引きこもりだって変わっていく

アレルギーみたいな何か

 困った事が起きた。


『じゃあ、今から行くね』


 リナちゃんからチャットがきた。

 一緒に勉強をしたい、との事でつい了承したが、なぜかボクの家ですることになった。


 相変わらず、リビングのソファでだらけていたボクは、ついテーブルの前を見てしまう。


「じゃがバター食べたいなぁ」


 テントを設営したはいいが、片付けが面倒になったのか。

 未だにテントを放っておいてる義姉だ。

 テレビ番組でじゃがバターを美味しく食べる二人組の男を見て、義姉はボケーっとしていた。


 どう切り出そうか迷ったが、ボクはさりげない感じで伝える事にした。


「今日、……友達来るから」

「……え?」


 顔面蒼白になり、明らかに狼狽える義姉。

 ガタガタと震えながら立ち上がると、お義姉ちゃんは黙ってリビングを出て行く。足音に耳を澄ませると、どうやら自分の部屋に戻って行ったようだ。


 *


 30分後。

 リナちゃんが家にきた。


「よっす」

「う、うん」


 まさか、自分の家にクラスの女子が遊びにくるとは思わなかった。

 白いシャツと青のフレアスカートを着て、ナチュラルなメイクをしたリナちゃん。


「お邪魔しまーす」

「どうぞ」


 ヘコヘコして、ボクは自分の部屋に向かっていく。

 まさかの二人きりだ。

 連絡が来たときはびっくりしたけど、断るのも気が引けて、OKを出してしまった。


 リナちゃんは物珍しそうに家の中を見回し、ボクの後を付いてくる。

 階段を上がると、自室の隣からは、気のせいか重苦しい空気が漏れている気がした。


「……うわぁ」

「どうしたの?」

「ううん。何でもない」


 気を取り直して、ボクは自分の部屋のドアを開けた。

 中は片付いていて、綺麗な方だと思う。

 本棚には漫画とか、参考書が入っていて、壁際にベッドがある。

 ドアから見て、正面の場所に窓があり、向かいの家が見えた。

 勉強机は、真ん中に置いてる低いテーブルだ。


「へえ。片付いてるね」


 リナちゃんがテーブルの前にカバンを下ろし、ノートなどを広げる。

 宿題は初日に終わらせたので、ボクは予習をしようと思って、テーブルにノートと教科書を広げた。


「宿題は?」

「もう終わらせちゃった」

「はやーい!」

「はは、ははは」


 ――ドンっ。


「え、なに?」


 壁から物音がした。

 存在感を消して、やり過ごすと思ったが、そうではなかった。

 どうせ、「うるせぇ」とでも言いたげに、壁を叩いのだろう。

 義姉の事は、大体分かる。


「な、何でもないよ。やろっか」

「うんっ」


 リナちゃんが取り掛かったのは、歴史の宿題だ。

 世界史の教科書を読みながら、ノートに文字を書き込んでいく。

 ボクは日本史なので、次の授業の範囲を覚えるために勉強。


 しばらくして、また騒音が鳴った。


『ぢゅぃぃぃ! ぢゅぃぃぃぃっ!』


 何かを吸い出すような激しい音が聞こえた。

 その音はまるで――。


「あれ? 近くにセミいるのかな?」

「ど、どうなんだろうね」


 セミのようであった。

 たぶん、義姉がアイスを食べていて、変な音を出しているのだ。

 壁は薄くない方なので、絶対に爆音で食べているに違いない。


『ぢゅっぶ――っふ――おえっ』


 ほら。

 変な食べ方しているから、変な所に入ったのだ。

 リナちゃんは壁の方を向いた後、ボクにヒソヒソと話しかけてきた。


「おねえさん、いるの?」

「うん……まあ……帰ってきた……んだよね」

「そっかぁ。挨拶に――」


 言いかけた、その時だった。

 今度は「やめて」と言いたげに、変な音が鳴る。


 バチン、バチン、バチン。


 まるで、ラップ音である。

 太ももをベチベチ叩くような、乾いた音だ。

 たぶん、ボクに引き留めるようにSOS信号を出しているのだろう。


「ん”ん”っ。おねえちゃんは、その、今寝てるから」

「あ、そっか。じゃ、悪いね」


 気を取り直して、ノートに書きこんでいく。


「ねえ。夏川くん。ここって、何だっけ」

「どこ?」


 ボクは世界史じゃないから分からないけど。


「イスラーム教の形成についてなんだけど。いまいち分からなくて」

「え、えっとぉ……」


 気が付けば、ボク達は肩を寄せ合い、教科書を覗き込んでいた。

 ていうか、イスラム教についてなんて知らない。

 世界史じゃないけど、多少なら答えられると思ったボクが甘かった。


「えぇー……。全然分からないなぁ」

「ネットで調べてみよっかなぁ。ふふん」

『ん”お”っ!』


 ボクは額を押さえた。

 今、壁から汚い声が聞こえた。

 声から察するに、何か物を落としたか、何かを踏んづけたかの声だ。

 リナちゃんは、じーっと壁を見つめて眉を潜ませていた。


「お姉さん。大丈夫かな?」

「うん。平気だよ」

「でも……」

「何か、……大学行ってから、授業についていけないみたいで。ほら。寝るとき歯軋りする人いるでしょ。あれと同じで」

「へえ」


 ボクらが話していると、また汚い声が聞こえた。


『ん”ぐっ! う”う”っ!』


 ドン。ドン。

 二回壁を叩かれ、ボクは自分で自分の顔が引き攣るのが分かった。

 絶対に何か踏んづけた。

 痛くて、悶絶してる声だ。


「ちょっと。見てくる」


 リナちゃんは頷き、ボクは愛想笑いを浮かべて部屋を出た。

 部屋を出て、すぐ隣の部屋に向かうと、激しい物音が聞こえてくる。

 ドアをノックし、扉越しにボクは言った。


「おねえちゃん。何やってんの?」

『ひう”っ!』


 物音が止み、ドアに近づいてくる気配がする。


『な”、な”に”……もっ……』

「どうせ、また何か踏んづけたんでしょ」

『う”……っ』


 図星だ。

 思い返せば、義姉の部屋は足の踏み場もないくらいに汚い。

 ミニチュアまで置いてあるんだから、そりゃ踏んづける物はたくさんある。

 しかも、ミニチュアなんて、角が尖ってる物ばかりだったし、相当痛いだろう。


「静かにしてよぉ」

『ごめん……』


 ボクはため息を吐き、自室に戻る。

 結局、義姉は何が気に入らないのか、しばらくの間うるさくしていた。

 リナちゃん曰く、「虫が出たとか」なんて言っていたが、義姉は虫如きでビビる女子じゃない。


 ボクは義姉の心情を推理してみた。

 結果、か何かだろう、と結論が出た。

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