル騎士団に入団した時に、こう言われたんです。『すごいな、平民出身の女性で文官になったのは初めてだよ』って」


 それも一人ではない。

 経理部のリカ―や、経理部を統括しているノーランやパーシーはもちろん、知らない騎士や文官たちもエメリアが平民出身であることを何故か知っていて、異口同音に言われ続けた。


「称えてくださっているというのは、分かっています……でも、その時ふと思ったんです」


 エメリアは、ぎゅっと口元を引き締めた。


「私と《平民の女性》はセットになっていると。だから私が何かしでかしたら、それは《平民の女性》の評価になるんだ……って。もし私が……例えば、辞めた後に……、他の平民の女性が文官になりたいと試験を受けたとして……『エメリアが良くなかったら採用は辞めよう』と言われるのではないか、と――私はそれが怖かった」

「エメリア……」


 自分の所業で、将来見ず知らずの誰かの道を変えてしまうかもしれないことが、怖かった。

 顔を上げて、エメリアはオスカーを見た。


「でも、そう思って頑張ってこれたのも、私は……」

「私は?」

「私は、この仕事が好きなんです。憧れの騎士団で、こうして好きな仕事に励んでいられるのが、幸せだったから」


 好き。

 そう言葉にすると、すとんと自然に胸のうちに入ってくる。


(ああ、私……ここでの仕事が好き、なんだなぁ……もうすぐ、辞めなきゃいけないけれど……)


 気づかないふりをしていたけれど、父親によって決められた期限が、エメリアには辛かった。

 じわっと瞳が潤む。

 仕事が好きだからこそ、セオドラとナディナに冷遇されようが、残業させられようが耐えられたのだ。


「なるほど」


 そこでオスカーが呟き、エメリアは目尻に溜まった涙を瞬きで押しやった。


「平民と貴族に隔たりがあって、残念ながら我が騎士団でも差別があることは否定しない――貴族側の特権階級意識の問題だと俺は思っているが」 


 淡々としたオスカーの言葉に、エメリアは意識を向ける。


「そうして差別されている――と、感じている《平民の女性》ながら試験に突破して、こうして入団した後も立派に働き続けている。それも並大抵の覚悟ではなく、高い意識を持って――君を尊敬する」

「オスカー、さま……そんな、もったいない言葉を……。私はただ、融通がきかないだけで……」

「融通がきかない? 俺はそうは思わない」


 オスカーは真剣な表情で、銀色の瞳には熱がこもっている。


「身分なんてなくなったら、君の本質を見てもらえるだろうな――そうしたらエメリアは楽に生きられるだろう、もっと自由に」


 彼が近寄ってきて、そっとエメリアの手を取った。大きな温かい手に包まれ、逃げたいなんてちっとも思わなかった。その熱が、彼女には心強く感じられるから。


「平民とか貴族とか関係なく、エメリアに惹かれた。だから君にもオスカーという一人の人間を見てもらいたい」

「……オスカー、という、一人の人間を……?」


 ぼやけた視界で見上げると、オスカーが優しく微笑んだ。


「そう。もう泣かないで、エメリア」

「……、は、い……」


 彼が繋いでいない方の手で、優しく彼女の涙を拭ってくれた。


 嬉しかった。

 今までの頑張りを否定されなかったことが。

 こうしてエメリアを理解しようとつとめてくれることが。


(オスカー様に、話してよかった……)


 その瞬間、彼と関係を結んだのが嘘告がきっかけで、勘違いしてはならないということをエメリアは忘れて、オスカーに想いを寄せた。

 

「まぁ、でも……確かにマイズナーに告げるのは、後々のことを考えるとよくないな。要するに、君は騒ぎになることは避けたいわけだ」

「……はい。どうしようもなくなったら言おうかと」

「分かった。だが、どうしても苦しくなったら溜めこまずに俺に言うんだよ?」


 エメリアはふわっと笑った。


「はい……ありがとうございます。……心強いです」


 誰かに自分の抱えているものを、話してもいいだなんて。

 今までそんな人は、家族以外にいなかった。


「よし。約束だからな。朝の約束は果たされなかったが、仕方がなかったということで許そう」

「ふふっ……」

「こちらは本当に約束してくれ」


 彼が差し出してきた左手の小指に、エメリアはためらいなくその小指を絡めた。


「――はい、オスカー様」


 ◇◇◇


 今夜は帰ろうと二人で経理部を出ると、騎士団長であるローガン=ダウデンと鉢合わせした。


(あっ、騎士団長様だ……!)


 ローガンはダウデン公爵家の三男で、確か二十代後半だったはずだ。若くして騎士団長に選ばれた彼は、金髪碧眼の美男子で、王子といっても通るような顔立ちだが、それでも鍛え上げられた体をみるとやはり騎士なのだと納得する。どうしてか彼は結婚はおろか、婚約者もいなかったような気がするけれど。

 ローガンは誰が相手でも気さくに声をかけてくれる。書類に判を貰いに行くこともあるエメリアにも、常に親切だ。


 それにしても。


「オスカーじゃないか、どーしたどーした」


 ローガンが嬉しそうに、オスカーに話しかける。対するオスカーは相手が騎士団長だというのに、遠慮なく仏頂面だ。


「……嫌なやつに見つかった……」

「騎士団長に対して、それはないんじゃないか?」

「……ちっ」

「舌打ちしたな!?」


 それにしても、騎士団長とオスカーとのやり取りは、意外なほど親密だった。

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