乗り越えるために

 毎度、何かやらないと気が済まない義姉。

 19時くらいになると、日は傾いて徐々に暗くなる。

 でも、夏場は日が長いので、19時はまだ明るい。

 空が赤銅色に染まって、周囲の陰影が濃くなっていく。


 ボクは外に出て、二階のベランダを見た。

 位置的に、ボクの前には玄関の扉。

 その真上に、ベランダがある。


「おねえちゃん。危ないって」

「……はァ……んぐ……っふぅぅ……んっぐぉ……」


 何をしているのかと言えば、懸垂である。

 小屋根がついていないので、落ちたらシャレにならない。

 ボクは散々デブだ、何だと言ってきたが、義姉は運動神経が良い方だ。


 手すりにつかまって、引きこもりとは思えない身体能力を発揮中である。ぐんぐんと、自分の体を持ち上げて、10回目に突入している。


「……こういう所はアグレッシブなんだよなぁ」


 よく見れば、腰には縄がついていた。

 いや、腰だけではない。

 脇の下にも、ベルトが巻かれている。


 赤ちゃんをおんぶする時に使う、あの固定道具。

 あれに似ているものを義姉は装着していた。


 体に繋がれた縄を辿ると、ベランダの中に繋がっているのだが、縄を何かに固定しているのかもしれない。


 黙って、義姉の下に目を向ける。

 そこには、子供の時に使っていたプールがあった。

 水は張られていて、チャプチャプと水面が揺らいでいる。


「これって、あれだよなぁ。外国人のDNA的に、もっと太くなるよなぁ。大丈夫かなぁ」


 ボクが調べた限りでは、ジョギングやウォーキングをする人は、細マッチョになるという。マラソン選手が良い例だ。


 でも、筋トレだけだと、やっぱり太くなるのだ。

 お義姉ちゃんは贅肉が付いている事を気にして筋トレしているけど、逆効果でしかなかった。いや、贅肉は減るのだけど、体重は確実に増える。あと、筋肉でパッツパツになるだろう。


「2……3……。2……4……」


 疲れたのか。

 手すりにぶら下がって、息を整えていた。


「ねえ。大丈夫? 助けよっか?」

「いい! あたし、乗り越えるから!」

「……柵を?」

「いつまでもケイちゃんに甘えてられない。絶対に、……ふん……ぬぅぅ……お”……っ!」


 腕がプルプルしていた。

 見ている方がハラハラしてくる。


「あ”……っ」


 言ってる傍から、義姉は手を離してしまう。

 次の瞬間、驚きの光景が目に飛び込んできた。


 ぎちぃぃぃぃっ。


 腰や股下を固定していたベルトが、勢いよく義姉の股下に食い込んだのだ。縄はピンと張り詰めて、宙づりになった義姉は頭を抱えた後、何を思ったのか両腕を広げた。


「あ”……あ”あ”……っ!」

「い、今行くね!」

「だ、大丈夫!」

「どこがだよ!」


 ギチギチと音を立てて、股下に食い込むベルト。

 勢い余って落下したので、痛かったに違いない。

 ボクは急いで家の中に入り、土足のまま階段を駆け上がった。

 二階に着くと、すぐに義姉の部屋を通り過ぎ、突き当りを曲がる。

 扉を開ければ、L字になったベランダがある。


「う、わ。お父さんの筋トレ器具使ってる!」


 重りが付けられた状態で、ガッチガチに固定された筋トレ台。

 腹筋をするための台なのだが、ダンベルやら何やらが台の上に置かれており、縄は台の足に固定されていた。


 すぐに縄を掴み、ボクは引っ張った。


「今、引っ張るから!」

「平気!」


 ふっと、軽くなり、一瞬焦ってしまう。

 引っ張った勢いで尻餅を突き、手に持った縄を辿り、慌ててベランダの下を覗き込んだ。


「おねえちゃん!?」


 義姉は――プールで大の字になり、気持ち良さそうにしていた。

 ベルトの留め具を外したらしかった。

 そのせいで、急に軽くなったのだ。


「アホ!」


 ベルトで命綱を作り、落ちる勢いを軽減。

 そして、プールの水で緩衝材代わりにして、身を守ったらしい。


「何で、こういう所で使う頭を他で使わないんだよぉ!」


 服を着たまま、プールで仰向けになるお義姉ちゃんは、全てをやり遂げた顔になっていた。

 でも、危ないから、絶対にこんな真似はさせないようにしよう。

 そう心に誓った。

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