大人

 リビングの納戸に30キロの米俵が三つ運ばれた。


「ええッ⁉ これ、どうしたの⁉」


 タオルで顔を拭いて、マスオさんが疲れたように息を吐く。


「最近、米が高いだろ。えぇ?」

「高いっていうか、スーパーになくて……」

「だから、オレが作ってるのやるよ」

「で、でも悪いよぉ」

「バカ野郎」


 マスオさんは口角を釣り上げ、頭を軽く叩いてくる。


「子供は大人に遠慮すんな。我がまま言えばいいの」


 ボクが困惑していると、二階からお姉ちゃんが下りてきた。

 ボクら二人を交互に見て、「え、どうしたの?」と聞いてくる。

 納戸の中を指し、米を貰った事を教えた。


「おぉ。相変わらずネボスケだなぁ」


 頭をぐりぐりと撫でられると、お義姉ちゃんはビクッと震え、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「返せるものがないから、……さぁ」

「返す? オレには返さなくていいよ。二人が元気に食って――」


 マスオさんがお義姉ちゃんのお腹を見て、


「ぶくぶく太ればいいの」

「……ちょっと」

「ははは」


 お義姉ちゃんは強めにマスオさんのお腹を叩き、頬を膨らませた。

 お義姉ちゃんは本当にマスオさんだけは特別なようだ。

 かく言うボクも、本気で世話をされている実感がこういう所で湧くから、ありがたいやら、何やらでモジモジしてしまう。


「でもさぁ。三袋も貰っちゃっていいのかなぁ」

「何言ってんだよ。スーパーには米がないけどよ。米農家には、あるぞ。30キロだから、8千か9千くらい渡せば、農家のおっちゃんは喜ぶ。次作るためにも、ちょっとした収入になるからな」

「へえ……」


 米農家の知り合いはいない。

 マスオさんは農家のネットワークがあるから、頼むことができるっぽい。新鮮な野菜とかも持ってきてくれるので、ボクらが買うのは、お菓子とか、そういうのばかりだ。


 つくづく、農家ってバカにできないなぁ、と心から思った。


「これで、どれくらい持つんだろ」

「食う量によるけどぉ。あー……オレの場合、。これ、精米してないから玄米のままだぞ。だから、洗って食べろ」

「え、白米じゃなくても食えるの?」

「なぁに言ってんだよ。昔は玄米食ってたんだよ。つか、玄米しかいらなくなるぞ。栄養価高すぎて、ほれ」


 腹を叩くと、超えた肉がぷるぷる揺れる。

 隣に立つお義姉ちゃんは、興味津々な様子で、マスオさんのお腹をぷにぷにと触り始めた。


「お前らと食う量は変わらないはずだけど。まあ、太るわな。おかずも食べてるし。口に含みゃ、あんまし白米と変わらねえよ。香りがちょい違うだけだ」


 マスオさんから、玄米の炊き方まで教わる。

 白米はいつも通りの水の量でいいが、玄米は水が多めじゃないとダメらしい。なぜかというと、皮を被ってる状態だから、水が染み込むのが遅いし、皮まで水が染み込むので、中の分が足りなくなるとのこと。


 水はいつもより多めにして、昼間ぐらいから翌日の分を浸けておけば、ちょうどいいと言われた。


 説明を受けている間、お義姉ちゃんは何かに取り憑かれたように、マスオさんのお腹を揉みしだく。


「や、あの、おねえちゃん」

「……ふふ、内臓脂肪ヤバいんじゃない?」

「おねえちゃん」


 困った義姉を止めたいところだが、人の話を聞いてくれない。

 ボクはお義姉ちゃんの横に立ち、腹の贅肉を手の平いっぱいに掴む。


 むぎゅぅ。


「んひぃ!」

「お礼言わないと」


 わき腹を押さえて、お義姉ちゃんは膝を突いた。


「マスオさん。何から何まで、本当にありがとう」

「いいよ。飢えてもらったら、オレが困る」


 ボクはお義姉ちゃんの肩を揺さぶり、手の平をマスオさんに向かって投げるようにジェスチャーした。


 ――言え。


 ボクはジェスチャーだけで義姉に伝え、後ろから抱き起す。

 すると、お義姉ちゃんは今更になって、マスオさんにお礼を言うのが照れ臭いのか。下を向いて、モジモジしていた。


「……あんがと……」

「いいよ」


 ボクは思った。

 ああ、これ距離感分からない感じだ。

 ずっと引きこもっていて、人との距離感が分からなくなって、改まってお礼を言うのが気まずいパターンだ。


 義姉は別の方を向き、二の腕を抱く。


「さ、て。それじゃあ、オレは行くかな」

「あ……」

「ん?」


 お義姉ちゃんが何か言おうとしたが、指と指をぐりぐり合わせて、ブツブツと念仏を唱え始める。


「……いつも……り……がと」

「おう」


 今度こそ、マスオさんはリビングを出て行った。

 ボクは玄関先まで行き、マスオさんを見送る。

 ふと、マスオさんは何かを思い出したように振り返った。


「あ、そうだ。今度花火やろう」

「花火っスか?」

「うん。買ったからさ。おねえちゃん。夏らしいことできてないでしょ」


 本当に良い人だな、と思った。

 普通は隣の家の引きこもりなんて、知ったこっちゃないだろうに。

 ちゃんと考えてくれるあたり、本当に大人だ。


「マスオさん……ウチの義姉……貰ってくれませんか?」


 ボクには荷が重いよ。

 マスオさんは肩を揺さぶって笑った。


「その内、良い人出てくるよ。じゃな」


 扉が閉まると、ボクは腕を組んで唸ってしまった。

 何やら、後ろから気配を感じて振り向くと、まだ指をモジモジさせながらお義姉ちゃんが立っていた。


「お礼言えてよかったね」

「……うん」

「素直なのが一番だよ」

「うん」


 義姉が心を許せる唯一の他人だ。

 ボクはマスオさんに感謝をしながら、今日は炊き込みご飯を作ってみようと考えた。

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