第5話 嘘告からの《恋人》生活スタート

 オスカーの嘘告を受けいれ、思い出づくりに勤しむことにしたエメリアだったが、半年後に王宮の夜会で別れを告げられるわけだから、周囲には《交際》を隠すだろうと何の根拠もなく信じ込んでいた。

 ということは生活はそんなに変わらないはず。

 仕事帰りは送ってくれるかもしれないが、オスカーも忙しかったり、遠征もあるだろうから毎日ではないだろう。休みの日に一回でも会えたら嬉しいなあ、シュワルツ様の私服ってどんな感じなんだろう、などとぼんやり考えながら、眠りについた。


 翌朝早く。

 詰め所に向かおうと家のドアを開けた彼女は、その場に硬直してしまった。


「エメリア!」

「えっ……!?」


 信じられないことに、アパートを出たすぐの通りにオスカーが立っていた。しかも、ぴっかぴかの笑顔と共に。


「おはよう!」

「お、お、おはよ、う、ござい、ます……!? え、こ、こんな早い時間に、どう、されましたっ……!?」


 何事かと慌てて駆け寄る。

 朝からオスカーはきちんと身なりを整えていて、近寄るとふわりとオードトワレの爽やかな香りが漂った。


(嘘告からの付き合いに関して、早急に決めておかなければならないことでも……!?)


「エメリアと一緒に詰め所に行こうかと思って、待っていた」


 予想外の言葉に、絶句する。


「え、一緒に!?」

「そう」


 彼の言葉には何の迷いもない。


「ま、待ってください、シュワルツ様って、どちらにお住まいなんですか……?」


 オスカーが両腕を組む。


「エメリア、俺達は昨日恋人になった。だからシュワルツではなく、オスカーと呼んでくれないか」


(なんですって……!?)


 ぱくぱくと、酸欠の魚のように口を開け閉めしているエメリアに、彼が念を押す。


「わかった? さ、言い直してくれ」

「シュ、シュワルツさ、ま……あの、その、そんな、突然……」

「これだけは譲れない。オ・ス・カー、だ」


 これは夢か。自分はまだ寝ているのか?

 エメリアは一度ぎゅっと両目を瞑る。次に目を開けたら、目の前の美男子が消えていないだろうか。だが、おそるおそるまぶたを開けても、ダークグレイの髪を持つ騎士は消えてなんていなかった。


(夢じゃなかった……!!)

 

 オスカーは両腕を組んだまま、エメリアが彼を名前で呼ぶのを待っている。


(あああああ、もう……っ!)


 今まで家族以外の異性を名前で呼んだことはない。こうなったら、やけくそである。


「オ、スカー、さま……」


 最後は消え入るような声になってしまった。

 目の前の大男が相好を崩して、笑顔になる。


「なに、エメリア? ……、あ、さっきの質問の答えだけど、俺はセントラル騎士寮に住んでいる」

「セントラル騎士寮……っ!? 一体何時からこちらにいらしたんですかっ?」 


 セントラル騎士寮は、王都セントラル騎士団所属の騎士ならば誰でも入居でき、詰め所から徒歩十分ほどの距離だ。エメリアのアパートがある方向とは逆なので、ここまでは四十分ほどかかるはずだ。


(そんなにかかるのに、いつも仕事終わりに送っていてくださったの?)


 ぐるぐると色々な考えが頭を巡る。しかし当の本人はのんびりとしたものだった。


「たいしたことはないさ。エメリアのことを考えていたら、あっという間に着いてしまったし」

 

 衝動的に、彼女は目の前のオスカーの手を握る。エメリアは素手であるが、彼は薄い手袋をつけている。しかし手袋越しでも、彼の手がひんやりしているのは伝わってきた。


「でも、冷えちゃってますよ!? まだ朝は冷え込むんですから、無理は禁物です……っ」


 そう言いながら彼を見上げると、何故かオスカーの顔が赤く染まっていた。


「ど、どうされました、熱でも……!?」

「ううん、違う。――君、昨日の帰りは手を握るのはまだ早いって言ってたのにな」


 エメリアは視線を繋がれた手に落としてから、自身の手をばっと離した。わたわたと両手を振りながら弁明する。


「ごめんなさいっ……! 私、そんなつもりはなくてっ……!」

「ふふっ、いいよ。エメリアに手を握ってもらえるなんて、朝から幸せだな。これから毎日君と出勤したいから、この辺りのアパートに引っ越してこようか」

「え……!?」


(冗談よね……? 嘘告なのに、そこまでしないよね……?)


