第6話 初めてのデート
(私、勝手に交際を隠すって思っていたけど……周囲にバレた方が《恋人》らしいか。半年後に別れたとしてもオスカー様の評判には何の傷もつけないだろうし)
オスカーは王都セントラル騎士団の宝といっても過言ではない。だから文官の――それも平民出身であるエメリアと付き合って半年で別れたとしても、彼にとっては何の痛手にもならないだろう。
(むしろそうやって周囲に隠さないほうが、オスカー様が本当に私のことを《恋人》だって考えていることの証になるわね、きっと)
そう納得したエメリアは、オスカーによる送迎を受け入れたのだが――。翌朝、どうしてかオスカーの顔が晴れない。
(どうされたのかしら……? あ、朝早すぎて、辛いとか……?)
基本的に早寝早起き人生をモットーとしているエメリアの出勤時間は今日も早すぎるほどに早い。それに、この時間だと騎士団の人間はほぼ誰も出勤しておらず、エメリアとオスカーが共に歩いている姿を見せつけることも難しい。
(時間を変えてほしい、とか……? もしオスカー様がそうおっしゃったら、少しだけ遅くしようか)
そうすると間違いなく騎士団の誰かに二人で歩く姿を見られる可能性があがる。そうなったら情報通のセオドアとナディアの耳に入るのもすぐで――きっとまた嫌がらせが加速するだろうか。
気がぐんと重くなる。
(だとしても、半年、半年の我慢よ)
きゅっと口元を引き締めたその時、隣でオスカーが大きくため息をついた。
「俺は君と付き合えることになって浮かれていたから、冷静さを欠いていた」
ぱっと彼を見上げると、その横顔が憂いを帯びている。
「こうして送り迎えするのも、よく考えたら君にとって迷惑ではないだろうか」
「え?」
「俺は構わないが――俺みたいな騎士と付き合っていると周囲に気づかれたら、君が苦労しないか?」
ぱちぱちっとエメリアは大きく瞬く。
「えっと、それは……オスカー様みたいな素晴らしい騎士のお相手が、私みたいな地味で、平民出身の文官だと釣り合わないという意味ですよね……? 確かに、オスカー様に恥をかかせるかもしれないです」
そう、エメリアは平民出身。
だからこそ嘘告の賭けの対象に選ばれたのだろう。
「は?」
そこでオスカーが呆気に取られたようにこちらを見下ろし、すっと眉間に一本の皺を寄せた。
「何を言っている。俺なんてどこにでもいる騎士のうちの一人だが、君こそが高値の花で、君と付き合いたい騎士はいくらでもいるじゃないか。経理部にものすごい可愛らしい、優秀な人材が入ってきたと初日から噂で持ちきりだったんだからな。仕事は正確で熱心、書類を渡す時も常に感じがいい、とも」
(なんですって……?)
処理落ちしそうだ。
エメリアは溺れかけた魚のように、口をパクパクさせた。
(えっと、これ、夢かな?)
《彼が話しているエメリア》と、《本当のエメリア》に乖離がありすぎる。同一人物の話とは到底思えない。
(きっと人気のあるエメリアっていう文官の方が他にいらっしゃるんだわ)
何しろ王都セントラル騎士団の文官全員を自分は知っているわけではない。きっとそうだ、とひとり心の中で頷く。
そこで、ばっとオスカーが凄い勢いでこちらを向いたので、エメリアは少しだけ後ずさった。
「だが君は俺のものだって周囲に知らしめておかないと、横からかっさわれたらかなわないと思っている。とはいえそんな自分の希望だけで、君を苦しめたいわけではない」
ふうっと彼が息を吐く。
「君の考えを聞かせてくれ。騎士の誇りにかけて、君の願いを叶えよう」
(そこまでして!?)
大げさすぎる。
あまりの真剣さに慄いたエメリアは、先ほどから彼との話が噛み合っていないことを忘れてしまった。
「で、では、このままで――私はもともと朝早く出勤しますし、その習慣は変えたくありません。それでどなたかに会ったならばそれはその時に考えるってことで……どうでしょう? 帰りもお互いの仕事の都合で、無理なくできれば!」
今思っていることを話せば、 ぱあっとオスカーの顔が明るくなる。
「俺に送り迎えをさせてくれるのか? ありがとう!」
「――ッ」
交じりっけなしの笑顔が可愛い、と思ったことは、口にすることができなかった。
それに――。
(もし私が嫌がったら、皆にバレないようにしてくれるんだ……。だったら王宮の夜会に行かないってなるのに。そしたら、賭けに負けちゃうよ……?)
