第3話 勘違いしてはいけない
自宅まで送ってくれることが続くと、さすがにぽつりぽつりと会話を交わすようになった。
とはいえ、今まで異性と付き合ったことのないエメリアが上手に場を回せるわけもなく、オスカーに尋ねられるまま答えるだけなのだが。
『へえ、君のご実家は布を扱う商売を営んでいるのか。だから経理部に配属された?』
『はい。幼い頃から手伝っていて、そのお陰で読み書きと計算ができるようになりました。今となってはそのことに感謝しています』
『そうか――それで、どうして王都の騎士団に入ろうと思ったんだ?』
う、とエメリアは答えに窮す。
まさかたまたま道の往来で貴方を見かけたのがきっかけです、などと正直に答えるわけにはいかない。気味悪がられたら、つらい。
『実は私の生まれた地方には、騎士団がなくて』
そう言えば、彼が頷く。まだ騎士団が存在しない地方都市も多い。
『父の仕事の帯同で王都に来た時に、初めてお見かけした騎士様が、その……脱輪した馬車と、暴れる馬を前に、とても颯爽と助けていらっしゃったんです……その姿が私にはヒーローみたいに見えて』
どこまで詳細に語るか悩んだが、かいつまむことにした。これくらいならきっと大丈夫だろう。
『ヒーロー?』
『はい。とっても恰好良かったんです。そして私も、そうやって人の役に立ちたい、と思ったのがきっかけです。それから王都セントラル騎士団の文官になるための勉強を始めて……無事に試験に通った時は本当に嬉しかったです』
よし、うまくまとめたぞ。
そう思って、隣を歩くオスカーを見上げて、驚く。どうしてか彼の耳が赤くなっているように思えたからだ。
(……どうしたんだろ?)
そこで、ごほんと咳払いをした彼がエメリアを見下ろす。
『毎日、あんなに真面目に業務をこなしている君を見れば、我が騎士団の文官を目指してくれてありがたいとしか言いようがない』
『まぁ、そんなもったいない言葉を……!』
『本音だよ。君は得難い人材だ』
すぐに彼はいつも通り淡々とした様子に戻ったから、きっと見間違いだったのだろう。
彼とのささいな会話が楽しかった。何しろオスカーは聞き上手で、つい喋りすぎてしまう。二人でいると、あっという間に時が経っていってしまうのだ。
いつしか隣を歩く彼を見上げるだけで、胸がきゅうっと締めつけられるような感覚になるようになるのは直だった。
もともと彼に憧れて騎士団に入団したエメリアが、オスカーに淡い思いを抱くようになるのは自然な流れで――そう、これは彼女にとって初恋だった。
だがそんなある日。
中庭のベンチで昼食を取っていたエメリアの耳に、隣のベンチに座っている他の部署で働く女性たちの声が飛び込んできた。
『さっき図書室ですれ違ったときにね、シュワルツ様が上の段にあった本を取ってくださったの。何をされても、ほんっとスマートでいらっしゃるよねえ』
『わ――いいな――!』
王都セントラル騎士団でシュワルツといえば、オスカーしかいない。思わず聞き耳を立てたエメリアだがしかし次の言葉に、胸がずきんと痛んだ。
『あんなに誰にでも分け隔てなく接してくださる方って、あんまりいらっしゃらないよね。カッコいいし、優しくて、まさに完璧……!』
『ね。ちょっとだけ距離を取ってくださるのが、まさに紳士って感じ! あれがまた夢中にさせるよね』
(分け隔てなく……誰にでも……)
ずきずきと胸は鈍く痛み続ける。
『もうすぐ王宮での夜会よね? シュワルツ様、どなたかをお連れするのかしら……?』
『今まではいつもお一人でのご参加だったわよね。私、シュワルツ様が恋人を作られたら、かなりショックかも』
『そうよね、シュワルツ様はやっぱり高嶺の花でいてくださらないと……!』
それから女性たちは、年に一回開かれる王宮での夜会についての話題にうつる。二人共男爵令嬢で、それぞれ婚約者がいるらしい。楽しげな二人の会話をよそに、すっかり食欲が失せたエメリアは食べかけのパンをランチボックスにしまった。
(ああ、私ったら……ばかだなぁ……ほんっと、世間知らず……)
オスカーは立派な騎士。
だからエメリアにも親切にしてくれているだけ――他の人と同じように。
重々分かっていたつもりだったのに。
これ以上、彼の厚意に甘え続けてはいけない。
(次に送ってくださることがあれば、その時にちゃんと断ろう)
そう、心に決めた。
◇◇◇
その機会はすぐにやってきた。
その夜、またも押しつけられた仕事のせいで残業をしていたエメリアを、オスカーが自宅まで送ってくれたのだ。
『今日はずいぶん静かだな。仕事、大変だったのか?』
言葉少なめなエメリアをオスカーがそう気遣ってくれるが、どうしてもまともに返事をすることができない。
(本当はもっと一緒に過ごさせてもらいかったな……。でも、私、このままだったら……絶対勘違い、しちゃうから)
いつものようにアパート前で、彼女の鞄をオスカーが手渡してくれる。それをぎゅっと抱きしめながら、エメリアは意を決して彼を見上げた。
『シュワルツ様、今まで本当にありがとうございました』
『え……?』
オスカーが驚いたように、切れ長の瞳を見開いた。
『私、明日からなんとか、残業しないようにします。なので、もう送っていただかなくて大丈夫です』
エメリアは無茶な仕事を振られても、詰め所で残業はせず、自宅に持ち帰る決心をしていた。そうすればとりあえず早い時間に帰宅することはできる。
『残業、しないように、する……?』
『はい』
きっぱり頷くと、オスカーが一瞬黙る。
『もしかして……俺のこと、迷惑だったか?』
(迷惑だなんて、そんなわけ……っ)
ぐぐっと鞄を持つ手に力が入る。
(って、私のことなんて好きなわけ、ないんだから……別に嫌われたって……それよりはっきり断る方が重要だわ)
しばらくして、エメリアは呟いた。
『め、迷惑、で、す』
嘘をついてしまった。
後ろめたくて、さすがにオスカーの顔を見ることができない。
やがてオスカーの声が響く。
『……それはすまなかった』
ずきんと胸が痛む。
彼は親切にしてくれただけ。決して謝らせたいわけではないのに。
『いえ、私こそ、ご心配おかけしてしまって……明日からは、大丈夫ですから』
視線を地面に下ろし、履き古した自分の布靴とピカピカに磨かれたオスカーの皮靴を視界にいれる。
(そう、靴だけでも、こんなに違うんだから。私達の住んでいる世界は違うの……これで、よかったんだ)
『大丈夫かどうかは俺が判断することだ。だけど君に嫌われたくないから、言われた通りにする』
『……?』
ぱっと顔を上げると、オスカーはふっと微笑んでいた。
『必要があれば、いつでも呼んでくれ――ではおやすみ』
彼はそう言い置くと、踵を返して歩いていってしまう。小さくなっていく背中をエメリアはいつまでも見つめ続けていた。
それからオスカーと顔を合わせることはなかった。
そして、一つ大きく変わったことがある。
それは、翌日からエメリア直属の上司が今まで以上に目を配ってくれるようになったことだ。どう頑張ってもお局令嬢たちが仕事を勝手に割り振るようなことができないくらいに。その上何か困ったことはないかい、と尋ねられたが、同僚のお局令嬢たちの所業については黙っていた。
触らぬ神に祟りなしだ。
とにかくエメリアは定刻通り、まだ明るい時間に帰宅できるようになったのである。
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