弱弱しい決意

 廊下で、ボクは膝を抱えていた。


『あ”-……っ! あ”-……っ!』


 映画で見るような幽霊の断末魔が聞こえているのだ。

 同時に、肌をベチベチ叩く音が聞こえる。

 家にリナちゃんを呼んでから、義姉の奇行が始まってしまった。


『あ”――ひゃっ!』

「近所迷惑になるってば……。静かにしなよー」


 いや、ボクも悪いといえば悪い。

 ボクやお隣さんならまだいい。

 面識があるから。

 でも、リナちゃんは赤の他人。

 その辺を歩いている見知らぬ人と同じだ。


 それが自分のテリトリーに足を運んできて、中に入ってきたから、感情やら何やらが収拾付かなくなっているのかもしれなかった。


『お”お”っっ! お”……っ……ぁ……ぁぁ……ん”お”ぁ”!』


 ま~た汚い声を出すのだ。

 さっき、チラリと浴槽の方を覗いた。

 磨りガラス越しに見えたシルエットは、壁に手を突いて尻を突き出すという、他人から見ればアホな体勢だった。


 ボクの頭には、『びっくりするほどユートピア』という古いネタが浮かんでくる。


 たまたまネットで見つけたネタだが、びっくりするほどユートピアとは、一種の除霊方法であるとされている。

 白目を剥きながら、自身の尻を叩き、飛び跳ねたりすることが悪霊を遠ざけられると信じられているのだ。


「参ったなぁ。おねえちゃんの症状悪化してるよ」

『ふぐ、ぎぎぎ……っ!』

「きったない声出すなぁ」


 もしかして、夜寝られなくなってるんじゃないだろうか。

 昨日は結局部屋から出てこなくなったし、このままだとボクにまで顔を見せなくなりそうなので、一抹の不安があった。


「おねえちゃん!」

『はーっ、はーっ、……ふーっ』


 息が乱れるくらい朝っぱら暴れないでほしい。


「もう呼ばないから。落ち着いて」

『う”-っ、……うー……』


 オオカミでもいるんだろうか。


「エクソシストだよ」

『も、……立ってられな……』

「どんだけ暴れてんの! 普段運動しないからだよ!」


 筋肉というより、体力的な問題だろう。

 このままじゃ、本当にマズい。

 運動まで放置したら、本格的にデブの引きこもりになる。

 焦ったボクは、どうにかして義姉を改善しようと決意した。


 *


 ようやく姿を見せた義姉。

 昼食も食べた後、ソファでグッタリとしている義姉を揺さぶった。


「おねえちゃん」

「あ”……っ……あ”-……っ」


 口端からは涎を垂らし、目は焦点が合っていなかった。

 全身がピクピクと痙攣し、髪をセットさえしない。

 変な薬にでも手を出した人にしか見えず、ボクはため息を吐いた。


 ティッシュで涎を拭いてあげて、太ももをベチベチ叩く。


「おねえちゃん! 聞こえる!?」

「……も……無理……も……らめ……」

「救急車呼ぶ!?」

「ひっ」


 やっとボクを見た。

 ボクは手を握り、お義姉ちゃんに声を掛け続けた。


「もう呼ばないから。ごめんって。ね。もう呼ばない」

「も……よばらい……」

「呂律どうしたの?」


 モズクみたいにモジャっとした髪の毛が顔を隠している。

 隙間から見えた碧眼がボクを捉えると、サダコみたいにギョロっとしていた。


「ケイちゃんのせいで……おねえちゃん……壊れっちゃったんだよ?」

「うん。ごめん。ごめんって」

「もう戻れないよ。堕ちたもん。無理。もう別の人生歩むから」

「何言ってんの?」


 ふら、と立ち上がろうとした義姉を全身で食い止めた。

 膝の上に座り、動かないようにすると、義姉がしょぼんとした顔になる。


「昨日……ケイちゃんの部屋から……喘ぎ声が聞こえた」

「空耳だよ。それ言うなら、おねえちゃんの部屋からセミの鳴き声聞こえたんだから」


 変な所で、変な特技を発揮するのだ。


「……付き合うの?」

「付き合わないよ」

「でも、……楽しそうだったなぁ」


 お義姉ちゃんが早速病み始めた。

 指と指を擦り合わせ、絶望一色の表情でボーっとし始める。


「あーあ。……世界って……どうして残酷なんだろう」


 このままだと、ボクまで病みそうだな。

 振り返って窓の外を見れば、青空が広がっている。


「暑いけど。山の方に散歩しに行こうよ」

「いいよ。夕方前に行ってるから」


 意外な答えが返ってきて、ボクは驚いた。


「あれ? そうだったの?」

「うん。……おじさんと一緒に……歩いてる」


 ボクは顔を手で隠してしまった。

 いくら、近所さんだからと言って、義姉の介護というか、リハビリにまで付き合わせてしまい、申し訳なさでいっぱいになる。


「メタボだから、……ちょうどいいって」

「うわぁ。申し訳ないよぉ。仕事してる人なんだから」


 ここまで付き合ってくれてるあたり、本気で心配かけてしまっている。

 何から何までお世話になりっぱなしで、ボクは何とも言えない気持ちになった。


「今日は、ボクと行こうか」

「いいよ……」

「えぇ……」

「独り立ちする……。部屋で……イチャイチャしてればいいじゃん……」

「病まないでよ。独り立ちしてくれるのは嬉しいけど」


 お義姉ちゃんの上から退いて、ボクは今日の夕飯の事を考える事にした。


「夕飯何が良い?」

「ネギ味噌ラーメン……」


 病んでも食欲はある。

 義姉は素直に答えたのだった。

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