ひと夏の思い出

 市民プールにやってきたボクは、クラスの子達と遊んでいる。


「なんかさぁ。たまには、こうやってダラっと泳ぐのもいいよなぁ」

「それなー」


 男子がボクを含めて5人。

 女子が7人。

 ボクは浅い所でちゃぷちゃぷ泳ぎながら、他の人の話に耳を傾けていた。


「今じゃ、男子より女子の方が数多くなってるもんなぁ」

「中学ン時より外人率上がったよなぁ。ま、可愛いから良いけど」


 隣で談笑していた男子二人がボクの方を向いた。


「夏川ンとこって、あれだろ。外人の姉ちゃんだろ」

「うん」


 聞く人によっては、外人という言葉は敏感に反応するだろう。

 ボクは全く気にしない。

 だって、外国人の略で使ってるし、お義姉ちゃんの場合、怒ると「じゃっぷ」と言いながらので、いちいち腹が立たないのだ。


 ちなみに、じゃっぷと言われたら、「お義姉ちゃんもでしょ」と返してる。


「いいなー。メッチャ可愛かったもんなぁ」

「彼氏とかいるの?」

「いないよ」

「へえ。色々と大きすぎたもんなぁ……。あぁ、付き合いたい」


 ボクは弟として忠告した。


「今は――デブだよ?」

「え、そうなん?」

「うん。デブだよ。ボクらと違って、においが濃いから。そういうの気にする人は、たぶんキツイよ。あと、太りやすいから、すぐに丸くなるんだ」


 クラスの男子は、渋い顔で空を見上げた。


「んじゃ、……いいや」

「うん。やめておいた方がいいよ。普通に日本の人と付き合った方がいいと思う。デブで、臭いし」


 言うほど、臭くはないけど。

 臭いは、本当に濃い。

 あと、今になって思うのは、ジョギングとかなしに筋肉だけつけたら、さらに体重が増して太くなるんじゃないか、と懸念している。


「何話してんの?」


 ボク達が話していると、クラスの女子達が寄ってきた。

 全員がワンピース水着を着ており、スリムな体型なので、つい頭の中にある義姉の姿と比べてしまう。


「夏川の姉ちゃんの話」

「あぁ、アリナ先輩?」

「知ってんの?」

「うん。わたし、園芸部だし。前に奇声出しながら虫を取ってくれたの」


 口下手だからなぁ。

 お義姉ちゃんは、基本的に他人と話す時は奇声しか出さない。

 ボクがよく聞いた語録は、「んぶぉ」と「う、んぶっふ」だった。


「先輩元気?」

「……まあ」

「今度、遊びに行きたいなぁ」

「あはは。やめておいた方がいいと思う」


 お義姉ちゃんが、本当に死ぬ。


「今は大学に通ってんのかな?」


 この問いには悩んだ。

 義姉は勉学よりも、コミュニケーションのせいで落第していると言っていい。そのため、通えないのだ。

 ボクは愛想笑いをして、嘘を吐いた。


「う、……うん。でも、良い大学じゃないよ。あ、はは」

「そっかぁ。大人だなぁ」


 子供なんだよ。

 ウチのお義姉ちゃんは、本当に子供と変人を合わせた人なんだ。

 言いたかった言葉がぐっと飲み込まれる。


 家族のことについて聞かれると、こんなに気まずいのか。

 まさか、このタイミングで思い知るとは思わなかった。


「ね、今度はみんなで海に行こうよ」

「おお! いいねー!」


 いつの間にか話題は切り替わり、海に行く話をしていた。


(おねえちゃん。……その気になれば、いつだって友達ができるのに)


 義姉はコミュニケーションが下手くそだから、友達がいないだけ。

 ボクは義姉がいなければ、話題にすら上がらないだろう。

 せっかく誘ってくれる分には、クラスメートからも受け入れられているのに。どこか、変な寂しさがあった。


 透き通った水の中で片足をぶらつかせていると、肘に何かが当たった。


「ね。夏川くん」


 リナちゃんがピッタリとくっ付いてきた。

 リナちゃんは、茶髪のセミショートをした女子だ。

 義姉とは違い、普通に日本の女子。

 外国人とは違う種類の白い肌をしていて、表面の光沢が妙にドキドキとしてしまう。


「今、……好きな人っているの?」


 顔を覗き込むようにして聞かれ、ボクは黙って首を振った。

 何か迷子の子供相手に質問する大人みたいに見えてしまい、ボクは自分の子供っぽさにしゅんとしてしまう。


「ふーん。じゃあ、さ」


 前を向いて、少しの間が空いた。

 何を言われるんだろう、とドキドキしながら聞いていると、


「おーい! そろそろ上がろうぜ!」


 いい加減、泳ぐのに飽きたのか。

 男子達が声を掛けてきた。

 女子はとっくにプールから上がり、背伸びをしている。


「あ、うん!」


 結局、何を言いたかったのか。

 ボクには分からなかった。


 *


 家に帰ると、庭には義姉がいた。

 麦わら帽子をかぶり、両膝を抱えている。

 でも、日焼けをしないようにパラソルを立てて、しっかり対策はしていた。


「……お義姉ちゃん」


 ボクの家は、結構庭が広い方だ。

 車が三台は停められるくらいにスペースがある。

 義姉はボクがいない間、一人でテントの設営をしていたらしい。


 庭の中にはテントがあり、隣にはパラソル。

 義姉は何も言わず、チラチラと視線をボクに向けてくる。


「……どうしたの? 中に入ってればいいじゃん」

「ケイちゃんと……キャンプする……」


 弱弱しい声で、そんな事を言われた。

 さっきまでクラスの女子を意識していたボクの気持ちは、途端に落ち着き始めた。


 パラソルの中に入ると、汗だくのお義姉ちゃんが口を尖らせて、見上げてくる。


「……楽しかった?」

「ま、まあ」

「あたしは……、何で生きてるのか分からなかった……」

「重いよ」


 よく見ると、お義姉ちゃんの傍には、カバンがあった。

 恰好を見れば、Tシャツにズボンを着ており、お出かけの恰好だ。


 たぶん、頑張って外に出ようとしたんだろう。

 でも、できなかったのだ。

 ボクはその場に座って、お義姉ちゃんの手を握った。


「喉渇いてない?」

「……渇いてない」

「熱中症なるよ」

「……うん」


 周りの話を聞くと、外国人に対して不安などの負の感情が芽生える。

 SNSを見ると、もっと芽生える。

 でも、お義姉ちゃんの事を考えると、不安とかは薄くなっていく。


 お義姉ちゃんほど、複雑な気持ちと環境にいる人はいないだろう。

 しかも、単純な人間関係だって、儘ならない人なのだ。


「アイス食べる?」

「全部食べた」

「え⁉ まだ、5個は入ってたでしょ⁉」

「……全部……ぐすっ……食べた」


 ため息が漏れてしまった。


「じゃあ、近くのスーパーに行こ? コンビニより良いでしょ」

「……うん」


 生まれたばかりの小鹿みたいに立ち上がった義姉の手を引く。

 少しずつ、訓練しないといけないだろう。

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