 戸惑いで、さっと顔を曇らせてしまった。そんなエメリアを見下ろしたオスカーがどう思ったのか、しばらくして彼がゆっくりと呟く。


「ま、それは追々――明日からはあらかじめ君に出勤時間を聞くことにしよう。じゃあ、向かおうか?」


 オスカーが手を差し出してきたので、一瞬躊躇したが、鞄を押しつけるように渡した。朝早いお陰で、共に出勤した姿を騎士団の誰にも見られなかったのだけが幸いだった。


 ☆☆☆


 終業後、手早く荷物を片付けたエメリアは余計な隙を見せないようにと、さっさと席を立つ。


「お先に失礼いたします」 


 経理部には、エメリアを含め六人の文官が在籍している。今、部屋に残っているのは直属の上司であるリカー=マイズナー、それからお局令嬢であるセオドラ=ルーベンス、そしてセオドラと親しいナディナ=スカリーだ。


 他にも経理部を取りまとめているノーラン=ファーガソンとパーシー=レイクスがいるが、彼らは別に部屋を与えられていて、この部屋には必要に応じて顔を出すのみだ。エメリア以外、貴族階級出身で、リカーが子爵子息、セオドラとナディナは伯爵令嬢、そしてノーランとパーシーは侯爵子息だ。


 年齢もバラバラで、ノーランとパーシーは四十代、リカーが三十代。セオドラとナディナは二十代後半のはずだ。男性陣は全員既婚だが、セオドラとナディアに至っては婚約者すらいない貴族社会における、いわゆる『行き遅れ』だ。

 そんな二人だから余計な言いがかりをつけられ、仕事を押しつけられたのだけれど。

 

「ああ、お疲れ様」


 金縁眼鏡のブリッジをあげながらリカーは挨拶を返してくれたが、セオドラとナディナは聞こえないふりだ。相変わらず感じは悪いが、この二人にはさんざん嫌味を言われてきたから、無視の方がいいくらいだ。


 エメリアは振り返ることなく部屋を出て、きちんと巻かれたセオドラの金色の巻き髪と、ぎゅっと固く一つに結ばれたナディナの亜麻色の髪が視界から消えると、ほっと息をつく。


 セオドラはとにかく気が強く、文官の女性たちのお局的な存在ではあるが、そのキツイ性格のせいで煙たがられている。ナディナはセオドアの唯一の腰巾着で、女性がその二人しかいない経理部に配属されたのが運の尽きだった。


 エメリアと見れば冷たい表情を浮かべる彼女たちと、今更うまくやっていけると楽観的なことは思っていない。ただ自分を同僚として受け入れてもらえないという現実が、いくら気にしないようにしていても悲しいだけだ。


 詰め所から外に出ると、夕暮れが広がっていた。自宅に向けて歩き始めながら、エメリアは自分に言い聞かせる。


(あと、半年、の、我慢、我慢……落ち着け、エメリア)


 ぐぐっと鞄のハンドルを握る手に力をこめた。


「エメリア」


 そこで涼やかな声が響いて、彼女はぱっと振り返った。オスカーの姿を認めた途端、驚きのあまり、すべての憂いが一瞬で吹っ飛ぶ。


(なっ、な、なっ……なんでここにいるの!?)


「帰るんだろう? 送るよ」

「えっ、こんなにまだ早い時間ですよ……!? お仕事は……!?」

「ああ。俺はまた戻るけどね、君を送る時間くらいはある」


 たいしたことがない、と言わんばかりの軽い口調だった。


「わかったかな?」


 そう言われてしまうと、断る理由はない。


「あ、は、はい……」


 オスカーが手を差し伸べてくる。


(あ、え、えーと、鞄、よね……っ)


 彼に鞄を渡すと、オスカーが口元を緩める。その笑顔を見ていると、同僚たちに受け入れてもらえなくて痛んでいた心が宥められるのを感じた。


(優しいな、オスカー様)


 だがそこで強烈な視線を感じて、エメリアは顔を上げる。


「―――ッ」


 息を呑む。

 詰め所の入口近くに、キーナンとマイケルが立っていた。彼らは素知らぬふりをしているが、間違いなくこちらの様子を窺っているようだ。


(いけない。嘘告、嘘告なんだから……、ちゃんと、私も、演じなきゃっ……っ)


 オスカーが賭けに勝つためには、自分が彼を《恋人》だと思っている、と彼らに信じてもらう必要がある。


「どうした?」


 気遣わしげに話しかけられて、エメリアははっと我に返る。


「いえ……その、では、お言葉に甘えて、送っていただいても?」

「もちろん」


 そのまま二人で肩を並べて帰宅する。もちろんオスカーは自然に車道側を歩いてくれている。


「そういえば、今週末は空いているかい?」

「はい、空いています」


 ぱっとオスカーが表情を明るくした。


「俺も休みなんだが、デートしないか?」


 ぱちぱちっとエメリアは瞬きをした。ようやく彼が言わんとしていることを理解して、小さくのけぞる。


「ええっ、デート、ですかっ!?」

  

 確かに週末にデートするのは、《恋人》らしい。


「性急すぎる? だが君が恋人になってくれて嬉しくてね。君と付き合えたら、休みの日にデートをするのが夢だったんだ」

「え、そ、その……でも、私、まともなドレスを持っていません」


 貴族令嬢ではないエメリアは、貴族たちが好むデートスポットに行くことはかなわない。けれど、オスカーは首を横に振った。


「ドレスなんて必要ない。街に一緒に行かないか?」

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