第4話 だってずっと憧れていた騎士様だから

 それが半年前の話だ。


 それからオスカーと話すことはなくとも、彼の存在は常に意識していた。王立セントラル騎士団でも、第三騎士団は街の警護を主に担当している部署だ。その中でもオスカーは、誰が相手でも分け隔てなく接するその人柄ゆえに老若男女問わず街の人にも慕われていると専らの噂である。かと思えば、王が王宮で開く騎士たちによる馬上槍試合トーナメントでも常に好成績をおさめ、王や名だたる領主たちが狩りを開くとなると、オスカーの参加を希望することもあるそうだ。

 知れば知るほど、ほんの一時でも時間を共有できたなんて、光栄なことだと感じる。

 そう、彼は依然としてエメリアの憧れであった。


(……そういう、人なんだよね、シュワルツ様って)


 そこで今日の昼間に聞いた騎士たちの会話を思い出して、エメリアは深くため息をつく。


(嘘告に成功したらシュワルツ様にも儲かったお金を渡すってノワール様たちは言っていたけれど……でもどれだけお金が欲しくても嘘告みたいな賭けにのるような人じゃ、ないと思うけどなぁ……何か別の理由があるのかな……ううん、考えても、わからないや)


 もし、オスカーが本当に告白をしてきたらどうしよう。


 そう考えて、彼女は我に返る。


(どうしよう、だなんて……! 断る一択でしょ、エメリア)


 だが、そこで己の本音が浮かび上がってきて、ぎゅっと目を瞑った。


(でも……、本当に、嘘告されたら……シュワルツ様にもきっとなにか得があるってことよね……だったら、受けても悪くは、ない? 彼のためになる?)


 一度そう考え始めると、止まらなくなった。


(ちょうど、王宮での夜会までは、王都ココにいるし……)


 半年後にはエメリアは実家に戻り、父の望む縁談を結ぶことになっている。

 エメリアの実家は、布を主に扱っている商家であるが、ここしばらくあまり業績が奮っていないようなのだ。それもあって、父からは王都での滞在を伸ばすことなく帰ってくるようにと何度となく手紙で催促されている。


 騎士団を辞するのは王宮での夜会直後の予定で、その旨は入団当初から直属の上司にだけは伝えている。

 嘘告のハイライトは、王宮での夜会のはず。

 だったら上司に、王宮での夜会の翌日に地元に帰ると申し出ておけば、その後顔を合わせて気まずい思いはしなくて済むだろう――エメリアだけでなく、オスカーも。


(嘘の関係でも、王宮での夜会に一緒に参加できたら一生の思い出になる……よね……ああ、彼のためになるからとかそんなこと考えてるけど、本当は自分がしたいのに……私ってなんて、ずるいんだろう……)


 息を吐き、自分に正直になることにした。


 オスカーがエメリアに告白するなんて、嘘告でない限り、ありえない。

 だったら――。

   

「だったら、思い出づくりとして……受け入れてみる?」


 だって彼は――ずっと憧れていた騎士様なのだから。


 ◇◇◇


 数日後。


「エメリア」


 定時で家路についたエメリアを、涼やかな低い声で呼び止める人がいた。

 振り返るとそこには、ここ数日何度も思い浮かべていたオスカー=シュワルツが立っていた。


(……本当に、いらっしゃった……!)


 どくんと鼓動が高鳴る。


「久しぶりだね」


 彼は淡々とそう続けた。


「突然すまないね。少し話をしてもいいかな?」

「――ッ!」


(き、きたっ……! でも、こ、こんなところで……!?) 


 何しろ王都セントラル騎士団の詰め所からいくらも離れていない、人の往来の激しい道端である。だがそこでエメリアは、オスカーの背後で不審な動きをする男性二人に気付いた。エメリアが視線を向けると、彼らはさりげないふりをしつつ、だがしっかり顔をそむけながら目の前にある店に入っていった。その背格好は間違いなく、キーナンとマイケルで。


(あ。そっか……! 直接見ないと嘘告が成立したって納得しないよね……!)


