におい

 お義姉ちゃんは、外に出ない。

 だが、贅肉がついてきたのは気にしてるらしく、家で運動を始めるようになった。


 早くも、夏休み2日目。

 お義姉ちゃんはリビングで、腕立て伏せを50回やった後、汗だくで床に伸びていた。


「あ”-っ」

「だらしないなぁ……」


 恰好がだらしない。

 タンクトップなのは相変わらずとして、腹は出てるし、パンツは食い込みすぎて、肉しか見えない。

 元々、代謝が良いので、オイルを塗られたみたいに汗で濡れている。


 麦茶を飲んだ後、ボクはお義姉ちゃんの脇を通って、ソファに座ろうとした。その時、むわっとにおいがしたのだ。


「……今日、カレーパン食べようかなぁ」


 すると、お義姉ちゃんが起き上がり、腰に抱き着いてきた。

 汗で湿っているので、抱き着かれる感触が最悪。


「ちょっと! 抱き着かないで!」

「どうして、が出てくるわけ? 臭いの?」


 腕を引っ張られ、姿勢が崩れそうになる。

 汗だくのお義姉ちゃんがムッとした顔で、ボクを無理やり座らせてきた。


「臭いっていうか、いつもの事じゃんか」


 大体の人は言わなくても分かると思うけど、創作物において、登場人物はどんな人種だろうが、全て良い匂いがする。だとボクは思っている。


 一方で、現実では違う。

 現実では望もうが望むまいが、生々しいニオイが男女から発せられるわけでして。その現実的な瞬間に毎度立ち会うボクは、義姉の体臭にすっかり慣れていた。


 濁さず、ハッキリ言うなら、外国の人種は

 つまり、お義姉ちゃんも例外ではなく、今まさにスパイシーな臭いが漂ってくるわけだ。


 お義姉ちゃんは脇の臭いを自分で嗅ぎ、泣きそうな顔になっていた。


「えぇ……く……臭いのぉ……?」

「臭くないよ」

「うそ! じゃあ、嗅いでみてよ!」


 お義姉ちゃんって、他の女子がしない事を平然とやってくる。

 片腕を持ち上げ、汗で濡れた脇をボクに向けてくるのだ。

 仕方なく、ボクは鼻を近づけた。


「スン、スン」

「く、臭い?」

「んー……、いつもの臭い」

「どういう臭いなの?」

「スパイシーっていうか……」

「分からない。もっと具体的に!」


 顔を近づけた辺りで、義姉は逃がすまいと両足でボクの体を固定してきた。肘を額に置いて、ずっと嗅がせてくるのだが、ボクは別に嫌じゃなかった。


 上手く言えないけど、腋臭わきがとは違うのだ。

 ああいう人は、正面に立っていても、常に臭いがする。

 義姉があまりにも気にするので、ボクは自分で調べた事が何度もあるのだけど。何で、外国人の体臭が濃いかと言えば、かららしい。


 アポクリン汗腺だっけ。

 そういうのが、外国の人はあるっぽい。


 ボクは肺一杯に臭いを取り込み、具体的な例を挙げてみた。


「カレーパンの臭い」

「は?」

「コンビニのカレーパンかな。カレーパンに齧りついて、口の中でもわっと臭いが広がる時の……、あの臭い……」


 スパイシーとか、カレーとか。

 一言で表すなら、そうなんだけど。

 より具体的に言い表すのなら、カレーパンの中に閉じ込められたスパイシーな風味だ。


「だから、全然嫌じゃないよ」

「え、えぇー……。カレーパン……かぁ……」

「ボクと違って、汗腺が違うんだから。そりゃ、体臭が濃いよ。しかも、代謝良いし」


 お義姉ちゃんは複雑そうに顔を歪めた。

 さらには胸の臭いまで嗅ぎ始めて、ムッとしている。

 でも、ボクを解放しなかった。


「何か、ズルい……」

「そんな……、ズルいって……」

「ケイちゃん。脇、嗅がせて」

「ええ! 嫌だよ!」


 意地になって、お義姉ちゃんは半そでの口から臭いを嗅ごうとしてくる。だが、上手く嗅げないのか、ボクのシャツを捲り上げて、脇の下にピッタリと鼻先を押し当ててきた。


「スン、スン」

「……感想は?」

「ミルク……みたい……」

「ボディシャンプーかなぁ」

「スン、……ふふ。赤ちゃんみたい。スン、スン」

「あの、そろそろ離れて」


 お義姉ちゃんが両腕を回してきて、ガッチリと体を固定する。

 おかげで、シャツに汗が染みこんできた。


「あぁ……、癖になりそう」

「お義姉ちゃんって、……何か変だよね」

「変じゃないもん。スン。普通だもん」


 義姉に脇を嗅がれながら、壁に掛けられた時計を眺める謎の時間。

 自分の体臭なんて気にしてないけど、お義姉ちゃんは気に入ったのか、一向に離れてくれなかった。


「ね、そろそろ離れて。暑苦しいよ」

「もうちょっと!」

「もお!」

「あ、あたしのも、嗅いでいいから」


 そう言って、片腕を持ち上げてきた。

 他から見たら、奇妙な光景だ。


「何の儀式だよ」

「け、ケイちゃんの臭い好き。……すぅぅぅ……ふぅぅ……っ」


 弟の脇を嗅いで、うっとりする義姉を初めて見た。

 いけない薬でも決めてるみたいに、ボーっとし始めている。

 ていうか、いい加減に離れてほしい。

 汗でベチャベチャして、居心地が悪いのだ。


「今日、ボク出かけるから。留守番よろしくね」

「……え?」


 やっと離れたかと思うと、義姉は顔面蒼白になった。


「え、餌は?」

「餌って……」

「あたし、簡単なのしか作れない……」

「冷やし中華作っておくから。水で洗って、食べて」


 目に見えて、しょんぼりする義姉。

 だが、両手両足だけは離さない。


「……数秒後に、世界が滅べばいいのに」

「帰ってくるから」

「……ケイちゃんいないなら、もう生きてる意味ないじゃん」

「いや、あの、……夕方には帰ってくるってば!」


 義姉は日に日に弱体化していく。

 ボクは将来が心配になった。

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