けれど、その気遣いはどこかオスカーらしく感じられる。エメリアの心がふわっと暖かくなった。
◇◇◇
週末。
街にデートに行こう、と誘われたものの、男女交際経験が皆無のエメリアは一体どんな服を着たらいいのかわからない。昼前に迎えに行くとオスカーに言われたので、実家から持ってきていたお気に入りの長袖のワンピースを引っ張りだしてみた。
シンプルなネイビーの膝丈のワンピースに、クリーム色の首襟がついている。胸元には三つ、大きめなボタンがついていて、それも襟と同じクリーム色だ。ウエストで切り換えのあるデザインは、痩せぎすな体のラインをうまく隠してくれる。
普段はひとつにゆるく纏めている栗色の髪を、下ろすことにした。ゆるい癖っ毛で、毛先が肩下でくるんと丸くなる。
(このワンピース、高級な綿を使っているから着心地が抜群なのよね)
実家が布を扱っている商家ということもあって、昔から布にはついついこだわってしまう。
(――そういえば……)
ふっと、数日前に父から届いた手紙について思い返す。
国の南部に位置する有名な綿花の産地で予定外の雨が続き、綿花の育ちが壊滅的らしい。エメリアの実家の仕入先はその産地ではないため、幸いそこまで影響はないらしいが、その話とは別に業績があまり芳しくないのだという。
エメリアの祖父が興した商家であるが、父は典型的な《二代目》で、人はいいけれど、押しが強くなく、駆け引きには向いていないときている。母も同じ地方の商家から嫁いだものの、控えめな性格ということもあって、夫婦揃ってさもありなんというところだ。
半年後にエメリアが実家に戻ってきたら、改めて家族みんなで今後について相談したい、と父は結んでいた。
(布の売買だけっていうのが不安定な要素なのよね。お父さんは、それでいいって思っているみたいだけど……でも、だからって何をすればいい?)
商売はそんなに一筋縄でいくものではない。
父もそれを分かっているからこそ、エメリアが戻ったら力になるような縁談を結びたいと考えているのだ。
(好きでもない人と、結婚、か)
これから生まれて初めてのデートだというのに、一気に気持ちが暗くなる。
――が、そこで扉をノックする音が響き、オスカーの到着を知った。
(よし、ひとまず忘れて、思い出作りだ……!)
気持ちを切り替えて、ドアを開け、絶句する。
(か、かっこいい……!!!)
仕立ての良さそうな白のシャツに、細身の黒いパンツを合わせたオスカーは、間違いなくエメリアの好みど真ん中だった。
(騎士服を着ていらっしゃるオスカー様も文句なくかっこいいけど、普段着のオスカー様も見られるなんて眼福……嘘告のお陰だわ)
思わずキーナンとマイケルに感謝してしまいそうになる。そのオスカーはオスカーで、ぱあっと嬉しそうに頬を上気させた。
「思っていた百倍は可愛い。清楚で可憐なエメリアにピッタリの装いだ。それに髪の毛、下ろすとまた印象が変わるんだな」
彼がエメリアを見つめながら、目を細める。
そんなにまじまじと見られると、とてつもなく恥ずかしい。エメリアが羞恥心で頬を染めてから、首をすくめると、オスカーが笑った。
「すまない。君に居心地を悪い思いをさせるつもりではなかった。――さあ、行こう」
差し出された手――今日はオスカーは手袋をしていないし、エメリアも仕事ではないから大きな鞄は持っていない――を前に困惑していると、ふっと微笑んだオスカーが、そのまま彼女の背にそっと手をあてた。
「それで、エメリアは何がしたい?」
「えっと……、よろしければ雑貨を見られたら嬉しいかな、と」
「雑貨な。よし、じゃあ小物を扱っている店がたくさんあるエリアへ行こう」
二人の王都の町中に足を運ぶ。
オスカーの案内通り、そのエリアには可愛らしい雑貨屋が並んでいた。どの店も流行の最先端の小物を扱っており、それでいて手頃な価格のものが多い。客層も平民たちばかりでエメリアはいっぺんに気が楽になる。
髪飾りやネックレスやブレスレットなどのアクセサリー類を主に扱う店から、部屋を飾る小物、ひいては食器、家具を置いてある店まである。
たくさん並んでいる店を片っ端からのぞいていく。
エメリアが興味を惹かれるのは、やはり布製の小物だ。
(わっ、この花柄の布、可愛い……!)
その布で丁寧に縫われたポーチを手に取る。それから隣に置いてあった小物入れに目を留めた。
(なるほど、厚紙で作った箱に、布を貼っているのね。こうしたら確かに丈夫になるし、それに見た目も抜群にいいわ。いい布を使えば、長持ちもする)
感心していると、隣でその様子を眺めていたオスカーが彼女の手元をちらっと見た。
「気に入ったのかい?」
「はい。こちらの小物入れは誰の手によるものかしら……センスがいいってこういうことなんですね。えっと……、レインズフォードって書いてありますね」
タグについている名前を読み上げる。
(王都にある会社かな……? レインズフォード……って、確か、前にお父さんと一緒に訪れた公爵家がそんな名前だったけど……関係ないよね?)
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