 心を決めたエメリアはオスカーを真っ直ぐに見上げる。


「お久しぶりです、シュワルツ様。どんなご用件でしょうか?」


 エメリアは貴族令嬢ではないからカーテシーはしない。会釈すると、オスカーが二、三瞬いてから、ふっと表情を緩める。


「この半年、ずっと君のことを考えていたよ。俺は君のことが好きだ――だから、どうか俺と付き合ってほしい」


 なんの前置きもなかった。

 単刀直入に切り出され、エメリアは目を見開く。


「あ……っ、え、えっと……」


 オスカーが嘘告をしてきたら、とあれだけ考えていたというのに、エメリアの頭の中は真っ白になってしまう。

 ようやく絞り出して出た答えは、自分でも予想だにしていないものだった。


「私が、好きなわけ、ありません、よね……?」

「好きだよ」


 間髪入れずに答えが返ってくる。


「……っ だって、私のこと、よく知らないじゃないですかっ……」

「知っているよ? 君が頑張りやさんで、優秀な文官ひとだってこと。ちゃんと一人で立っていられる、自立した女性ってことも。一度君を知ってしまうと、目を離せない」

「なっ……!」


 かあっと頬が赤く染まっていくのが自分でも分かる。


(こ、こんなことをおっしゃるの、シュワルツ様って……! う、嘘告ってす、すごい……っ)


 圧倒的経験値の足りないエメリアは、翻弄されてばかりだ。そこでオスカーが一歩だけ彼女の前に出る。


「こんなこと、初めて口にした。だがそれだけ本気なんだ。エメリア、どうかこの哀れな男を幸せにすると思って、恋人になると言ってくれ」

「―――ッ!」


 真剣な表情のオスカーを見上げると、切れ長の銀色の瞳には、確かに熱がこもっているように感じられた。


(……わた、し……)


 どこまでも透き通っているその瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。しばらく見つめ合っていたが、背後で見知らぬ男性が咳払いをした音でエメリアは我に返った。オスカーも同じだったらしく、苦笑しながらエメリアを車道側から遠ざけるようにそっと押しやった。


「ごめん。俺としたことが夢中になってしまって……。危ないから君はこちらに」


 一緒に帰宅していたのは、一か月の間くらいだろうか。

 その時もずっと彼はこうしてエメリアを気遣ってくれていた。こんな立派な体格なのに、エメリアに触れるときはどこまでも優しい。


 その瞬間、彼女は頷いていた。


「お受けいたします」


 はっとしたように彼女を見下ろしたオスカーが、少し上ずった声で呟いた。


「ほんとう?」


(う、受けちゃった……、受けちゃった、けどっ!!)


 エメリアはぐっとお腹に力をいれると、真っ直ぐに彼を見上げる。


「はい」


 すると彼の顔に徐々に赤みが差し、口元が弧を描く。


(わっ……!)


 彼の、こんなはっきりとした笑みは初めて見た。


「嬉しい! ありがとう、エメリア!」


 オスカーの声が弾んでいて、それはまるで本当の告白がうまくいったかのように感じられた。どきどきとエメリアの動悸が激しくなる。


(う、嘘告なのに……っ)


 彼女がせかせかと自分のほつれ毛を耳にかけていると、オスカーが「じゃあ、君の家まで送ろう」と言い、手を差し出してきた。


(なんだろ……、あ、鞄をかせってこと?)


 しかし以前とは違い、書類でパンパンになっているということはない。


「そんなに重くないので、自分で持ちます」


 そう答えると、彼は一瞬目を丸くしたが、再びふわっと笑った。


「鞄もそうだけど――俺が欲しいのは君の手だよ?」

「―――!!」


 彼が手を繋ぎたいと思っている、と知ったエメリアの顔が林檎のように真っ赤になる。


「や、そ、それは、まだ、は、早いかも……っ!?」

「そっか残念だな……じゃあ、鞄をかして?」


 自分の手を差し出すくらいなら、鞄の方がいい。

 エメリアがぐいっと鞄を押し付けると、オスカーがふふっと笑う。


「帰ろう、エメリア」

「――はい」


 オスカーに促され、歩き始める前に――先程の店の辺りにちらりと視線を送ると、人混みにまぎれてキーナンとマイケルがこちらを見ていたのだった。

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