第12話 その手を、ついに
ローガンの視線が、オスカーが抱えているエメリアの鞄に落ち、それからオスカーの顔へと戻る。
「オスカー、お前がね―」
「何が言いたい」
「初めて見たな、お前が誰かの鞄持ちしてるの」
「鞄持ちだなんて言い方をするな、俺がしたくてしているだけだ」
オスカーが無表情に答えるのを、ローガンはにやにやしながら眺め、それから今度はエメリアに向かってにこっと微笑みかける。
「経理部のエメリアだね?」
「はっ、はい」
突然話しかけられて、エメリアはぱっと姿勢を正した。
「オスカーは面倒くさい男だろう? 困ったことがあったらいつでも俺に相談してもらって構わないよ」
「え、えっと……?」
(オスカー様に困ってることなんて……何一つ、ないけれど……?)
答えに窮する。
するとオスカーが、視界を遮るように、エメリアの前に立ちはだかった。
「余計なことを言うな。エメリアが戸惑っているじゃないか」
ローガンが一瞬ぽかんとして――それから爆笑し始める。夜の
オスカーはやれやれ、と言わんばかりにため息をつく。
「じゃあな」
彼がくるりと振り向き、エメリアに帰るように促す。
だがそこでようやく笑いをおさめたローガンが、涙を拭きながらオスカーを呼び止めた。
「これは俺が悪い、すまない――近いうちに話そうと思っていたことがあるんだが、ついでだから今聞いてくれ」
「はぁ……なんだ?」
「お前も知ってると思うが半年後、ダウデン家で夜会があるだろう――王宮の夜会の、前座だ。そういえばお前、参加するのか?」
「却下だ」
めんどくさそうにオスカーが、切り捨てた。
(ダウデン家って……騎士団長様のご実家の公爵家、よね……? 王宮の夜会の前座……って言い方はあれだけれど、その家での夜会に、オスカー様が参加する?)
それも騎士団長の口ぶりだと、オスカーは参加するのが当たり前の立場であるかのようで。
(……優秀な、騎士様だから、よね……?)
ぼんやりとそんなことを考えているエメリアの前で、オスカーが続けた。
「だが今年は王宮での夜会に参加する――エメリアと」
はっとして彼女が隣のオスカーを見上げると、彼も彼女を見下ろしていた。銀色の瞳が、優しく彼女を包み込む。
「俺のパートナーとして、一緒に参加してくれるよな?」
(あっ……)
王宮での夜会――すなわち、嘘告での付き合いの終わり、だ。
その翌日は、エメリアが王都を去る日でもある。
どくん、と鼓動が高鳴り、彼女は続けるべき言葉を忘れた。
引き続き動悸は激しく、エメリアはぎゅっと自分の胸を押さえた。するとオスカーの瞳がどこか訝しそうに、しかし心配げに細められる。
「王宮での夜会、知ってるよな? 俺とは参加したくない?」
(そう、嘘告が成立するためには……、二人で参加しなくては……、って、いけない、答えなきゃ……っ)
なんとかエメリアは声を押し出す。
「私、オスカー様と参加、してもいいんですか……?」
そう言えば、彼の顔にゆるゆると微笑みが浮かぶ。
「当たり前だろ? エメリア以外の誰と参加するんだ」
嬉しい。
けれど、嬉しくない。
エメリアの心は散り散りになりかける。
(だって、嘘告の終わりの日、だもの……)
そうして俯きかけたエメリアの耳に、ローガンの咳払いが聞こえてきた。
「俺もいるんだがな、お二人さん」
エメリアは瞬時に真っ赤になってしまう。
(わ、わたし……! 騎士団長様の前で、王宮での夜会がどうのこうの、とか……、オスカー様、とか名前呼びしちゃってた……!!)
「まだいたのか、早く用件を言えよ」
なかなかにオスカーは手厳しいが、ローガンは気にした様子も見せずに口を開く。
「はいはい。あのな、我が家の夜会で、飾り布が足りないらしいんだ。どうやら去年から引き続いて綿花の出来がよくないらしくてな。毎年新しい飾り布を大量に用意するのがしきたりだから、すっかり参っているみたいで」
オスカーの眉間にみるみるうちに皺が寄っていく。
「なんで俺に言う?」
オスカーの冷たい口調にもひるまず、ローガンはあっけらかんと答えた。
「まずお前に聞くべきだろう?」
(ど、どういうこと……?)
エメリアには理解できない会話が続き、彼女は混乱しながらも、黙ってそこに立っていた。
(飾り布……? 飾り布って、要は、夜会の会場とかを飾るのに使う布よね……? 毎年新しい飾り布をたくさんご用意されるなんて、盛大なパーティなんだろうな)
そんなことを考えていたら――。
「俺より適任がいる。何しろエメリアの実家は、布を扱っている商家なんだ」
「え!?」
突然水を向けられて、彼女は思わず大声をあげた。確かにエメリアの実家は布を扱っているけれど――基本平民を相手にしていて、貴族の客はほとんどいない。とはいえ、扱っている布には自信はあるけれど、それでも騎士団長の実家が求めているクオリティに値するかはわからない。
まさか、と言おうとする前にローガンがぱっと表情を明るくした。
「本当か!? こんなところに救いの神がいるとは!!」
「えっ!? あ……いえ、でも、あの、自分で言うのもお恥ずかしいのですが、我が家は地方のしがない商家で、王都で開かれる、素敵な夜会を彩るような飾り布をご用意できるかどうかは――……」
しどろもどろに言い募る。
「いや、元の布を準備できるだけで十分だと思う――とはいえ、夜会の準備が本格的に始まるのがもう少し先でね。もちろんそれまでに家の者も心当たりをあたるだろうし――だが、もし必要だと思ったら、また相談させてくれないか」
困ったエメリアは助けを求めるようにオスカーを見上げる。彼が頷いたので、エメリアもためらいがちではあるが、承諾することにした。話を聞くだけなら、確かにできそうだ。
「ご相談、だけなら……でもご希望にお応え出来かねることもありますので、それだけはご了承ください」
「もちろん。ああ、助かるよ。じゃあ呼び止めてすまなかった。またな!」
ローガンは爽やかにそう言うと、踵を返して去っていった。
「やっと邪魔者がいなくなった。さ、帰ろう、エメリア」
やれやれと言いながらも、オスカーが鞄を持っていない方の手をエメリアに差し出した。
これは――。
彼女が迷ったのは一瞬だった。
エメリアはゆっくりと自分の手を差し出し、オスカーの手をぎゅっと握る。途端にオスカーの表情が明るくなって、頬に赤みが差す。
「ありがとう、エメリア!」
「ひ、人がいたら放しますからねっ」
照れ交じりにそう言ってみる。
「ああ。誰もいないことを願うよ」
明るいオスカーの声に胸がきゅっとした。
☆☆☆
その夜、ベッドに入ったエメリアは、オスカーとの会話を反芻していた。
「オスカー」という一人の人間を見てくれ、と言ってくれた彼のことを。
(……、やっぱり私……オスカー様に憧れて……王都セントラル騎士団を目指して、よかったな)
うまく言葉には出来ないけれど、確かに何かがエメリアの中で大きく変わろうとしていた。
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